8 執事とメイドの電話練習
瑠衣が猛スピードで飛び出していった扉をぽかんと見つめながら、華凛と大和は頭を寄せ合ってコソコソと話を始めた。
「いくら何でも、ちょっと免疫なさすぎない、るいるい?」
「……やっぱり、ずっと女子中出身だからかな? でも、華凛はそういうことないよね」
「女子校って世間でいうとこの『サバサバ系』な感じの子が多いけどね。まぁあーいう子もいるわ」
主たちは楽しげだが、悠斗だけは「完全にやってしまった」と心の中で冷や汗を流していた。壮大な任務の相棒に嫌われるとは、あまりに致命的過ぎる。
「……あの、大丈夫ですかね。不快な思いをさせてしまったみたいで」
悠斗が恐る恐る尋ねると、大和は悪びれもせずにショコラを食べながら笑った。
「んー、大丈夫だと思うよ。こういう距離感にも慣れてもらわないと、これから僕達が困るし。デートコースの下見のお願いは、まだまだこれからもしてもらう予定だし」
「は、はぁ……」
慣れる、慣れないの前に今回ので嫌われてしまった気がするが……
「まあ、でも……今日は悠斗君たちが先に帰ってあげた方がいいかもなぁ。じゃないと、富士見がここに戻ってこられなくなっちゃいそうだし」
「も、申し訳ございません……」
他家の優秀なメイドに不快な思いをさせてしまったことに悠斗は深く頭を下げた。だが、大和は「いいって、いいって」と優しく手を振った。
「気にしないで。ちょっと来週に、また二人に『お願いしたいこと』があるんだけど、それは後で連絡するね」
「かしこまりました。……では、お嬢様、そろそろ失礼いたしましょう。他の生徒たちの下校時間と重なれば、またカモフラージュが面倒になります」
悠斗が促すと、華凛は「はーい」と満足そうに立ち上がった。そして、大和の首に腕を回してその頬にちゅっと軽いキスを落とす。
「よーし、面白いものが見れたし帰るわよ。大和、またね。大好きよ」
「うん、ありがとうね、華凛。気をつけて。僕も大好きだよ」
誰もいないセーフスペースで、息をするように超高密度のイチャイチャを繰り広げる主たち。
(本当に同い年なんだよなこの人たち……? 恥ずかしくて直視できない)
自分の主たちのあまりのバカップルぶりに心の中で盛大なツッコミを入れつつ、悠斗は華凛のバッグを手に取り、部屋を後にした。
◇
月若家の広大な屋敷に戻り、陽が落ちた頃。悠斗はいつも通り、華凛の部屋に控えていた。
「お嬢様、本日のお食事は……」
「今日は部屋で食べようと思う」
「お部屋でですか? 珍しいですね。ダイニングのセッティングはすでに完了しておりますが」
「いいのいいの、部屋に運んで。……実はね、これから大和と電話しながら食べるの。そのあと、大和とネットで映画のウォッチパーティをする約束をしてるから」
「あー……なるほど」
悠斗はすべてを察し、小さく苦笑した。昼間にあれだけイチャイチャしておいて、夜は夜で二人で映画鑑賞というわけか。相変わらずの熱烈ぶりに、もはや感心するほかない。
「そういうわけだから、御膳を運んだら今日の業務は終了でいいわ。悠斗も早く部屋に戻って休みなさい」
「……かしこまりました。それでは、ルームサービスをご用意いたします」
華凛のろけのおかげで、今夜はいつもより早くお役御免となった。いつもだったら自由時間に歓喜するところだろうが、今日の悠斗の足取りは驚くほど重かった。
(明日からどうしよう。業務の支障が……)
「あーっ疲れた!」
ネクタイを緩め、手袋をテーブルに投げつけ悠斗は、大の字になってマットレスへと倒れ込んだ。
入学式からの三週間、定時を過ぎても息つく暇なく業務に追われる日々だった。お嬢様のお小遣い管理に、イチャイチャスポットの選定。こうやってベッドでゆっくりできるのも久方ぶりだった。
(お嬢様の様子からして夜の無茶振りはないだろう)
最愛の恋人と夜通しウォッチパーティを楽しむ主の顔を思い浮かべ、悠斗はひとまず今夜の危機は去ったと確信し、深く安堵のため息を吐いた。
