第94話 母は語る
食堂の空気が凍りつく。
裕真は、目の前で起きていることが信じられなかった。
マクリールさんを始めとする銀影騎士団の面々も、裕真の仲間たちも、口からイバラを伸ばしたまま、ぴたりと動きを止めている。
まるで一枚の写真に閉じ込められたかのようだった。
滑稽ですらあるその姿は、しかし同時に酷くおぞましい。
誰一人として呼吸も瞬きもせず、そこにいるはずなのに、生きているという実感がまるで感じられない。
そんな異様な光景の中で、マレフさんだけが静かに微笑んでいた。
……いや、『フェルダン』と呼ぶべきか?
「……本当に貴方が『フェルダン』なんですか!? 洗脳か脅迫されて、そう言わされているだけじゃないですか?」
裕真の声は、問いというより願望に近かった。
そうであってほしい。まだ何か、自分の知らない事情があるのだと。
「おや、信じられまへんか? ほな、これならどうどす?」
彼女の体が、黒い霧に包まれる。
次の瞬間、見覚えのある禍々しい漆黒の全身甲冑が現れた。
食堂の灯りを受けても、その表面はほとんど光を反射せず、ただ鈍い輝きを帯びている。
「へっ!? 変身した!?」
裕真は、そういう魔法もあるのか……俺も欲しい……などと、つい状況にそぐわない感想を抱いてしまった。
「まだ信じられへんなら、この場で『キューブ』作成を披露してもええんどすよ?」
裕真は慌てて首を横に振った。
「い……いや! もう結構だ!!」
これはもう認めざるを得ない。裕真は唇を震わせながら、なんとか言葉を絞り出す。
「あんたのことは何と呼べば良い? マレフ? フェルダン? それとも フェリオス?」
「フェルダンとお呼びくださいな。それがウチの本名どす」
フェルダン……女性らしくない名だ、と裕真は思った。
だが、この世界の命名の流儀など、自分はほとんど知らない。追求する余裕もなかった。
「分かった、フェルダン。……それで、俺に何の御用なんだ!?」
「それは――」
フェルダンが口を開きかけた。
そのとき、食堂の入口から、誰かの声が割って入る。
「誰か! 無事な人はいる!? 急に皆の口からイバラが生えて――えっ!? フェルダン!? なんで!?」
現れたのは、露骨に狼狽えた様子のかなめだった。
その姿を見た裕真は、思わず驚きの声を上げた。
「かなめさん!! 無事だったのか!?」
「おやおやおやおや……流石は『大地の勇者』。イバラを体内に入れても平気とは」
「そ……そうだよ! もうあなたのイバラは効かない!!」
かなめは強がるように胸を張った。
その様子に、裕真は心の中で首を傾げる。
フェルダンの口ぶりでは、かなめもイバラ入りのオニギリを食べたようだった。
なのになぜ、彼女だけが無事なのか?
その答えは、後になって判明した。
かなめが無事だったのは、《ダイヤの時計》を三つも装備していたからだった。
ハガネさんが各国から盗み出し、まだ返却していない品を渡されていたという。《ダイヤの時計》が三つあれば、『眠りのイバラ』の体内からの攻撃すら防げるのだ。
「今度こそ負けないよ! 覚悟しなさい!!」
かなめは《アバドンの大盾》を構え、フェルダンへとにじり寄る。
「ふふふ……確かにウチには貴方を倒す手段がありまへん。……“貴方”は……ね」
フェルダンがパチリと指を鳴らす。
すると、ガシャッガシャッという重い足音と共に、体長2mの金色の甲冑が十体ほど食堂に入り込んできた。
裕真はその姿に見覚えがあった。
それは、アコルルから貰った魔物図鑑に記載されていた『ロイヤル・ガード』というゴーレムだ。
その名の通り、王族の護衛を目的として製造されたゴーレムで、人間大のサイズでありながら、ドラゴン以上の戦闘力を持つ、ゴーレム技術の最高傑作である。
銀影騎士団が、このようなものを所有しているとは聞いていない。おそらくフェルダンが、会計係という役職を利用して、こっそり持ち込んだのだろう。
そのロイヤル・ガードたちが、静止した皆の背後に立つ。
その意味は明白だった。
「待つんだ、かなめちゃん!! 今はこの船全体を人質に取られてるようなものだ!!」
「……あっ!!」
フェルダンに向かっていたかなめが、青ざめて一歩下がる。
