第十二話 センノ区一丁目路地裏③
※グロシーンがあります。ご注意ください
ビルへ戻ったイチハナが、やや乱暴に上着を椅子へ掛ける。
「三百五十GPに達していない」
タマは部屋の隅、顔面蒼白でうずくまっていた。帰り際に見た、無残に転がった複数の死体。その光景が、脳裏に焼きついて離れない。
「なんらかの理由で、GPS登録されていない。少なくとも三人の人間が、確実にMSSの前で殺されている。それなのに……」
「やっぱりあの女だ。あの女が来たんだ」
シーバだけは、どこかわくわくした様子だ。イチハナは、彼を一瞥するだけに留まった。
「現段階ではその人間がどこの誰なのか、GP値がどうなっているのか……なにもわからない。まずは最低限の情報を把握したい。その為には、MSSがスキャンした際に表示される数秒間のデータを見るしかない。が、このアプリケーションのシステム上、通過する際に読み取るデータよりも、抹消するデータが優先して表示されるようだ。狙うのが難しい」
溜息を吐き、イチハナは壁際へ立った。
「いつどこに現れるかもわからない〝ゼータ〟を、延々待ち続けるのは時間の浪費だ。こちらから仕掛けて、確実にデータを得る」
「ど……どうやって……?」
タマが絞るように声を出す。イチハナは目を伏せ、唇を噛んだ。
シーバは、笑って窓の縁に腰かける。
「あの男を餌にすればいい。MSSがたくさんある場所に吊るしとこう」
「……命は、お前が思っているような軽いものじゃない……!」
イチハナが睨み付けるも、彼には態度を改めようとする素振り一つない。
「情報集めなんて回りくどい事、僕は嫌だなあ」
「男の話が事実だとすれば〝ゼータ〟は相当な能力を持っている。今までの巡視での取り締まりと、同じようにはいかない」
「僕なら出来る。誰もいない所で、こっそり殺してやるよ。それなら文句ないだろ?」
「…………」
イチハナは黙って、視線をずらした。
翌早朝、三人は見回りも兼ねつつプレハブ小屋へのルートを歩いた。閉鎖した店の間の狭い路地。そこを抜けた先の草野原は、金風に揺れている。
「おっさんの家庭菜園って、どこにあんのかな。あのおっさん、掴めねーよな」
緑色の大地を踏み進みながら、タマは清々しい空気を吸い込む。
――と。どこからともなくカランカラン、と金属がなにかに当たるような音が響いた。
「この音……」
無意識に歩調を緩め、タマは周囲をぐるりと見回す。自分達以外に、誰の姿もない。正面を向き、何気なく空を見た。その瞬間――タマの足がびくりと固まった。
「…………」
声にならず、引き止めようとイチハナとシーバの服を掴む。異変に気づいたらしく、二人もタマの視線へ倣った。
百メートル程離れた家屋の屋根に、それはいた。軍服姿の女だ。服同様に黒々とした髪の毛は膝下まであろうかという程に長く、生き物のように空中でうねっている。両腕には服の上から包帯が巻かれており、手には二振りの長刀が握られていた。左目以外は顔も包帯で覆われ、その眼光がタマ達をまっすぐに突き刺している。
三人は、術にかかったように動けずにいた。奇妙なその姿に、視線が縫いつけられている。心臓が暴れ回り、激しく脈打つ。タマは呼吸をする事も忘れていた。
それは、やがて一瞬にして空の奥へと飛び去ってしまった。
「はあっ……! はあっ……!」
体の力が抜け、タマはへたりと座った。酸素を肺にねじ込む。
「な、なに……あれが……〝ゼータ〟……?」
「……」
イチハナは、まだ残影から目をそらさず、言葉を発しない。
あれは一体、なんなのか。タマは震える足で立ち上がる。紛れもなく人の形をしていた。しかし、人というには異様だった。生気がなく、動作にも生き物の滑らかさがない。しかも、瞬時に姿を消したのだ。機械か、幽霊か――少なくとも、生身の人間であるはずがないと思った。
