2 執事と密会
午前の入学式とガイダンスも終わり教室棟の前で待機していると、華凛が複数の女子生徒に囲まれて出てきた。
悠斗は一切の躊躇なく、華凛たちの輪へと近づいていった。そして、女子生徒たちの視線が一斉に集まる中、華凛の前で完璧な角度のお辞儀をして見せる。
「お嬢様、お楽しみのところ失礼いたします。急遽教員から直接ご挨拶をしたいと、先ほど連絡が入りました」
「……仕方ないわね」
華凛は悠斗の言葉にわずかに眉を寄せた。そして、周囲の女子生徒たちに向き直る。
「みんな、ごめんなさい。また明日、改めてお話ししましょ」
名残惜しそうに見送る女子生徒から離れ、悠斗の前までやってきた。周囲の人間から十分な距離を置き、誰の耳にも届かないよう華凛に耳打ちする。
「お嬢様、合わせていただきありがとうございます」
「当然。待ってるんでしょ? 彼が」
「はい。すでにあちら側はスタンバイしているようです。行きましょう、お嬢様」
「ええ、案内しなさい!」
華凛は嬉しそうな様子を見せながら、悠斗の斜め後ろについて歩き出した。
指定された目的地である、理事長室の隣の部屋。辿り着くと、そこには先ほど教室で悠斗の隣に座っていたメイド——富士見瑠衣が、佇んでいた。
彼女は華凛と悠斗の姿を視界に捉えると、スカートの裾をわずかに持ち上げこちらに一礼してきた。
「わざわざご足労おかけして申しわけございません。どうぞこちらに」
「ええ、ありがとう」
瑠衣は手を伸ばし、ドアノブを音もなく回す。開かれた扉の向こうに広がっていたのは、大きなテレビモニターに、シックなソファのプライベート空間。
そして、そのソファにゆったりと腰掛けていたのは——。
「わざわざ来てくれてありがとう、華凛」
「っ……。会いたかったわ、大和ー!!」
先ほどまで周囲に見せていた凛とした令嬢の仮面は、その姿を見た瞬間に吹き飛んだ。華凛は一目散に部屋へと駆け込むと、ソファから立ち上がった大和の胸へと全力で飛び込んでいく。大和はそんな彼女の突撃を慣れた様子でしっかりと受け止め、細い体をぎゅっと抱きしめた。
しばらくの間、華凛の髪を撫でていた大和だったが、ふと、彼女の肩越しにこちらへと視線を向けた。
「……悠斗君も久しぶり。『あのこと』についてはもう聞いてるよね?」
「はい。将来的な婿養子入り、および学園内におけるお二人の婚姻関係のサポートについて、すでに旦那様より拝命しております」
悠斗が胸に手を当てて一礼すると、大和は申し訳なさそうに、けれど少し嬉しそうに微笑んだ。
「富士見も頼む。僕だけでなく、これからは華凛のことも支えてほしいんだ」
大和が、いつの間にか悠斗の隣に音もなく並んでいたメイド——瑠衣に声をかけた。
「勿論でございます、大和様。これよりは月若家の星原さんと密に協力を図りながら、誰に察知されることもなく、両家とお二人の恋路を支えていく所存です」
瑠衣が「星原さん」と自分の名前を出し誓ってくれたことに、悠斗は心の中で小さく背筋を伸ばした。彼女がいれば、日ノ内側のコントロールは完璧だろう。
「……そうか、ありがとう。二人ともよろしく頼むよ」
大和は二人の使用人に深く頷くと、腕の中の華凛を優しくソファへと座らせた。
「では、さっそく話したいことがある。日ノ内からの伝言と僕からのお願いだ」
大和はブレザーのポケットから、二つの鍵を取り出しローテーブルに置いた。
「まず伝言の方から。叔父がこの学園の理事長を務めていてね、裏で様々な根回しをしてくれているんだ。だからこの部屋も自由に使って構わないとのことだ。鍵も二つ、それぞれに渡しておくね」
流石は日ノ内グループが運営に関わる学校なだけはある。だからこその問題もあると、悠斗は直感的に危惧していた。瑠衣が鍵を受け取る傍ら、悠斗はスッと手を上げて発言の許可を求めた。
「……大和様。恐れながら、一言よろしいでしょうか」
「ん? 悠斗君、いいよ。何かな」
「この部屋は理事長室の隣にあります。目は盗みやすいですが、逆にお嬢様がこのフロアへ頻繁に出入りしていることが外部に露見した場合、言い訳が極めて難しくなってきます」
悠斗の放った言葉は想定外だったのか、大和はハッとしたように目を見開いた。
「そこまでは考えていなかったな。富士見、君の見解も同じか?」
大和が隣のメイドに視線を向けると、瑠衣は表情を一切変えないまま、淡々と答えた。
「はい。星原さんの言う通りかと。私からも提案させていただきます。ここでの密会はカモフラージュの都合上、月に数回。どれだけ多くとも週に一回の利用に留めていただきたく存じます」
それを聞いた華凛が、あからさまに不満げな声を上げて大和の腕にしがみついた。
「えーっ、嫌よそんなの! 大和ともっと一緒にいたい! 家での電話だけじゃ絶対にいや!」
頬をこれでもかと膨らませて駄々をこねる華凛。恋する乙女としては、当然の要求なのかもしれないが、使用人組にとっては気が気でない。なんせ、もしもこの関係が外部に漏れた瞬間、自分たちの首が飛ぶなんて生易しいレベルでは済まないのだから。日本経済の命運が、このソファに座る少年少女の我儘にかかっている。
「そ、それでしたら……六月までには、準備をさせていただきます。お二人が周囲の目を気にせず、心ゆくまで逢瀬を重ねられる別の手段、あるいは場所を責任を持ってご準備いたします」
その言葉を聞いた瞬間、二人は目を輝かせてソファから身を乗り出し、グイグイと悠斗に迫ってきた。月若のご令嬢と日ノ内のご子息。
「流石、悠斗! 頼りになる!」
「大丈夫かい、悠斗君?」
その圧倒的な圧に気圧されながら、悠斗は手を前に出し、顔をそらしながらボソッと言った。
「……はい。お二人の為ならば」
(ここで「無理です、できません。諦めてください」なんて、二人の前で口が裂けても言えねぇよ……)
大丈夫なわけがない。
期限は残り一ヶ月半。学園の構造を隅々まで調べ上げ、日ノ内側の瑠衣と密に連携し、完璧な『密会ルート』を確保する。自分で言っておきながら、これがどれほど無茶な大仕事か、悠斗自身が一番よく分かっていた。
早くも胃のあたりに痛みが走り始める。すると大和は、感銘を受けた表情で、パッと顔を輝かせた。
「流石、月若の執事だね。頼みにしてるよ。——じゃあ、次は僕からのお願いだ」
「は、はい。何なりと」
「土曜日に、悠斗君と富士見で渋谷でデートしてきてほしい」
「……は?」
大和の口から飛び出したあまりにも突飛すぎる発言に、悠斗の思考は完全に停止した。