そう、お嬢様からの理不尽な呼び出しを心配する必要は、今夜に限っては絶対にない。
ない、はずなのだが――。
――ブブッ、ブブッ。
静まり返った自室に、低く、しかし重々しいバイブレーションの音が響いた。
音がしたのは、日常業務用の端末からではない。デートの次の日にお嬢様からいただいた、日ノ内との連絡用のスマホだ。表示されている富士見瑠衣の文字のボタンを押した。
「おつかれさまで――」
「あ、あの先ほどは……申し訳ございませんでした」
悠斗の声を遮る、瑠衣の声。いつも淡々としていた口調でなく明らかに上ずりで緊張している声だった。
「え、あ、いや……」
「星原さんにも恥をかかせることになりました。本当に、本当に申し訳ありません」
悠斗は呆気に取られつつも、心の中でストレートな安堵の息を吐いていた。
(よかった……。この感じ嫌われてはなさそうだ)
「富士見さん、落ち着いてください。私のことは大丈夫ですよ」
「……本当ですか?」
「本当ですよ。命令だったとはいえ、こちらこそ急に変な呼び方をしてしまってすみません」
悠斗が苦笑しながらなだめると、電話の向こうで「ふぅ……」と、瑠衣が小さく胸を撫で下ろす気配が伝わってきた。ところでなぜ電話をかけてきたのだろうか。
そもそも今日までこのスマホを使うことなんてなかった。チャットすらしてしていない。
「富士見さん、本日わざわざお電話をくださったご用件は……?」
「あ、そうでした。大和様から伝言です。五月頭にある、日帰り林間学校の下見をお願いしたいそうです」
「なるほど、かしこまりました。後日日程を調整いたしましょうか」
「はい。よろしくお願いいたします」
(これならわざわざ電話するようなことか? こんな内容……)
悠斗はベッドの上で頷きながらも、心の中で違和感を覚えた。
たしかに重要任務ではあるが、わざわざ夜遅くに直接通話をしてまで伝えるような緊急連絡だろうか。それこそ、メッセージを一件残しておけば済む話ではないか。
悠斗のそんな疑問を見透かしたかのように、電話の向こうから声が聞こえた。
「……なお、メッセージではなく、このように直接お電話を掛けさせていただいたのは、星原さんともっと『密に』やり取りをするためです」
「密に?」
「はい。さきほど華凛様から直接、私の端末に連絡がありまして……『悠斗ともっと連絡をとりなさい! 次の林間学校の下見でヘマしたら、いくらるいるいでも怒るからね』と」
「あー……」
なるほど、と悠斗は天を仰いだ。主たちの厄介な無茶振りが、今度は瑠衣の方に向いていたらしい。
「なるほど、うちのお嬢様がすみません」
「いえ……確かにお嬢様に言われましたが、私ももっと星原さんと仲良くなりたいですから」
「え、それは」
「私、友人がいないので。同い年の男性と話す機会もありませんし……」
受話器の向こうから返ってきたのは、あまりにも予想外な言葉だった。
これは、大富豪の専属使用人という、特殊すぎる環境で生きてきた者だけが共有できる、孤独だ。
その気持ちは、悠斗にも痛いほどよくわかった。自分も、幼い頃から華凛のお世話係として屋敷と学校を往復するだけの日々。実際に友達と呼べる存在はいないし、夜にこうして気軽にチャットや通話をする同級生なんて一人もいなかった。
「……そっ、か」
「これは、その、今後の任務を円滑にこなすための戦術的な親睦であって、決して他意があるわけでは——」
悠斗の沈黙に焦ったのか、瑠衣の声が急にワタワタと上ずった。携帯越しのそのリアクションに気づけば、ベッドの上で小さく笑っていた。
「俺も同じです。あの、富士見さん――たまにこうやって連絡しあいませんか? 私もせっかく知り合えた同い年ですし、任務もそうですし、それ以外でもお話したいです」
「……是非、お願いします」
その返事は、いつもの淡々とした感じとは違う明るい感じだった。
三月に急遽告げられた秘密の作戦。前途多難になると思っていたこの任務は、思いがけない「初めての友人」も連れてきてくれた。
明日から一日一投稿の19時更新にさせていただきます!




