10 執事とメイドのカレー作り(1)
「お嬢、来週の月曜日休ませてくれ」
いつも通りの休日。
ソファでスマホをいじっていた華凛は、驚いたように顔を上げた。
「来週の月曜日? えー、大和とお忍びデートに行くから、ついてきてもらう予定だったのに……。なんで?」
「富士見さんと、林間学校の下見に行こうと思って。ゴールデンウィークで丁度良いかなと」
瑠衣とスケジュールを突き詰めた結果、導き出した最善の日程。他の生徒たちが連休ということで浮き足立っている今だからこそ、学園側の警戒も緩む。
「なるほどね、それならいいわ。こっちは執事長に頼むことにする」
「よろしく頼む」
「いいのいいの。るいるいと二人で、丸一日お出かけなんて最高じゃない」
「二人っきりね。まぁあっちの施設に行くから二人きりというわけでもないと思うけど」
華凛と話していると、ポケットのスマホにバイブレーションが届く。画面を見ると、既に瑠衣からメッセージが届いていた。
『大和様より月曜日の公休の許可を頂きました』
あちらも無事、主を説得できたようで一安心だ。
「へぇー、やっぱり毎晩電話してるんでしょ? 羨ましいわ、私も大和とそれくらい毎日したいなー」
「してる電話なんて業務報告と相談だけだぞ? そろそろ業務に戻るわ」
ニヤニヤとからかってくる主の視線から逃げるように、悠斗は華凛の部屋を後にした。
◇
呼び出されたのは、東京から二時間ほどかけた富士山の麓。ここには林間学校で使われる日ノ内のキャンプ場がある。待ち合わせ場所に指定された管理棟の前。先に到着していた瑠衣の姿を見つけ、悠斗は声をかけた。
「はい。さきほど華凛様から直接、私の端末に連絡がありまして……『悠斗ともっと連絡をとりなさい!、富士見さん」
いつものカチッとしたメイド服ではない。髪をポニーテールにまとめ、ジャージ姿。
「わざわざありがとうございます。行きましょう、星原さん」
携帯の画面越しではない、本物の彼女の声を耳にして、悠斗は昨夜の電話を思い出してまた少し気恥ずかしくなる。それを誤魔化すように、すぐさま本題を切り出した。
「ハイキングコースの方はどうでしたか?」
瑠衣は手元のバインダーに視線を落とし答える。
「段差と勾配があり、私たち二人だけではカバーしきれない場所もあります。そこは、日ノ内に頼んで他のお客に変装させて現地に配置し、有事の際すぐに対応できるよう手配しております。一般の生徒たちに怪しまれないよう、配置の導線もすべて計算済みです」
「なるほど、さすが日ノ内ですね。全体の安全が確保されているなら心強いです。私も昼食後、そちらを一緒に下見させてください」
「はい。では、まずはあちらへ」
瑠衣の案内に従って、木漏れ日の差し込む敷地内を進んでいく。
そうして辿り着いた炊飯場には、すでに木製のテーブルの上に新鮮な具材と調理器具が準備されていた。当日の予行演習も兼ねているのか、周囲では一般の家族連れや観光客に混ざって、自分たちも実際にカレー作りをすることになっていた。
「では実際に、カレーを作ってみましょうか。私が、野菜を切りますね」
そう言うと瑠衣は、ジャージの袖を少しだけ捲り上げ、机の上の具材を手に取って包丁を握り締めた。
ただ、その姿は、お世辞にも料理に慣れているものとは思えなかった。いつもは凛としているが、今はどこかガチガチに固まっている
瑠衣は大きく息を吸い込み、鋭い眼差しで人参を見据える。
「いきます――」
「ま、待って……っ! 富士見さんってもしかして、料理できませんか!?」
悠斗は慌ててその細い手首を掴んで止めた。
「経験はありません。だけど、見たことはありますので……問題ありません。お任せください」
掴まれた手首をほんの少しだけ焦ったように動かし、瑠衣はあくまで冷静さを装って言い張る。だが、その声は心なしかわずかに震えていた。見たことがあるからできる、というのは一番怖い。
「ここで富士見さんが指でも怪我したら、俺が大和様に怒られてしまいます! ここは任せてください」
悠斗は苦笑しながら、瑠衣の手からそっと包丁を抜き取った。
「っ……」
包丁を没収された瑠衣は、所在なさげにジャージの裾をぎゅっと握りしめ、一歩後ろに下がる。その表情は、落ち込んでいるようだ。いつも凛としている彼女の表情に少し胸が痛む。
「……すみません。星原さんに、余計な負担をかけることになってしまいました」
「適材適所ですよ。私は慣れていますから」
気まずさをはらうように明るく言うと、悠斗は慣れた手つきで野菜を切っていく。その包丁さばきを見ながら、隣にいる瑠衣も驚いたように黒い目を輝かせている。
「す、すごいですね。シェフではないのに……」
「たまに料理をするときもあるんですよ。お嬢様に『夜食を作れ』と無茶振りをされることもあるので」
「ふふ、華凛様らしいですね」
「あと、屋敷に来る前はお手伝いで自分達で作ることもあったので」
「屋敷に来る前……そう言えば星原さんはいつから月若に使えているんですか?」
「小学二年生の頃に上がる時、ですかね。お嬢様に『ちょうどいいからうちに来い』と、引き取られました」
思い返せば、あれは懐かしい記憶だ。公園で泥だらけになってみんなと遊んでいる時に、テレビでしか見たことがないような、黒くて大きい高級車がやってきた。その中から現れた、いかにも偉そうで、退屈そうにしていた女の子が、幼い頃の華凛だった。
「そんな幼い頃からなんですね……私が日ノ内にお仕えしたのは中学からですから羨ましいです」
瑠衣は少しだけ寂しそうに、目を細めた。悠斗からすれば、中学からのわずか数年で大和の付き人にまで上り詰めた彼女の有能さのほうが、よほど異常だ。
そんな悠斗の視線に気づいたのか、瑠衣はぎゅっと拳を握りしめ、意を決したように真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「あの、私にも料理の仕方、教えてください!」