「た、確かに……いたよな? み、見たよな?」
タマの声に、二人は「ああ」と微かに返答した。
危機感を覚え三人が駆けつけた時、男はプレハブ小屋の前に血まみれで倒れていた。タマは息を呑み、傍へ屈む。
「お、おい、しっかりしろ! し、死ぬな!」
「か、勝手に……ころ、すな……。……う……」
イチハナはタマの反対側へ膝を突き、真っ赤に染まった男の服を捲り上げる。
「すぐに手当てをする!」
しかし彼は服の下を見た途端、ぴたりと手を止めた。内臓が半分以上はみ出ている。
「いい……いいんだ……どうせも……も、う……」
タマは現実が受け止められず、ぶんぶんと首を振り大粒の涙を流した。
「そ……そ、そこのき、キッチンの、下の扉……お、おっきな、菓子箱があ、る……モデルガン、じゃな、ない……。ほ、本当に撃て、る……。もう、俺……には必要、ない……。す、好きな、もん……持っていきな……」
男の口から、ごぼごぼと湧き水のように血が溢れてくる。イチハナは悲痛な面持ちで、その顔を覗き込んだ。
「あれは人間じゃない。なんなんだ? なにが起こった?」
「ち、違……に、人、間だ……人間、の……ば、化け、物……。ちゃんと、息……」
タマの涙が男へ落ち、赤い雫となって地面を濡らす。
「……うう……し、死ぬなよ……」
「し……しな、ない……しな、ない……しな、ない……」
男は、薄く目を開いたまま動かなくなった。
唇を震わせ、タマは泣いた。全ての器官が、ざわざわと騒がしい。呼吸が絡んで、苦しかった。
それまで少し離れた場所に立っていたシーバが、ゆっくりと小屋の中へ入っていく。
「ほら」
まもなく彼は、両手に大きな菓子箱を抱え戻ってきた。蓋を開くと、甘い香りを纏った八丁のハンドガンや備品があった。シーバはそっと、タマの傍にその箱を置いた。
「い、いらない…………」
視界の隅に入れるのも嫌だった。タマはぎゅっと目を閉じ、首を振った。
「……い、いらねぇよ……。そんな危ねぇもん……」
シーバが、無表情で箱を見下ろす。
「……僕もいらない。他人に借り作るの嫌だし。それにナイフのほうが、感触が伝わってきていいからね」
言い切るなり彼は、イチハナを横目で見やる。イチハナは険しい顔をして、目を伏せていた。それを鼻で笑い、シーバは警察手帳を放った。
「手帳が銃刀法を見逃してくれる。拾えよ、イチハナ。法律なんて、警察の内情を知る僕達には無意味だ」
「…………」
「なにかを守る為には必要だろ?」
イチハナは瞼を閉じ、押し黙っていた。――やがて手帳を拾い、立ち上がって箱へと手を伸ばす。タマはその姿を目の当たりにし、裂ける程に胸の痛みを感じた。
数十分前に通った頃には、この現実が想像すら出来ていなかった。同じ風景の広がる道を引き返す途中、タマの足が止まる。
「俺ちょっと……まだ……まっすぐ、帰りたくない……。帰る気になれない……」
イチハナとシーバは、揃ってタマを見つめた。そのうちに、イチハナが口を開いた。
「俺は先に帰っている。……気を抜くなよ」
「…………」
二人になってからも、中々歩き始める気になれなかった。彼の強さに、タマはとてもついていけない。例えわずかしか一緒にいなかったとしても、誰かを失う事は耐え難い悲しみだと思う。
「シーバと、イッチャンは……ずっと、元気でいてくれよ……。二人が死ぬのなんて、俺……おれ……絶対、嫌だからな……」
虹色の明るい日差しが、極彩色の街に降り注いでいた。シーバの傍に屈み込み、タマはその景色を見る事も出来なかった。
【続】




