火の無い所に煙は立たない
「はー、そんでいつなら大常卿に会えるの?」
自室の窓から空を眺めながら、溜め息混じりに呟く。ここは王宮の端、東宮の王太子の私室。あのトロールと山賊の討伐から帰還して1週間が経った。
あの後、私はネッド団長と共にシセさんと怪しい男の遺体を持って超特急で王都へ帰還した。その際、騎士団は二手に分かれ、1つは帰還組、もう1つは山賊の虜囚をつれ、領主の私兵と合流。その後、山賊の残存がいないか見回り、囚人を王都に護送するという役目を担った。
騎士団の大半は残る方に着き、ロベルト副団長が率いた。そちらの方が大変そうだと思ったが、こちらも遺体の傷みがなるべく少なくなるよう、行きにも増した強行軍を強いられた。あれは思い出したくない記憶だ…。
ともあれ、団長と共に討伐の内容を報告したところ、直ぐさま怪しげな男は遺体ごと神官達に引き取られ、私は何度も同じことを証言させられたのだが、何が分かったのかは1週間経つというのに未だに教えてもらっていない。そこで王国中の神殿、神官を束ねるトップ、大常卿に面会を求めているのだけれど、全く返事はなかった。断り状すらない。
「閣下はフラン殿下と違ってお忙しい方ですから、そう簡単にお時間を取れないのでしょう」
「ぐぬぬ……」
憎まれ口を叩くのは小憎らしい鉄仮面侍従で、主人である私がこんなに苦労して帰って来たというのに、鋭過ぎる舌鋒は緩む気配も無かった。
しかし、大常卿が忙しいのは真実だ。この国は多神教徒がほとんどで、お隣のルーナ帝国その他と比べて民の信仰心は篤い方ではないのだが、その代わり宗教が生活に密接に根付いている。結婚は婚姻の神の神殿で、葬儀は死の神の神殿で執り行うし、農業は豊穣の神の神殿が出す暦に基づいて行い、医師は医療の神の神殿に勤める神官でもある。そのため、神官たち全てを束ねるトップは大常卿と呼ばれる大臣で、神殿と国政の橋渡しをしているのだ。その忙しさは成人もしていない王太子の比では無いだろう。
だが自分の力不足故にシセさんを亡くした時、もうこんな犠牲を出さないよう今まで以上に剣の腕を磨き、原因となったトロールの謎を解明すると決めたのだ。こんなところで立ち止まってはいられない。
「なら、もう僕が直接神殿に出向くよ。それがダメなら鍛練に行く」
「なりません。むやみにお姿を見せるのはお控えくださいと申し上げたはずです。せめてもう少し噂が収まるまでは我慢なさってください」
そうなのだ。私がトロールと山賊退治に成功したという報告が、どこをどうしたのか、変な噂になって城中に広まってしまっているのだ。例えば、トロールを一人で一発で打ちのめしたとか、トロールをみじん切りにしたとか、トロールを素手で八つ裂きにしたとか。だいたいそんな感じの。
なんだそれは。本当だったら人間辞めてるじゃないか。
「……仕方ありませんよ。今までの振る舞いのせいで、下手に信憑性がありますし。実際、お聞きした限りではそんなに事実と離れてはいないと思いますが」
「離れてるに決まってるでしょーがっ! なんだよ素手で八つ裂きって! 本当だったら僕の方が討伐対象だわ!!」
「まぁまぁ、落ち着いてください。さすがに素手ではないと皆も分かってますよ」
「剣でだってないわっ!!……クソッ、どいつもこいつも人を珍獣扱いしやがって…! 外も満足に歩けないってどういうことだよ!」
「大丈夫ですよ。東の国の言葉では人の噂も七十五日というそうです。しばらくすれば忘れてくれないにしても、少しは薄れてくれるはずです。……多分」
「そこは言い切ってよ!……ああ、どうしよう。噂が消えてくれなかったら。もうお嫁に行けない……」
「………それは最初から無理だと思うので、気になさらなくて結構です」
しかし、あーだこーだ言っていても進展はない。バレると評判を落とすのでやりたくはなかったが、お忍びで神殿に行き、大常卿でなくとも事情が分かっていそうな人に直談判をすることに決めた。
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準備が整った翌日。私は目星をつけていた、月の神の本殿に行くことにした。月の神は純潔を尊ぶ女神なので、昔から結婚前の少女の行儀見習い先として人気で、一時期しか勤めない若い巫女がどの神殿でも複数いる。本殿ともなるとその数はかなり多く、いちいち全員の顔を覚えてられない程だろう。そして月の女神にはもう一つの側面がある。魔術を司る女神という側面だ。その昔は巫女ではなく魔女が仕えていたそうだが、本物の魔女など見なくなって久しいため、魔術を使えるものなどいないだろう。しかし、神官長ともなればそういう類に詳しいはずで、今回のトロールの件にも関わっているはずだ。そこで私は巫女に紛れて神殿に潜り込み、王太子の地位を使って神官長に事情を無理矢理にでも教えてもらうことにした。
