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ルーナの兄弟

ここは神聖ルーナ帝国、王宮の一角。


夕闇の迫る中、俺は火を入れていないランプ片手に息を切らして塔を登っていた。北国だからか初夏とはいえ、日が沈むとかなり冷え込む。しかし塔の階段は長く急勾配のため、着込んできた厚めの上着が鬱陶しくなるくらい俺は汗をかいていた。


これも全て、王宮の端の塔に引きこもる変人のせいだ。


「おい、ジョシュア! 入るぞ」


塔のてっぺんまでようやっと辿り着き扉に取り付くと、案の定鍵はかかっていなかったため勝手に開けて中に入った。しかし、塔の主人は俺に気づいていないのか、それとも敢えて無視をしているのか、全く反応を示さなかった。


部屋の中は酷い惨状だった。塔の部屋は腐っても一国の皇子に相応しく、かなり広い間取りと立派な調度品が用意されていたというのに、今は全て紙片の海に沈んでいる。拾い上げてみると、それらには全て五線譜が書き込まれ、俺にはさっぱり理解出来ない記号が書き込まれていた。


「見るのは結構だけど汚さないでね。それまだ途中なんだ」


部屋の主人はこちらを一瞥もしないまま言い放った。奴は部屋の中で唯一紙片に沈んでいないピアノの前に腰掛け、楽譜に何やら書きつけている。部屋は相変わらず酷い状態だというのに、ジョシュアのやつは澄まし顔で、呆れる程整った容姿には、翳り1つ見られない。俺はなるべく楽譜を踏まないように気をつけながら、ピアノへと近づいていった。


「今度は作曲か? バイオリンはどうしたんだよ。木屑で溺れるほど作ってたじゃないか」


今、この部屋は楽譜に埋もれている状態だが、俺の知る1週間前まではバイオリンに埋め尽くされていた。さらにその前は精巧な彫刻の胸像が、床が抜けるかと思うくらいそこら中に置かれていた。


この男は凝りやすいが冷めやすくもあり、一旦熱中すると満足するまでそれしか目に入らないのだ。そして無駄に才能に溢れているため、極めてしまうと飽きて作品全てを手放すといったことを繰り返していた。この塔にぶち込まれているのも、昼夜問わない創作活動の音で周囲に迷惑をかけないためでもある。


「………ああ、バイオリンね。確かに作っていたとも。形状も従来の型より改善し、材料も無理を言って手に入れ、柔らかすぎず硬すぎもしない最高の逸品を作ったは作ったんだけどね、そうしたらもう満足してしまって。で、次は楽曲作りに凝ってるところだ」

「で? その逸品はどうしたんだ?」

「ああ、楽曲制作費の足しにするために売り払ったよ」


ほら、やっぱり。分かっていたとはいえ、がっくりきてしまった。この男は満足した作品には全く執着しない。例え己が集大成に二足三文程度の価値しかつけられなかったとしても、喜んで手放してしまうのだ。皇子として何不自由なく育ったため金銭に執着しない性質も関係しているが、それだけではない。ジョシュアにとって創作活動はただの暇つぶし。己が才能がどれほどのものなのか試してみただけに過ぎないのだ。


それを初めて理解した時、俺は激昂した。ジョシュアの才能に嫉妬し、羨望していたからだ。しかしそれなりに付き合い、ジョシュアを少しは知れた今は諦念と呆れしか湧かない。ジョシュアの才能には果てが無く、底も無く、凡人である俺に理解が及ぶものではないと分かったからだ。人間は、理解できないものに嫉妬できるほど器用じゃない。


「それで? アシュトン。今日は何しに来たんだ」

「何しにって、別に。お前と話がしたくて来ちゃ悪いのか」


ジョシュアは少しは会話する気になったらしく、向こうから話しかけてきた。しかし楽譜に書き込む手は止めず、鼻歌交じりだ。聞いたことのない旋律は鼻歌でありながら美しく、少しムカついた。


「嘘だな。自主的に来るなら、この時間帯に来るのはおかしい。もうすぐ城は夕餉の時間だろう。……大方、選帝侯か誰かの差し金だな。それともアシュトンの母上か妹か」


相手は楽曲を作る片手間に少し考えただけだというのに図星を突かれてしまい、俺は黙った。相手はあのジョシュア。12歳の時に勃発した内乱を、反乱組織を謀略で搦めとり内から崩壊させることで納めた天才だ。少し入れ知恵されたくらいで俺が勝てる相手ではないのだ。


「それで? 今回は何の話だ。言っておくけど、もう僕は政治に関わるつもりはないよ。狸親父どもの相手なんて、疲れるだけで得るものなんて何もないからね。12歳の時に懲りたんだよ。あと、帝位争いに加わるつもりはない。誰に頼まれようが、助言するつもりもないよ」


ジョシュアは早熟な天才で、2歳で流暢に話し家庭教師について学び始め、6歳で家庭教師からもう学ぶものは無いと宣言したと伝わっている。おまけに天使と見紛うような美しさから、神に愛された皇子なんて言われて人気も高かった。今でも、宮廷の華なんて持て囃されてる俺の姉妹や貴族令嬢なんかと、男の癖に張り合えるような容姿だ。そのため、次期皇帝に一番相応しいと目されていたが、本人はすぐに帝王学に飽きてしまい、13歳の時に帝位継承権を放棄して出奔しようとした。それを周囲は慌てて止め、その才能を惜しんだ者たちがこの塔に半分軟禁したのだ。ジョシュアの機嫌をとるためか奴の行動は出奔以外ほとんど許容されていたが、意趣返しのように頑としてジョシュアが政治に関わることはなかった。


