第十三話 カマヒラ区役所①
起きてすぐ、トイレの手洗い器でざぶざぶと洗顔をした。手際よく身支度を済ませたタマは、笑顔で二階の窓を開ける。次いで、三つの布団をそこへ干した。
空気は澄んでいないものの、いい天気だ。伸びをして、二人を振り返った。イチハナは椅子に座り、携帯電話を触っている。シーバは配給された就寝用の服を着たまま、部屋の隅で膝を抱え丸くなっていた。ピンク色のスカジャンに袖を通しながら、タマは眉を下げる。
「なんだよ、まだそのカッコ? 物資受け取ったら、巡視行くんだろ?」
「タマって、切り替えが早いんだねえ」
「え?」
シーバはそれ以上を言わず、ただじっと見つめている。タマは首を傾げつつ、青いリュックサックを掴んだ。
今日は、区役所周辺を見回る予定だ。途中までルートが同じシーバと共に、先に物資を調達する手筈となっている。イチハナは一人、より遠方へ行くようだった。タマは危険ではないか心配だったが、反対はしなかった。意見を言ったところで、彼が聞き入れる姿を想像出来ないからだ。
配給の回数が突然二度に変更されてからというもの、この人だかりは見慣れた光景だ。時間内、どのタイミングで訪れても常に人が溢れ返っている。
「どういう事だよ!」
「なんで来ないの!」
曖昧な列の最後尾。二人が並んでいると、先頭のほうでヒステリックな声が上がる。タマは背伸びをしたりと、列からはみ出ない位置で、出来る限り体を動かしてみる。が、なにも見えない。周囲には、次第にざわつきが広がっていく。
「不具合ってなんだよ!」
「俺達を餓死させようってんじゃねぇだろうな! くそっ!」
配給用のマシンが、ガンッと蹴られる音。タマとシーバは、顔を見合わせた。
「なんだろ……?」
「さあね」
住民達は、口々に文句を言いながら帰っていく。喧噪が失せた後、二人はその黒いマシンの前へ立った。液晶画面には『本部の担当部署で不具合が生じ、運搬が滞っています。次回、十六時の配給時間にはご用意します。今しばらくお待ちください』との文が表示されている。これまでにない事だ。元々、必要最低限にしか物資を補給してこなかったタマ達。今は住処に、特別ストックも残っていない。しかし、ここにいてもどうしようもない。
「仕方ねーか。腹減ったけど、俺達も出ようぜ」
近くの空き地で軽食をとってから、活動するつもりだったのだが。タマは肩を落とす。それを見たシーバが、ジャージのポケットをポンポンと叩いてみせた。手を突っ込んで取り出したのは、ビスケットの袋だ。
「えっ! いつの間に持ってたんだよ」
「食べる?」
「食べる食べる!」
シーバはにこやかに、五枚入りの小袋ごとタマへ渡した。が、封を切ろうとした矢先。
「あの……すみません……」
声に振り向いてみれば、おとなしそうな女が、五歳前後の少女と共に立っていた。女は頭を下げ、おずおずと続ける。
「本当に、申し訳ないのですが……この子に一枚、それをわけて頂けませんか」
「へ?」
タマはきょとんとして、しばらく二人を見つめた。女はその疑問を察知したかのように、言葉を足す。
「横柄な人達に、配給のチケットを奪われてしまって……ここ数日、水しか口に出来ていないんです……」
「え!? ま、まじで!?」
彼女の隣で、子供は目を伏せている。
「どうか、お願いいたします……」
女がこれ以上ない程に、深々と頭を垂れる。彼女に促され、少女もまた同じように頭を下げた。
タマは、咄嗟にビスケットの袋を子供へ差し出した。
「ありがとうございます! ほら、お礼を言いなさい」
「ありがとうございます……」
何度も会釈をしつつ、去っていく親子。見送りながら、タマは自責の念に駆られた。
「……多少身勝手な奴がいてもさ、物資ってどうにか満遍なく皆に行き届いてるんだと思ってた……。でも、そうじゃないんだな……」
「……」
「考えたら……そっか……。俺達とかって、そういう奴と喧嘩出来たりもするけどさ……。やっぱ戦いたくても戦えない人達っているんだもんな……。全然そういうの、わかってなかった……。俺にもなにかしてやれる事って、ないのかな……」
シーバは、ずっと黙ったままだ。タマは自分なりに考えを巡らせ、そのうち表情を明るくした。
「そーだ! これからさ、物資貰う度にあの子達にわけてやろ! 俺、住所聞いてくる! ……シーバ、また後でな!」
彼に手を振り、タマは彼女達を追いかけた。
親子と別れ一人、路上のゴミを拾い歩く。途中、怪我を負った人や食糧に困った人の話を聞いたりと、タマは親身な対応をした。それは普段と、なにも変わらない。……しかし、一つだけ。今日巡視の間感じていた、普段と異なる街の雰囲気に足を止める。
