第83話 プリンセス・エオリア
「……は? ここはどこだ?」
裕真は気が付くと、ピカピカに磨かれた大理石の床に横たわっていた。
……いや、大理石に見えるが、不思議と冷たさも固さも感じない。かと言って柔らかいわけでもなく、形容し難い感触だった。
いつの間に眠ってしまったのか分からない。頭に霧がかかったように思考が働かなかった。
ゆっくりと身を起こし、霞んだ視界で周囲を見回す。
そこは、想像を絶するほど広大なホールだった。
壁が霞んで見えるほどの奥行きがあり、銀色に輝く太い柱が何本も立ち並んでいる。それぞれの柱には、可憐な花々の彫刻が施され、天井から吊るされた巨大なシャンデリアから、柔らかな光が優しく降り注いでいた。
長テーブルの上には色とりどりのフルーツや贅を凝らした料理が山のように並べられ、宝石で造られた魔法人形たちが、洗練された動作で給仕を続けている。
さらに奥の広間では、瀟洒な衣装を纏った紳士淑女たちが、優雅な調べに合わせて楽しげに踊っていた。
その光景を一通り見渡した瞬間、裕真は強い既視感に襲われた。しばし目を閉じ、記憶を手繰る。
……思い出した。
『キューブ』に捕らわれていたフリストさんが、夢の中で見たという景色とそっくりなのだ。
「……あ……あ……ああ〜っ! !!」
ここで裕真は、ようやく自分が置かれている状況を思い出した。
そう、それは少し前のこと――
◇ ◇
【 数時間前――ミリオン号、船内 】
「みなさん、まもなく『アルデバラン』に到着しまーす」
ロビーに集まっていた裕真たちに、船員がハキハキとした声で告げた。
裕真はすぐに窓際に駆け寄り、外の景色を眺める。
眼下に広がるのは、巨大な白い柱を無数に並べて築かれた城壁と、それに囲まれた壮大な都市だった。
柱は緩やかに湾曲しており、まるで生物の骨のようだ。
「おお、なにあれ! でかい骨みたいのが並んでるんだけど!」
「骨のような、じゃなくて骨ですよ。神食らいの魔物『ベヒモス』の骨で作られているんです」
と、アニーが訳知り顔で説明する。
だが、実際目にするのは彼女も初めてで、内心では裕真と同じように興奮していた。
「あの街が一体の魔物の骨で!?」
裕真は改めて目を凝らした。
トリスターほどの規模ではないが、紛れもなく大都市だ。その周囲をぐるりと取り囲めるほどの骨が残るなんて、一体どれほど巨大な魔物だったのか。
少なくとも数千メートル……いや、数万メートルはあったのかもしれない。
「そんなバケモノ、誰が倒したのさ?」
「この国の始祖、大巨人『アトラス』だと言われているわ」
イリスが手にした冊子をぱらぱらとめくりながら答えた。
表紙には『アルデバラン観光ガイド』と書いてある。いつの間に買ったのだろう。
「てゆーかあの骨、元からあのサイズじゃなかったらしいわ。放っておくと勝手に成長するんで、定期的に削らないといけないそうよ」
「え……こわっ!? まさか放置するとベヒモス復活するのか!?」
思わずビビる裕真を見て、ラナンがハハハと笑う。
「いやいや、流石にそれは無いわ。そんな危ない物で首都を囲うわけないじゃん」
「……はははっ! だよね〜」
ラナンの言うことはもっともだった。
ゴッドイーターの素材は極めて危険だと聞かされていたが、アルデバランの人々がそれを知らないはずがない。なんらかの安全処理が施されているのだろう。
「それにしても、アトラスはんって邪神より強いんやないか? その人生きていたら、ウチら世界中を飛び回らんですんだのになぁ」
茜がため息交じりに呟く。
この一月あまり、邪神討伐に必要な神器を集めるため、世界中を駆け回った。その疲れが滲んでいた。
「でもそれなら、私たちはユーマさんと出会えませんでしたし」
そう口にした途端、ニーアは少し頬を赤らめた。
裕真も照れくさくなり、思わず頬をかく。
