悪意との争闘
※残酷描写注意
トロールが唐突に眼前に現出した。
いや、男の死体がトロールに変わったのか。
とにかく有り得ない光景に、3人で唖然として固まっていた。
「2人ともっ!! 退避しろっっ!!!」
私は巨大化の途中で我に返り叫んだが、2人は全く反応しない。仕方なく2人の腕を掴んで後ろ跳びに退避したが、完全武装した成人男性2人はさすがに重過ぎて引っ張りこめず、座り込んでいたシセさんの手は途中ですっぽ抜けてしまった。
「シセっ!! シセっ!!」
私達が転がるようにして民家から飛び出すのと、トロールの大きさに耐えかねて民家が崩れるのはほぼ同時だった。我に返ったアランさんは民家に必死に名を叫ぶ。しかし、彼の悲痛な呼びかけに応えたのは、立ち上がって民家から姿を現したトロールだった。
「貴様っ……!!」
立ち上がったトロールは、何やら口をモゴモゴ動かしている。口周りはべったりと赤く染まり、見間違いでなければきっと奴は……。
「アランさん!! いけないっ!!!」
すぐにアランさんを制止したが、彼は矢の様に飛び出し、トロールに斬りかかっていった。
「クソッ!!…アランさん!!」
激昂したアランさんにはすでにトロールしか見えていない。彼は一直線に脛を斬りつけたが、トロールに効いている様子はなく、奴は右手の棍棒を足元に向けて振り下ろした。とっさにアランさんは退避するが、頭に血が上りすぎたからか、チェーンメイルが重過ぎたのか完全に避けることは出来ず。棍棒は彼の足を掠めた。足に掠っただけの様に見えたが、それだけでアランさんは崩れ落ちてしまった。
しかし、トロールの2撃目がアランさんに決まる前には間に合い、私は渾身の力でアランさんを投げ飛ばし、場所を入れ替わった。
「ちっっ!!!」
しかし何という馬鹿力なのだろうか。アランさんの様子を見て、振り下ろされた棍棒は受け止めず、剣で受け流すようにしたというのに、私の長剣は弾き飛ばされ、右手が痺れてしまった。足下に落ちていたアランさんの剣を左手で拾い、横跳びに跳んで間合いをとる。
右手を確かめてから拾った剣を構えるのと、トロールが再び棍棒を構えるのはほぼ同時だった。………大丈夫。コイツはロベルト副団長よりずっと遅い。それに右手も動くし力も入る。
トロールが私に向かって棍棒を振り上げる。それを見てからトロールに突っ込み、転がり込むようにして、丸太より太い両足の間をすり抜ける。行けた。うまく背後を取れた。
「くらえっっ!!」
立ち上がると同時に怪物の左のくるぶしを横薙ぎにした。足の腱を切って、このデカブツを転ばせてやる!
「っ!?」
しかし私の渾身の一撃は、くるぶしを浅く一文字に傷つけただけで、逆に刃が欠けてしまった。まるで、岩を切るかのような手ごたえだ。……アランさん、帰ったら剣の砥ぎ代の請求は王宮宛でお願いします。
「なんちゅー硬さだよ、岩かっての!…おっと!」
トロールは傷つけられた足をそのまま後ろ蹴りにし、直ぐさま私に向き直った。倒れ込んでいるアランさんより、私を標的としたようだ。私にとってはありがたい判断だが、皮膚の硬さといい、賢さといい、普通のトロールとは段違いのようだ。だけど、あの硬さ。参ったな。
私は切れなくなった剣を投げ捨てると、猫のように身体をしならせ、飛びすさって、最低限の動きでトロールを避ける。嘲弄するかのように、わざと足下でうろちょろしてやった。奴もイライラしてきたのか、棍棒だけでなく、左こぶしも使って私を攻撃してきた。ちょこまか動く私に手を伸ばそうと、身を屈める。…今だ!
「お師範! ごめんね!!」
懐の短剣を抜きざまに、奴の濁ったどんぐり眼へと投げうった。短剣は狙い違わず、柄も通れとばかり目玉に突き刺さり、トロールは野太い叫び声を上げて悶え苦しんだ。やはりどんなに皮膚が硬くとも、目玉は弱いらしい。あるいは師範の短剣が鋭過ぎるのか。
片目を失ってもがき苦しみ、暴れるトロールから距離をとる。無事な片目の視野にわざと姿を見せて、決してアランさんの方には向かわせないよう誘導も忘れない。しかし、痛みが落ち着いたら怒り狂い、今以上に暴れて手がつけられなくなるだろう。その前にカタをつけなくてはならない。素早く周囲に目を走らせると、そう遠くない所に私が元々持っていた長剣が落ちていた。
トロールから目を離さず、急いで長剣を拾い上げる。さっと剣に目を走らせると、ありがたいことに剣身には欠けどころか汚れ1つもなかった。……汚れ1つない?