「人が……減ってる?」
配給所の人だかりは、相変わらずだった。けれども歩みを進める中で、目にする人……すれ違う人。その形が、少ない気がする。道の隙間が増えている。
頭の片隅に靄を残してビルへ戻ると、すでにイチハナとシーバの姿があった。珍しく彼達は、端と端に離れていない。部屋中央に椅子を寄せ、なにやら話し込んでいる。
「国が二分してから起こった異常性のある殺人事件が、全て〝ゼータ〟によるものだとしたら、この広範囲、短期間での被害も説明がつく。人間には不可能だ」
「……ただいま」
「あっ、おかえり。タマ」
目を半月にして、シーバがひらりと手を振る。すぐに彼はまた笑みを消し、隣へと視線を移した。
「じゃあ機械だとして。前にあの警官が言ってた……」
イチハナは眉をひそめる。
「……お前が殺した警官か」
「殺してない。……もう過ぎた事だろ。話が進まない」
「…………」
「あの警官が言ってた安全装置が〝ゼータ〟の事だったとしたら?」
「なんで治安が下がって作動する装置が、人殺しをして回るんだ」
物騒な話をしているな、と思いながら、タマは部屋の端でスカジャンを脱ぐ。
「きっと壊れてるんだ」
「それなら、MSSの改良型が誤作動を起こしていると考えたほうが、まだ納得がいく。ヒト型だと言っていたしな」
「……。ねえ、タマはどう思う?」
不意にシーバから話題を振られ、タマはまごついた。
「え? あ、えっと……〝ゼータ〟って都市伝説だったよな? そんな気味悪い話やめようぜ。それよりさ、見て見て」
タマは笑顔でシーバへ寄ると、さっと腕を突き出した。手首に、ウサギのマスコットがついたヘアゴムをはめている。
「なに、その不細工なウサギ」
「ほら、今日のビスケットの親子。あの女の子に貰ったんだよ。手作りだよ! なんもお礼出来ないからって、くれたんだ。シーバのもあるよ。ほら、クマ」
「いらない」
「なんだよ。……じゃあ俺が二個とも着けちゃお」
満足げに手首を眺めるタマに、イチハナは戒めるような眼差しを向ける。
「……タマ。お前は事の深刻さをわかっているのか? もう都市伝説では済まされない。これは空想ではなく、実際に起きている事件なんだ」
理解出来ず、タマはただ目を丸くした。
「生半可な覚悟でいると死ぬぞ。浮ついた気分が抜けないのなら、ここにいろ。巡視に出なくていい」
吐き捨てるように言い、イチハナは三階へ上がっていった。
「あいつの、ああいう所が嫌いだ」
と、シーバが顔をしかめる。タマは淀んだ気持ちで、天井を見上げた。
「言うなよ。多分……俺が悪いんだ」
一時間が経った、午後十一時。眠れずに三階へ赴いてみると、窓際にイチハナの横顔があった。街灯の光で、彼の周りだけが仄かに明るい。
「あの……イッチャン」
イチハナは振り向かず、外へ視線を伸ばしたままだ。タマは少しだけ近づいた。
「ごめん……。俺……なんかまた、怒らせるような事言って……。でも、あんまり暗くなってもよくないと思うんだ。前向きに、二年間……」
「お前は世間を、楽観視し過ぎる……」
「…………」
「安全な明日が来る保障なんて、どこにもないんだ。二年間食糧に困らず、皆が健康で、当たり前に毎日を繰り返す保障なんて……」
「…………」
「人に対してもそうだ。タマは、誰彼構わず信じ過ぎる。お前はシーバに気を許しているようだが、あいつは信用出来ない。またいつ……」
「そ……そんな事……」
震えるタマの声に、ようやくイチハナの目が向いた。タマは感情を溢れさせまいと、顔を伏せる。
「そ、そんな事……言ったら、毎晩眠って毎朝起きるのが、つらくなるじゃん……。周りの皆を疑ってたら、毎日誰かに会うのが怖く、なるだろ……。俺、なんでもかんでも、疑って生きるのなんていやだ……」
「……」
「じゃあ、イッチャンはさ。な、なんで俺とかシーバと一緒にいるんだよ。信用してるからだろ? なんでシーバを〝ノア〟から外さねぇんだよ……。信じてるからだろ?」
「…………」
イチハナは、窓の外へ視線を戻した。タマは大きく深呼吸し、繕った笑顔で彼を見る。
「……巡視、ちゃんとやるよ! だから、もう寝ようぜ。明日の元気、蓄えねーと!」
空元気な声が、なにもない室内に一瞬響いて儚く消えた。イチハナは顔をそらした状態で、口を開く。
「お前の気持ちはわかった。……でも、外にはしばらく出るな。やはり、武器を持たないままうろつくのは危険だ。俺とシーバで対処する」
「え……」
彼は窓際から体を離すと、タマの横を過ぎ二階へ下りていった。
【続】