「ふふ、御安心くだはれ。大人しゅうして頂ければ、誰も傷つけたりしまへんえ」
そう言うと、フェルダンの身体が再び黒い霧に包まれる。
霧が晴れると漆黒の甲冑は消え去り、白いシャツとタイトなズボンという普段の服装に戻っていた。
「それに、貴方達にとっても悪い話やないと思います」
そう言ってフェルダンは微笑んだ。
それは嘲りではなく、 こちらを安心させようとしているかのような優しい笑みだった。
張り詰めていた食堂の空気が、僅かに緩む。
「……悪い話じゃないって、どういうことだ!?」
「私の目的は貴方達と敵対するものではありまへん――いえ、むしろ協力し合えるものなのです」
予想もしなかった台詞に、裕真は言葉を失った。
船にいる全員を人質に取っておいて、何を言うんだ、と。
そんな裕真の胸中を察したのか、フェルダンは笑みを引っ込めると、神妙な面持ちで告げた。
「私が求めるのは『世界平和』――そしてそれを邪魔する『邪神ゾド』の排除なのですから」
それからフェルダンは、自分の過去を語り始めた。
とても長い話だったので、ここでは要点だけをつまんで説明する。
フェルダンは今より2,900年前、エルフ至上主義の国『シルヴァラント』で生まれた。
父は王族のハイエルフ、母は城に仕えていたニンゲン族の侍女であった。
当然対等な恋愛関係ではなく、身籠った母は王都から遠く離れた僻地に追いやられた。
捨てられたと悟った母は、フェルダンを出産した後、失意のうちに早世した。
なお彼女の名は、父から取ったものなのだという。
裕真が「女性らしくない名前だ」と感じたのは、そのためだった。
ハーフエルフである彼女は、エルフにもニンゲンにも受け入れられなかった。
仮面を被って正体を隠し、遺跡を荒らす冒険者として孤独に生きるしかなかったのだという。
だがそんな彼女にも、理解のある彼くんが現れた。
フロレスタンという名のハイエルフで、王族でありながら宮廷内の権力闘争に嫌気がさし、森の奥で隠棲していたのだという。
二人はやがて恋に落ち、子供を授かった。
それが後のエオリア姫である。
親に愛されず生まれた自分に、初めてできた愛する家族……。
だが幸せな時間は、長く続かなかった。
王家の使いが現れ、エオリアを連れ去ってしまったのだ。新たな女王を迎えに来た、という名目で。
良からぬ企みがあるのは明白だった。
純血を尊ぶ王家が、ニンゲンの血が混じっている者を女王に戴くわけがない。
フェルダンは娘を護る為に、再び仮面を被った。
そして『フェリオス』と名乗り、冒険で手に入れた『神器』を王家に献上する。
この功績により騎士の位に就き、エオリア姫の護衛役を任されたのだ。
そして、その後に起きたことは、先ほど裕真が聞いた歴史の通りである。
ドワーフへの生贄にされるはずだったエオリア姫。
姫を許す寛容(?)なイヴァルディ。
目論見が外れ、慌てて姫を暗殺しようとする王家。
激怒し、王家の粛清を始めるフェルダン。
広がる戦火。
エルフ同士の殺し合い……。
胸を痛めたエオリア姫は、全てを封印し、終わらせたのだ。
「――と、いう訳どす」
一通り話し終えたフェルダンは、テーブルに手を伸ばし、すっかり冷めてしまったお茶を一口飲んだ。
彼女の過去は、驚くべき内容ばかりだった。
中でもエオリア姫の母親だったという話は、とてもではないが簡単には信じられない。
だが裕真もかなめも顔をこわばらせたまま、しばらく口を開くことができなかった。
あまりにも衝撃的な出来事が立て続けに起きすぎて、二人とも頭の中の整理が追いついていなかったのだ。
なお、その間の飛行船の操縦は、フェルダンが持ち込んだオートマタが行っているらしい。
乗務員のほぼ全員が停止している状態でも、船の航行だけは問題なく続けられるというわけだ。
「……あ、念の為に言っときますけど、ウチはエオリアを恨んでまへん。むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいですわ。優しいあの子の気持ちも考えんで、えぐいもんようさん見せてしまって……」
フェルダンは頬に手を当て、ふぅ……と溜息をつく。その様子は娘を案じる母親そのものだった。
ところで、「えぐいもん」とは何だろう?