皆も「ははは」と笑い、ロビーに和やかな空気が流れた。
そんな中、ルナだけが険しい表情で街を見つめていた。
「ユーマ、この街ヤバいよ……。フェルダンの気配を探知できない」
突然の真剣な声に、皆が一斉にルナの方へ振り向いた。
裕真は不安を覚えながら尋ねる。
「どういうことだ?」
「多分、ベヒモスの骨のせいだと思う。街全体が“邪悪”な気配に覆われて、何も見えない……」
ルナは裕真に顔を向けると、その瞳は淡く銀色に輝いていた。
オリオン王家が契約する『月の大精霊ディアナ』の力を発動している証だ。
ディアナの目は“邪悪な存在”を見破ることができるのだが――
「姉さんが言うとおりだよ……。ボクにも見えない」
パルテナの瞳もまた、銀色に輝いていた。
彼女も姉と同じ力が使える。つまり、ルナ個人の不調ではないということだ。
「……なるほど、ゴッドイーターの骨だから、“邪悪”判定に引っかかったわけか……」
“邪悪”かどうかの判断は、ディアナ様の独断と偏見に基づいているらしい。
今はただの市壁として無害であっても、元をたどれば神を喰らった獣の一部だ。ディアナ様からすれば、到底見過ごせる存在ではないのだろう。
「マジですか……。となると街に入るのは危険ですね……。引き返しましょう」
モモがおずおずと提案する。いつもの明るい声が、明らかに緊張で上擦っていた。
「ええっ? ちょっと待って? 《ダイヤの時計》を手に入れるチャンスなのに――」
「でも、フェルダンが街のどこに潜んでるか分からないんですよ? 怖くありません? 私は怖いです!!」
モモが必死に声を張り上げる。
皆も「うーん……」と唸り、視線を落とした。モモほどではないにせよ、内心では同じ不安を抱いているのが伝わってくる。
「せやな……例の時計は世界に一つだけやないし、きっとまたチャンスはあるで」
茜の言葉に、皆はしぶしぶという感じで頷いた。だが裕真だけは首を横に振る。
「いやいや、警戒しすぎじゃないか?俺らはまだフェルダンに狙われてるわけじゃないし、街でちょっと買い物するぐらいなら平気だろ」
不安そうな皆を前に、裕真は力説する。
「ここを逃したら、次に手に入るのはいつになるか分からない! その間にフェルダンは犠牲者を増やし続けているんだ!」
そう言われて、再び皆が「うーん」と唸る。それは誰もが危惧していた事実だ。
イリスが重々しく口を開く。
「そうね……固まって行動して、不審な人物を近づけないようにすれば――」
「いや、こうしよう! 例の富豪のところには俺一人で行く」
裕真の唐突な提案に、一同の顔が凍り付いた。イリスが特に目を丸くする。
「俺一人ならフェルダンに襲われても、チート魔力で逃げられる! 皆は飛行船で待機。いつでも出航できるよう準備して、万が一襲撃されたら、俺を待たず出航だ」
「ちょっと待って! 単独行動は危険よ! せめて私も一緒に――」
「ダメだ! イリスには飛空船を守って欲しい。船が壊されたらフェルダンから逃げ切れない」
イリスは言葉に詰まった。裕真の言う通り、船を失えばフェルダンから逃れる手段がなくなる。
現在のクランメンバーで裕真の次に強いのは、《貪狼星》を持つイリスである。
彼女に船を守らせ、自分が単独で動く――裕真の判断は一見理にかなっているように思えた。
しかし、イリスはなおも渋る。
「船を守る必要があるのは分かるけど……」
「それなら私が御一緒するわ」
今まで静かにしていたレギンが席を立ち、口を開いた。
「私なら、もしもの時は自力で逃げられる。それに、いくら『勇者』でも後ろに目があるわけじゃないでしょ? 背中を守る役は必要だと思うの」
「背中か……確かに俺は鋭い方じゃないけど……。では、お願いする」
本当は危険なことに誰も巻き込みたくなかった。
