心配はされる内が花
トロール。粗暴で知能が低く、自分より小さいものなら人でも馬でも食う巨人族のことだ。
どこかの世界では幸せを運ぶおじさん姿の小人だとか、北方の谷に住むカバに似た妖精だとかいう伝承もあるそうだが、少なくともこの世界では人食いの恐ろしい怪物である。
マーレイン王国では、王都のはるか北、タドレス山脈近辺に生息しており、大きさはだいたい5〜6m。身の丈程の棍棒を持ち、食う寝る暴れるしかしない凶暴な奴らだ。
しかし、普段は人里離れた山奥に住んでいるため、遭遇率は低いし、現れたとしても知能が低いため、罠に嵌めて簡単に対処できるというが。
「それが、そうもいかないそうですよ。報告書によると、今回討伐対象のトロールはかなり知恵の働くやつで、罠にかからないらしいんです。おまけに山賊と手を組んでいるらしく、巧妙に暴れ回っているとか」
「山賊と手を組む? 奴らにとったら、人間なんて区別のつかない食材のはずだろう?」
「従来のトロールはそうですが。まぁ、実際に見てみないことにはなんとも」
特別に許可をもらった補佐室付資料室で、鉄仮面侍従と2人、討伐を命じられたトロールと山賊のことを調べている。第三騎士団が王都に戻るまで間があるため、被害地域から届けられた報告書を見たいと申し出たところ、それなら自分で探せと言われたのだ。補佐官たちは宰相の配下。王太子への対応は上司に右ならえ、である。
「はぁ、しかし、困ったことになったな。トーナメントに出るだけじゃなくて、厄介そうなトロールと山賊退治とか、面倒くさい…。お城から出られるのは嬉しいけど…」
「……殿下、他に心配することは無いんですか?」
鉄仮面侍従は調べものの手を止めて、真面目くさった顔でこちらを凝視した。
「心配すること? 美味しいご飯とお風呂は我慢しなくちゃ、って話?」
「違うでしょう、殿下。1ヶ月もむさ苦しい見ず知らずの野郎どもと寝食を共にするんですよ。しかもこちらの事情は知らず、知られてはなりません。そこのところ、分かっていらっしゃいます?」
鉄仮面侍従に呆れたように睨まれる。こいつの表情筋は常に怠慢だが、私に呆れたり馬鹿にしたりする時だけは仕事熱心なのだ。
「言われなくとも、それくらい分かってるよ。だけど、考えてもみろ。この7年間、僕の正体がバレるどころか、冗談になることすら無かったんだぞ。たった1ヶ月くらい、この僕の卓越した演技力とお前のフォローがあれば大丈夫さ」
「あ、殿下。言い忘れていましたが、私は討伐に随行しませんよ」
「うぇえええ!?」
そんな奇声を上げられても、と鉄仮面侍従は涼しい顔だが、それどころでは無い。
「えぇええええ!? じゃあ、どうするの!? 僕の着替えとか、水浴びとか、トイレとか、どうすればいいの!?」
「だから、それを質問してるんじゃないですか」
「てか、お前は僕の侍従だろ? 事情が分かってるお世話役だろ? 随行員だろ? こういう時に付き添わなくてどうするんだ!?」
「そんなこと言われましても。第一、私は根っからの文系のもやしっ子ですよ。討伐に随行しろだなんて酷過ぎやしませんか?」
もやしっ子は武闘派で売ってる王子をしばいたりしない、と言ってやりたかったが、またしばかれそうなので言わないように留めた。
「とにかく、情報収集も大切ですが、野営中の対応についてもお考えください」
「……誰か騎士団の1人に事情を話すとか、ダメ?」
「ダメですね。殿下お一人のお力で頑張ってください」
鉄仮面侍従はにべもない。まぁ、私が女の子だって事は一応国家機密だし、洩らす訳にはいかないだろう。それなら、鉄仮面侍従が付いてきてくれれば万事解決なのに、とため息を吐いた。
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「第三騎士団団長、ネッド・バスターと申します、殿下。こうしてお目にかかるのは立太子の式典以来。1ヶ月、よろしくお願い申し上げる」
そうこうしているうちに、第三騎士団が到着した。彼らは街道の警備や領地の巡回が主な仕事で、今回のように討伐任務が入れば他領にも遠征することもある。団員のほとんどは平民出身だが、城勤めのお坊ちゃん第一騎士団とは違い、実戦経験豊富な頼もしい騎士たちだ。身分や注目度は第一騎士団が一番高く、第三騎士団が一番低いが、正直言って腕前の方は逆だと思っている。
「丁寧な挨拶をありがとう、団長殿。 フランセス・ロワ・マーレインだ。若輩ではあるが、陛下より諸君らと共に討伐の任を拝命した。短い期間ではあるが、騎士団の一員として、任務遂行に全力を尽くすつもりだ」
いつかの騎士団の演習場で、第三騎士団の皆さんと顔合わせし挨拶を交わす。この後すぐに出発するので、お見送りも兼ねて、外野も集まっていた。その中には、何故か第一騎士団の連中もいる。暇なの?
「団長ではなく、ネッドとお呼びを、殿下。ここには他にも団長がいるようなので」
野次馬している第一騎士団の団長をチラッと見てからネッド団長はニヤッと笑った。鷹のような顔つきに、髪と同じ藍色の目は鋭く、正直怖そうな人なのだが、茶目っ気もあるのだろう。少しホッとした。30代後半で騎士団の団長に昇りつめた実力派だと聞いていたので、もっと親しみの持てない厳しい人を予想していた。これならやっていけそうだ。
「では、第1、第2小隊は目的地まで先頭で警戒。目的地が近付いたら、予定通り散開し偵察を行え。第5と第6は殿を頼む。第3、第4小隊は俺とともに殿下の警護だ。二馬身以上離れるなよ。……殿下は乗馬ができるとお聞きしたが、こんな長距離は初めてのはず。お疲れになったら、早めに俺か副団長に。相乗りに変えるので」
そう言って、ネッド団長は替え馬の背に視線をやった。替え馬の背には、親切なことに二人乗り用の鞍が既につけてあった。しかもその鞍、どう見ても子供用である。
馬鹿にしてるのかと思ってネッド団長を見たが、彼の厳しい面差しには、嘲笑や侮蔑の色など一欠片も無かった。おそらく気遣っているのだろう。ちょっと行き過ぎ感あるが。
しかしこのままではマズイ。心配してもらえるのは嬉しいし、なんならここまでの気遣いはこの騒動が始まってから初めてなので、感謝と感動のハグを贈りたいくらいだが、遠征中に限っては不要だ。水浴びやトイレにも見張りが立てば、女だと露見する危険が高まる。
「お気遣い嬉しいが、ネッド殿。若輩ながら、僕は今回の討伐可能と陛下に見込まれて拝命されたのだ。過度な気遣いは無用だ。1個の武人、1人の騎士として扱っていただきたい」
「………お言葉ながら。殿下の勇名は耳にしたが、実戦経験は無く、城を出たことも無い。おまけに貴方はこの国の王太子だ。いくら殿下の命令であろうと、その身を危険に曝すことは出来ない。これは貴方への気遣いではなく、貴人を守る騎士としての当然の対応だ。武人として扱って欲しくば、実力を示すことだ」
話が以上であれば出発だ、と言ってネッド団長は馬にまたがった。どうしよう、このままでは出発してしまう。もうこうなったら、アレしかない。
「待ってくれ、ネッド団長。僕と模擬試合をしてくれないか?」