たしかマクリールはんの話では、女子供でも容赦なく処刑したそうだが……。
なにか怖い話になりそうなので、深くは追求せず、別の問いに移った。
「邪神を倒したいっていうのも、娘さんのため?」
「ええ、そうどす。ニンゲンの血が混じっても差別されない時代が来たのに、邪神に滅ぼされたらたまりまへんからな」
それはもっともな話だった。
デュベルやマリクのように、世界そのものを滅ぼそうとする者のほうが異常で、滅多にいるものではない。
少なくとも、今聞いた話だけなら、敵対する理由は見当たらなかった。
「あの……シルヴァラントの件は、エオリアさんが女王を辞めれば争わずに済んだのでは? 別になりたくてなった訳じゃないんでしょ?」
かなめが控えめに口を挟む。しかしフェルダンは、首をゆっくり横に振った。
「そない簡単な話やあらへん。王家の連中は、ドワーフに情けをかけられたという事実に耐えられんかったんや。で、その不満を娘にぶつけようとした訳や。仮に玉座を譲ったとしても、命を狙われ続けたやろうな」
食堂に、また沈黙が落ちた。
かなめは何か言いかけたが、結局、言葉を飲み込む。
それはそうだと思えてしまうほど、フェルダンの話には筋が通っていた。
「なるほど……そんな連中、俺でもムカつく。……あんたの言うことが本当なら」
裕真は最後の一言だけ語気を強め、警戒の色を露わにする。
「俺がエオリア姫から聞いた話じゃ、『微睡みの城』ってやつで、ヤベーこと企んでるそうじゃないか! その辺はどうなんだ!?」
問いをぶつけた瞬間、フェルダンはわずかに眉を顰めた。
否定も肯定もしない。ただ指先でテーブルをトントンと叩く。
「お話の続きは、お城についてからにしましょ。舌を噛みますえ」
……舌を噛む?
意味を問おうとした、そのときだった。
船体が、激しく揺れた。
裕真とかなめはもんどり打って床へ倒れ込む。
テーブルの上にあった食器が舞い、床に落ちて派手な音を立てた。
そんな中でも、時を止められた乗員たちだけは、奇妙なほど同じ姿勢のまま微動だにしない。
フェルダンもまた、涼しい顔で椅子に座っている。
窓の外へ目をやると、雲が常識外れの速さで流れていた。
「な……なんか、船がもの凄く加速している!」
かなめが目を丸くして叫んだ。
二人の身体に、まるでジェットコースターに放り込まれたような強烈なGがかかる。
だが、チート持ちの二人にとって、加速そのものは大した脅威ではない。
問題は別のところにあった。
「こんな加速したら……船が壊れるぞ!!」
慌てふためく裕真に対し、フェルダンは壁に手を向けてみせた。
そこには、『眠りのイバラ』がびっしりと張り付いている。
裕真はすぐに理解した。イバラが船体の“時”を止め、超加速に耐えられるようにしていたのだ。
こんな使い方があるのか……と、一瞬フェルダンが敵であることを忘れ、素直に感心してしまった。
こうして、本来なら『スリーピングキャッスル』まで一週間はかかるはずの航路が、わずか一日足らずで終わろうとしていた。
ー ー ー ー ー ー ー
【 おまけ 】
造魔属 [ロイヤル・ガード] 討伐Lv 105
古代エルフ王朝によって造られた人間大のゴーレム。
アダマンタイトの骨格に、オリハルコンとミスリルの合金製装甲を纏ったボディは、物理と魔法双方に強い耐性を持つ。
さらに、肉眼で捉えきれないほどの俊敏性を備えており、王族に害を成そうとする不届き者を一瞬で葬り去る。
もっとも歴史を紐解けば、このゴーレムは王族を護るより、権力争いの道具として王族を弑逆するために使われた例の方が多い。
皮肉な話である。