だが、Sランクハンターにそう言われてしまっては、断る理由がない。彼女の実力を信じるしかない。
そんなとき、イリスは裕真の胸元に目を向け、声をかけた。
「アコちゃん、貴方から見て大丈夫だと思う?」
アコルルへの質問だと気付いた裕真は、懐からスマホを取り出し、その画面を皆に向ける。
画面の中のアコルルは少し眉根を寄せ、指先を顎に当て、悩ましげに考え込む。
しばらくの沈黙の後、やがてゆっくりと顔を上げた。
「う〜ん、そうですね……相手が既にこちらの存在に気付いていて、準備万端で待ち構えているのでなければ――」
彼女の言葉に、裕真は「やっぱり大丈夫だ」と確信した。
「ははは、それなら大丈夫だ。まだ目を付けられるようなことはしてないし!」
こうして裕真とレギンは、《ダイヤの時計》を求めて富豪の邸宅に向かった。
……そして裕真は、自分の考えが甘かったことを思い知った。
件の邸宅の中で、“フェルダン”の群れに襲われたのだ。
そう、奴らは既にこちらの存在に気付いており、準備万端で待ち構えていたのだ……。
◇ ◇
全てを思い出した裕真の顔から、さっと血の気が引いた。
現実の自分は、今頃頭部を切断され、『キューブ』へ詰め込まれているはずだ。
二度と元の身体には戻れないかもしれない――そんな想像が胸を締めつけ、思わず泣き出したくなった。
だが後悔している場合じゃない。
ここから脱出するために、少しでも情報を集めなければ。
そう思い直した裕真は、床から起き上がり、ホールで優雅に踊り続けている人々に声をかけた。
「あの…… すいません! ここ、どこですか!?」
反応が無い。
「……あの〜 すいません! もしもし!? ……ダメだ、答えてくれない……」
無視されている、などというレベルではない。
呼びかけても、肩を叩いても、彼らは笑顔のまま同じステップを踏み続ける。
延々と同じ動作を繰り返す姿は、まるでロボットかゲームのNPCのようだった。
彼らは裕真の存在を完全に認識していない。まともな情報は得られそうになかった。
裕真は頭を抱え、うずくまった。
「ああ〜…… なんてこった! ううっ……俺のバカバカ! 皆の言う通り、安全第一で慎重に行動するべきだった!」
つい声に出してしまったが、やはり周囲の者たちは何の反応も示さない。
……ただ一人を除いては。
「あの…… つかぬ事をお伺いしますが、あなた様は正気でっしゃろか?」
柔らかな声で呼びかけられ、裕真はぎょっとして振り返った。
「はぁ!? 何をいきなり失礼な!! 俺はいつでも正気だ!!」
不安と苛立ちで気が立っていた裕真は、思わず声を荒げてしまう。
「あ…… かんにんえ。そういう意味ではあらしまへんのや」
声の主は、若草色のドレスを纏った小さな少女だった。
裕真より頭一つ分ほど低い身長から、年の頃は10歳前後に見える。
しかし、長くて尖った木の葉型の耳が、彼女がエルフ族なのを示している。見た目だけで年齢を判断するのは早計だと、裕真は考え直した。
膝上あたりまで伸びた銀髪がふんわりと波打ち、照明の光を受けて輝く。それはまるで夜空に映る天の川のようだ。
気品がありながらも、おっとりとした物腰には、どこか人を安心させる雰囲気があった。
「あなた様はこのお城でも、“自分”を保っておられますやろ?」
「それがおかしいことか? ……ていうか、君は誰?」
「申し遅れました。うちは『エオリア』と申します。 かつて『シルヴァラント』で女王を務めとりました」
はんなりとした仕草で、ぺこりとお辞儀する。
その名を聞いた裕真は、ハッと息を呑んだ。
「シルヴァラント……!? たしか古代エルフ王朝の正式名称!! 本当に君が、あの『プリンセス・エオリア』なのか!?」
世界的に有名な物語、『茨姫と太陽の騎士』……その主要登場人物!
国も恋人も失い、イバラの城の中で永遠の眠りについたという悲劇の姫君!!