「この格好おかしくないだろうか。ちゃんと巫女に見える?」
計画を聞いて嫌がる鉄仮面侍従に無理矢理協力してもらい、事前に手に入れた巫女服で女装する。女なのに女装するというのも変な話だが、神官長の前では変装を解いて話をするため、王太子としての格好の上から巫女に変装することにした。幸い月の神殿の巫女服は、慎ましく淑やかにをモットーにしているので露出はなくゆったりとした服だ。私も女だし、そんなに違和感は無いと思うのだけど。
最終確認をしてから巫女服と髪と顔を隠すベールを脱いで鞄に仕舞うつもりだ。少しでもバレる確率を減らすため、巫女への変装は神殿に入る直前にやる予定にしている。
「…そうですね、殿下の頭の中身程にはおかしくないと思いますよ」
「おい、喧嘩売っとんのか。…真面目に答えてよ。この完成度の如何で、神官長の前にバレる確率が変わるんだ。途中でバレてみろ。この国の王太子は女の園に女装して侵入する変態だと言われるぞ!」
「その通りじゃないですか。良かったですね、トロールの噂は立ち消えになりますよ」
「それどころじゃないわ! 社会的に即死するわっ!!」
「……では、おやめください」
鉄仮面侍従は、今までにない真剣な眼差しでこちらを見つめていた。いつもの呆れた調子や馬鹿にした気配は微塵もない。
「なんだよ。お前、今回はやけに食い下がるな。そんなに僕の醜聞を避けたいの?……でも、それなら今広まってる噂の沈静化に動くはずだ。狙いは何? このトロールの件に関わって欲しくないの?」
「両方です。避けられるなら、避けていただきたい。このトロールの件は、関わるべきではないのです」
「……それはお前の私見? それとも陛下からのご命令か?」
忘れがちだが、この侍従は陛下からの命で私の側仕えをしているのだ。当然、命令の優先順位もそうなる。だからどちらかの筈だけど、答えは意外なものだった。
「それは、お答えできません……」
そう言って侍従は黙し、俯いてしまった。これはどういうことだろう。例え陛下の密命だったとしても、私も陛下に逆らえる立場ではないので、陛下からの命だと言えば私は渋々取り止めたはずだ。それなのに濁すということは、侍従の私見ではなく、かといって陛下でもない、誰かからの指示、ということだ。それをこんなに分かりやすく示している。嘘をつくことも出来たのに。
「なら、僕も従うことは出来ないな。お前はここでお留守番でもしてろ!……ありがと」
「殿下、お待ちください!……お気をつけて」
後半だけ小声にしてやり取りする。私にトロールの謎を知って欲しくない誰かがいるのだろう。鉄仮面侍従に命じられる立場の誰かが。おそらく、私が大常卿と面会出来ない理由も多忙だけではない筈だ。分かりやすく私にバラしてくれたアイツに感謝し、より用心して取り組もう。
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王宮から月の神殿に近い出口へと向かう道の内一番人目につかないルートをなるべく自然に見えるよう進む。あんまり通ったことがないため、すれ違う官吏や女官達に訝しげに見られたが、なるべく堂々とするよう気をつけた。
人目につかないからか、特に障害もなく進み、出口へとあと少しというところ。油断していたのが悪かったのか、特大級の邪魔が入った。
「これはこれは。今お噂の、王太子殿下ではありませぬか。珍しい。もう引き篭もりはおやめになったご様子。そのように忙しない様でどちらに行かれるのです?」
優雅で上品な声と言葉使いで、刺々しさを欠片も隠さない言葉を打つけてくる貴婦人。美貌と高貴さは疑うべくもないが、キツい顔立ちと絢爛な衣裳、そして何よりゴミでも見るような眼差しが性格を雄弁に物語る。
「…お久しゅうございます、お義母上」
「ここは非公式の場とはいえ、王宮でしてよ。さすが噂の王太子殿下は礼儀を弁えていらっしゃいますわ」
「失礼致しました、王妃殿下。ご機嫌麗しゅう」
真の後継者である弟王子の生母であり、宰相の一人娘でもある、陛下の正妃。マノン王妃殿下が何故か目の前に現れた。
……あああ、神殿に辿り着く気さえしなくなってきた。