「お前が政治に関わるつもりが無いことは良く分かってる。説得する事の無駄さもな。今日来たのは、来週開催のローランドでのトーナメントの参加についてだ」

「……トーナメント? …あー、そんなものあったな、確か。どうせ僕は留守番だろう。お土産は別に要らないから。それがどうした」


ジョシュアはこの塔に入れられる前に出奔未遂をやらかしたせいで、他国での公務に参加したことがなかった。万が一逃げられることを怖れて、出席させないようにしているのだ。そして面倒くさがった当人もそれを受け入れていたのだが。


「今回のジョスト・トーナメントはいつもと一緒じゃない。開催100周年記念の、これまでで最大規模の大会なんだ! 今まで参加を見合わせてた大陸中の勇士も参加する。これを見逃したら一生後悔するぞ……」


俺はジョシュアの一個上の兄として、協調性の全くない可愛げのないこいつも弟としてそれなりに面倒を見てきた。だから、今までその仲を利用してジョシュアを懐柔しようと近づいてくるような大人たちは全部無視してきた。まぁ、母上と妹にはちょっと逆らえないが…。


だが今回は別だ。100周年記念のジョスト・トーナメント。普通なら他国の武闘大会なんて、皇子なんて立場の俺たちはお忍びでも無ければ見ることは出来ないが、今回は来賓として堂々と見ることが出来る。千載一遇のチャンスだ。武闘大会ファンの俺にとっては殺されたって見る価値がある。


「そんな大げさな……」

「大げさなもんか! 実際に見ればお前みたいな偏屈だって絶対熱中するはずだ!……とにかく、今大会は記念大会ということで、ルーナの皇子も全員招待されてる。それなのにお前だけまたハブなんて可哀想だろう。だから俺が選帝侯達に掛け合ってやったんだ!」

「別にいいのに……」

「お前なぁ…! 少しは感謝の気持ちってものを示せないのか!? あんな怖い人達にお前のために一人で向かっていった俺を労ってやろうとは思わないのかよ!? 」

「あー、はいはいどーも」


ジョスト・トーナメントの価値が全く分かっていないジョシュアは聞く耳持たず、また楽譜に向かい合う作業に戻ってしまった。なんて恩知らずで分からず屋なんだ! 今回の大会には前々回のチャンピオンだけでなく、伝説のトレジャーハンター、不死身とあだ名される傭兵、ベルム救国の英雄と呼ばれる弓取り、ローランドの一番槍の秘蔵っ子などなど、逸話には事欠かない大陸中の猛者達が参加するって聞いている。その腕前を拝みたい観客、敵わないことは分かっていても手合わせしたくて参加する命知らずが後を絶たないと聞いた。どこかの国の王太子も無理やりねじ込む形で直前に参加を決めたらしい。無茶な馬鹿だが、気持ちは分かる。


「それっくらい熱い大会なんだ! もうこんな機会2度とないぞ! 俺に味方してくれたハインズ殿のためにも、お前は行かないといけない!」

「………待て。今、ハインズ殿と言ったか? 君に僕を説得するよう指図したのはハインズ選帝侯か?」

「おい、人聞きが悪いこと言うな! ハインズ殿はお前の境遇に同情して、他の選帝侯達にお前の参加を認めさせようと説得してくださったのだぞ!」


ジョシュアは俺が今日この部屋に来てから初めて楽譜に書き込むのをやめ、腕を組んで何やら考え始めた。やっと俺の熱意を認めて大会に参加する気になったのだろうか。


「アシュトン。僕の参加に難を示していた選帝侯の様子を教えてくれ。特にマルクス選帝侯を詳しく」

「? いいけど、何でだ? ……他の選帝侯達はほとんど嫌がってたよ。ハインリヒ殿は特にだな。あの方の執務室とお前の前の居室は近かったからな。創作する時の騒音とかで散々迷惑かけたし、未だに目の敵にしてるみたいだな。後は、お前の出奔騒ぎが尾を引いて、って感じだな」

「もう2年前なのに、皆しつこいな」

「それはそうだが、お前が言うな!! 少しは反省しろ!! ………あー、マルクス選帝侯はあんまり反対してなかったな。むしろ、少し同調してたかも? ハインズ選帝侯といつも仲が悪いのに珍しかったな」

「はーん、なるほどね。ちょっと面白くなってきたな」

「お!! やっとお前も参加する気になったか!!」

「うん、面白い賭けが出来そうだ。僕も参加するよ」


今の話で何に食いついたのかはさっぱりだが、ジョシュアも参加する気になったようだ。やった!! これで心置きなく大会を楽しむことができそうだ。


しかし、今ジョシュアの奴、賭けとか言わなかったか? まさかあいつ、ジョスト・トーナメントの賭けをするために参加するんじゃ…


「こら、ジョシュア! ジョストの賭けなんかお兄ちゃん絶対に許さんからな! あそこは大会時期だけ開かれる賭場だから、当たればめちゃくちゃ儲かるけど、違法イカサマ詐欺なんでもありの犯罪の温床なんだ! 俺たちみたいなボンボンが行ったら尻の毛まで抜かれて奴隷市場にポイだぞ!」

「アシュトン、やけに詳しいね…」

「武闘ファン仲間が言ってたんだ、死んだ目で…。とにかく、ダメなものはダメだぞ!」


いくらジョシュアが天才で、俺が武闘大会の熱心なファンでも、俺たちは2人とも武術の腕はからきしのもやしっ子だ。そんな危ない所に行ったら無事じゃ済まないだろう。俺がジョシュアの参加を承諾させた手前、責任もある。何やら考え込んでいるジョシュアを横目に、大会中は目を光らせるよう決意を固めた。

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