いやいや、さっき男を斬ってから剣を拭う暇無かったし、血脂1つ無いっておかしいでしょ。
またまた理解不能なことが起きて頭がおかしくなりそうだが、考えこんでいる暇はない。とりあえず、刃の鋭さに問題は無さそうなのでラッキーだと思って使い、なんでかはあのトロールを討伐してから考えよう。
改めて王家の長剣を構え、トロールに対峙する。奴は片手で失った片目を押さえ、もう片手で棍棒をめちゃくちゃに振り下ろしていた。だが、アランさんからは遠い場所に誘導したので、彼に被害は無さそうだ。無傷だった時よりもスピードがあり、下手に近づくと巻き込まれそうだが、まだ対応出来そうな速さだ。しかし、あの異常な皮膚の硬さ。どこに斬り込むべきか。
逡巡している暇はない。私はさっきと同じ要領でトロールの足元に転がり込むと、力を込めて、今度は右ふくらはぎを突き刺した。……かなり硬いが、一尺ほど突き刺さる。うん。これならいける。
私はすぐに剣を抜き、また後ろ蹴りが来る前に離脱して左足の傍に残った。トロールの丸太のような足にとっては小さな刺し傷だろうが、痛いものは痛いだろう。少し右足を浮かせて、こちらに振り向こうとする。その隙を逃す訳にはいかない!
「はああああっっ!!!」
渾身の力を込めて、左くるぶしを斬り裂いた。さっきつけた傷をなぞるように、しかしもっと深く。私の長剣は先ほどよりも斬れ味を増したのか、左足首を中ごろまで切断する勢いで斬り裂くことができた。その勢いのままトロールと距離をとる。
狙い通り奴は何もない方向へどうと倒れて、うつ伏せになった。トロールは無防備に背面を晒している。とどめを刺すなら今しかない。
うつ伏せのトロールにとどめを刺すなら首を断ち切るのが手っ取り早いが、皮膚も硬いし骨が邪魔だ。しかし、先程腱を断つつもりの斬撃で、左足首を半分ほど断ち切れたことを思い出した。この長剣ならいけるだろう。
私は直ぐさまトロールの背中を駆け上がり、頸に立ってトロールを見下ろす。トロールは気絶してるのかなんなのか分からないが、荒く呼吸するだけで、身動ぎ1つしなかった。
首元に立つと、トロールの首回りに何か入れ墨のような模様があることに気がついた。握り拳大の見たことのない文字が、ぐるりと首を一周しているようだ。普通のトロールにあるのかどうかはよく分からないが、今はどうでもいいことだ。
「はあっっっ!!!」
1つ深呼吸をしてから、裂帛の気合いを込めて首筋を斬り裂く。何か硬質なものを斬ったような手ごたえと、パリンッという硬い何かが割れる音が一瞬あったような気がしたが、直ぐさま肉の手ごたえと、トロールから噴き出る鮮血に紛れて分からなくなった。
太い血管に当たったのか噴水のように血が出ているが、まだトロールの首は落ちていない。トロールが起き上がってこない保証はない。もう一度斬らないといけない。
血で滑る手で柄をしっかりと握り直し、再度剣を構える。
「……もう、よろしいでしょう、殿下」
剣を振るう直前、私が剣を構えた手を、籠手をはめた手が横から掴んで止めた。ネッド団長の手、ネッド団長の声だ。
「もう大丈夫です、トロールは死んでおります。貴方がもう手を汚す必要はない」
「………あ…」
「アランは無事です。怪我は大事ありません」
「……ああ」
「部下をお守りくださり、ありがとうございます。遅くなり本当に申し訳ありません…! もう、終わりました」
「…ああ、良かった……!」
情けないことに、緊張が解けて今更ながら全身がガクガクしてきてしまった。剣を取り落とし、へなへなと力なくうずくまる。
ネッド団長は落とした剣を拾い上げ、私を立たせようとしてくれたが、それより前に早く伝えないといけない。
「シセさんが…! あの崩れた民家からトロールが出てきたんだが、その前に中にシセさんを置いてきてしまった。早く、早く行かないと! わたっ、僕が彼を置いて行ったんだ」
「大丈夫。先にアランから話を聞き、すでにロベルト達を民家に遣わしています」
「なら、僕も早く行かないと!」
腰を抜かしている場合ではない。ネッド団長に支えてもらいながら、急いで私たちは崩れた民家に向かった。




