悪意の残影
ふらふらしながらも、崩れた民家へと辿り着く。現場では、ロベルト副団長はじめ数人の騎士達が崩れた瓦礫の撤去を行なってくれていた。私も急いでそれに加わる。
「王太子様、ネッド、大丈夫だったか?………王太子様!? どうされたんですか、その格好! どこかお怪我されたんじゃ…?」
ロベルト副団長が振り向いてこちらを見るなり、大声を上げた。その言葉を聞いて、自分の格好を改めて見ると酷い有り様だ。トロールの血で、半身が濡れていた。
「ああ、いや、僕の血ではないから大丈夫だ。怪我は1つもないよ」
「それならいいんですけどよ……。ああ、ガレキの撤去なんて俺らがやるんで、下がっててくだせぇ。さっきまでトロールとやりあってたとお聞きしやした。ちょっくら休んでてくだせぇ」
近くのガレキを拾おうとしたら、ロベルト副団長に奪われて、下がるように言われた。確かに先ほどの疲労のせいで力が入らず、逆に瓦礫撤去の邪魔になりそうだ。
おとなしく下がって皆の撤去作業をもどかしい思いで見ていると、視線を感じた。ネッド団長の心配気なものだ。目を合わせると、彼は瓦礫撤去の手を休めずに話しかけてくれた。
「……殿下、本当にお怪我はありませんか? アランはトロールの攻撃が掠っただけで、アーマーが破損し、酷い打撲を負ったそうで」
「僕は身軽ですばしこいのが取り柄だからね。本当にどこも怪我してはいないんだ。貸して貰ったマントのおかげかな。……こんなに汚してしまってすまない。マントは出来るだけ綺麗にしてみるが、汚れが残っていたら教えて欲しい…」
弁償致しますので。トロールの血って人間と同じようなものなのかな…。アラクニーの糸が洗濯で痛まないといいんだけど。
「殿下がご無事ならば何より。マントをお貸しした甲斐がありました。汚れはお気になさらず、アラクニーの糸製のものは汚れが落ちやすいので」
良かった。助かった。
「しかし、今回は殿下のご武運勝り、ご無事であられたが、あのトロールが被害報告のものと同じであれば、奴はここの御領主の歩兵中隊を全滅させています。直前にも申し上げたはずだが、何があっても絶対にお一人では戦わないように。お約束ください」
ネッド団長は今までで一番怖い顔で約束を迫った。もちろん心配してくれているからだし、私の命が立場としてここにいる誰よりも重い事を知っている。しかし、あそこで私が引いてしまっていたら、アランさんまでも確実に失うことになっていただろう。
「………努力はする」
しばらく睨み合った後、そう答えるのが精一杯だった。ネッド団長は大きく重い溜め息を吐いて、瓦礫の撤去作業に専念した。
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しばらくして瓦礫の撤去は終わり、シセさんのご遺体が見つかった。やはり、シセさんの身体の一部分は大きく損壊し、トロールに噛みちぎられたような跡が見受けられた。………あの時、あの若い男を即死させていれば、あるいは私の力がもっと強くてシセさんの手を離さなければ、彼は死ななくて済んだのだろうか。
申し訳なさと、後悔と、それ以上に激しい自分への怒りで、彼を直視することができなかった。
「おい! シセ以外にもう1人いるみたいだぞ!」
予想外の声が上がったのはそんな時だった。
「………え?」
「…シセ以外にも人がいたのですか?」
すぐ傍にいたネッド団長に問いかけられる。しかし、アランさんとシセさんと私があの男に気がついたのはあの民家を探索し終わって出る直前であり、あの男以外には誰もいなかったはずだ。
ネッド団長の問いには答えず、急いで声のしたところへ駆けつけると、そこには瓦礫によりひしゃげた男の遺骸があった。
瓦礫で潰されたため、人相はよく分からず、背格好から男だということしか分からない。しかし、喉を切り裂かれ、肩から腹まで袈裟斬りにされた傷にはよく見覚えがあった。
「……トロールに変化した男だ…! いったいどういうことだ…?」
無言で私に問いかける騎士達に答える。しかし、一番混乱して問いかけたいのは私だ。コイツは、確かに私たちの目の前でトロールに変化したはずだ。それなのにどうして死体が、しかも瓦礫に押し潰された状態で見つかるんだ。これではまるで、トロールへの変化など無かったようなものではないか。
訳がわからない事態に固まる私達の元へ、さらに息を切らした騎士達が飛び込んで来た。
「た、大変です! トロールの死体が消えました!!」
「何っ!?」
トロールの死体があるのはこの民家の目と鼻の先だ。それなのに私含め誰も気づかなかったというのか。
急いでトロールのいた場所に戻ると、大きな血溜まりだけを残して、あの巨体は跡形もなく消えていた。5m以上あったと思われるのに、どうやったというのだ。
駆けつけた私達に現場にいた騎士達が報告をしてくれる。トロールの死体は騎士達の目の前で前触れもなく音もなく、煙のように消え失せたそうだ。
「全くワケがわからねぇ。俺たち、全員魔法か呪いにでもかかっちまったとでもいうのか?」
頭を掻きながら困惑しているのはロベルト副団長だ。しかし、魔法などという不思議な力はとうの昔に滅び去り、今は御伽噺とペテンの例えに使われる程度のことだ。そして呪いは、怪物と邪教徒と呼ばれる怪しげな者たちの一部が使うことのできるという忌まわしい力、と言われている。しかしこっちも、実際に呪いと断じられるものはここ数十年みられていない。いずれもあり得ないものの例えにされている。
「滅多なことを言うな、ロベルト。確かに不可解なことが多過ぎるが、その言葉、特に後者は忌み嫌われている。ルーナ他信仰の篤い国では、発言だけでも異端審問官を呼ばれかねないぞ」
「すんません、団長…」
そしてネッド団長は、立て続けに目の前で起きた理解不能な事態に頭パーンしそうな私に、預けていた剣を差し出してくれた。
「確かに不可思議な出来事は多く残っておりますが、我々は討伐任務を果たしたと言えるでしょう。帰還いたしましょう、殿下。そしてこれら怪しげな事は、神殿に助言を請いましょう。少なくとも我々よりはお詳しいはずだ」
そう言って差し出された抜き身の剣身は柄を含めて曇りや汚れ一つなく、むしろ前よりも輝きを増し、血に濡れたことなど無さそうだった。




