静寂の呪い(サイレント・ダーク)
突如として帝国を襲ったのは、魔王軍の残党でも、他国の軍勢でもなかった。それは、古代の遺跡から漏れ出した未知の精神変異粒子――通称『静寂の呪い(サイレント・ダーク)』。
この呪いは、人々の「意欲」と「感情」を無慈悲に奪い、世界の色彩を奪っていく。
「……戦って何になる。どうせいつかは死ぬんだ」
「……飯を食うのも、息をするのも、ダルいな……」
昨日まで「マジあげぽよ!」と笑い合い、訓練に励んでいた兵士たちが、今は虚無の瞳で泥の上を這っている。活気のあった砦からは音が消え、壁も空も、重苦しい灰色に塗り潰されていった。
この呪いの恐ろしい点は、感受性が強くポジティブな人間ほど、反動で深く蝕まれることにある。
光が強いほど、影は深く。いつも太陽のように笑っていたユアが、今、部屋の隅で膝を抱えて震えていた。
「……無理。もう無理だよ……。ウチ、何やってんだろ。こんな世界でギャルやって、戦場でハシャいで、バカみたいじゃん。……おうちに帰りたい。お母さんに会いたいよ……」
その頬を伝うのは、皮肉にも彼女が今朝まで丁寧に塗っていた、キラキラしたラメ混じりの涙。
異世界を照らしていた「ポジティブ」という魔法が、ついに底を突いた瞬間だった。
絶望の静寂を切り裂くように、重厚な金属音が響いた。
一人の騎士が、乱れた髪をそのままに、真っ直ぐな足取りで部屋に現れる。シルヴィア将軍だ。
不思議なことに、周囲の人間が次々と膝を折る中、彼女だけは呪いの影響を微塵も感じさせていなかった。
「……フン。この程度の絶望で、私を屈服させられると思ったか。……甘いな」
シルヴィアは震えるユアの前に屈み込み、その華奢な肩を、無骨なガントレットで強く、だが壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
「ユア。……貴公は言ったな。『詰んだとか言わずにアゲていこう』と。……今度は、私の番だ。なぜ私が平然としていられるか分かるか? 私は貴公に出会うまで、30年間ずっと、この『灰色』の中で生きてきたのだからな!」
シルヴィアにとって、世界が絶望に満ちているのは「日常」だった。彼女は絶望の専門家。だからこそ、その闇の中での歩き方を知っている。
「暗闇は私の庭だ。……さあ、顔を上げろ。私の太陽を、こんなところで沈ませはせん」
シルヴィアは、灰色の空の下、動けなくなった兵士たちの前に立った。腰の剣を抜き放ち、その切っ先を天に掲げる。
「者共、聞け! 貴様らは今、人生が『詰んだ』と思っているだろう! ……だが安心しろ。この私が、貴様ら以上に『詰みのプロ』だ!」
兵士たちが、わずかに顔を上げる。
「絶望なら、私の後に続け。私がその先にある、貴公らが昨日まで愛でていた……あの『映え』とやらをこじ開けてやる! 私の背中を見ろ! この背中は、絶望に慣れすぎた私の背は、呪いごときでは一ミリも揺らがん!」
その背中は、かつての「死にたがり」のそれではない。大切な友の光を取り戻そうとする、不動の盾の姿だった。
傍らで膝をついていたゼクスが、震える手で剣を杖にし、立ち上がる。
「……閣下。私も、まだ動けます。……ユア殿が教えてくれた『バイブス』……まだ胸の奥で、消えずに燻っております!」
シルヴィアは、ユアが大切にしていた撮影用のリングライトを手に取った。魔力を流し込むと、それは絶望の霧を切り裂くような、鮮烈な白い光を放つ。
「ユア! 見ていろ。貴公がくれたこの光、私が決して絶やしはせん!」
シルヴィアは、呪いの源である「虚無の核」へ向かって、単身突撃を開始した。
漆黒の鎧を纏いながらも、その心にはギャルの情熱が宿っている。闇を切り裂く白光の円環。
その猛々しくも美しい姿を見て、部屋の隅でうずくまっていたユアの瞳に、わずかに色が戻った。
「……ヴィーちゃん……マジ、カッコよすぎ……。……ウチも、病んでる暇……ないかも……」