……ただ彼女は、本の挿絵で見た姿とだいぶ違っていた。
挿絵の彼女は、もっと大人びた女性として描かれていたのである。
もちろん、あの絵が現実を100パーセント忠実に再現しているとは思っていなかったが、実際はこんなにも幼い姿だったとは、さすがに予想外だった。
「そうどすえ。……ええと、あなた様は――黒髪なのでクロスケとお呼びしても?」
「いやいや! ユーマ! 星野裕真って名前があるから!!」
「??? ニンゲンさんなのに、お名前がおありなんどす?」
「あるに決まってる! なんだよ、さっきから変なことばっかり! つーか、貴方がフェルダンなのか!? 事件の元凶なのか!!」
裕真は咄嗟に身構え、反射的に腰へ手を伸ばす。
もちろん、そこに武器を入れた《どうぐぶくろ》などあるはずがないのだが、つい身体が動いてしまった。
そんな風に露骨に警戒する裕真に、エオリア姫は宥めるような声で語りかけた。
「……フェルダン……というのは存知まへんが、いま“外”で起きてる事件は知っております。この『微睡みの城』に人々の頭が集められている件ですやろ?」
……ナルコストロ? 初めて聞く名だった。
裕真もこの世界について色々と勉強したつもりだったが、それでも初耳である。
「それはうちではなく、『騎士様』の犯行どす」
「……騎士様?」
「『太陽の騎士 フェリオス』といえば、お分かりでしゃろか? その御方がこの騒動を引き起こしたんどす」
裕真はまた驚いた。その名にも聞き覚えがあったからだ。
「……太陽の騎士!? 『茨姫と太陽の騎士』に出てくる、あのフェリオス!?」
確か物語の主人公だったはずだ。
《太陽剣ヒューペリオン》を操り、数々の偉業を達成した伝説の英雄。
そしてなにより、エオリア姫の恋人だったはずだ。
「まさか、それがフェルダンの正体だっていうのか!? 『太陽の騎士』は、ドワーフの軍勢と戦って戦死したはずじゃ……」
「そないな話になってはるん? あの御方はうちが“封印”したのに……」
「はっ!? エオリア姫が!? あなたを護る騎士だったのでは!?」
エオリア姫は悲しげな顔をした。
「……はい、誰よりもうちの身を案じてくれました。せやけど、若干……いえ、かなり行き過ぎてたといいますか……」
姫は少し視線を落とし、細い指を自分の頰に添えて、静かに考え込む仕草をした。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「例えばこの『微睡みの城』。うちを護る為に拵えてくれはったんやけど、これを完成させるには大勢の人間の“脳”が必要なんどす」
「??? なんでお城に脳が必要なんだ? てか、それがあなたを護るのにどう関係するんだ?」
「実は……このお城、“兵器”なんどす。他者の“夢”を侵食し、意のままに操る事が出来るんやと。効果範囲は世界中。世界規模の洗脳装置なんどす」
ギョッとして、周囲を見渡す。
まさか……と思ったが、トリスターで出会ったディアナ様の話を思い出した。
“夢”は人間にとってとても重要なもので、それを操れば人の心を思いのままに塗り替えることができる、と教えられた。
「想像以上にろくでもない!!」
「人の脳が大量に必要なんは、“夢の世界”の更に先、“集合的無意識”の領域に踏み込むためやとか。ウチにはさっぱり分からしまへんが」
裕真にもサッパリな話だった。
テレビや雑誌で見た心理学の特集で、似たような話があった気がする程度だ。
「それにしても姫は反対なのか? 一応、エルフ族が世界支配出来るのに」
その問いに、姫は周囲をゆっくり見回しながら言った。
「このお城の方々をご覧ください。記憶も思考力も奪われ、騎士様に操られるまま饗宴に明け暮れる人々……これが人として健全な状態に見えなはる?」
「……確かに不健全だ」
「それにシルヴァラントは滅ぼされるだけの事をようさんしてきました。あないヒドイ国を生き永らえさせることこそ、エルフ族にとって恥になりますえ」
仮にも国の主がそこまで言うなんて、どんな悪事を重ねたんだ……と裕真は思う。
「ですが、何者かが騎士様の封印を解き、目覚めさせてしまいました……。このままでは世界全てが騎士様に支配されてしまいます。ユーマ様……不躾なお願いで恐縮ですが、どうか騎士様を止めて下さりまへんか?」
「もちろんそのつもり……なんだけど、まだ俺らはフェルダンの素顔すら知らない状態なんだ」
そう言って、裕真はこめかみに当て、眉をしかめた。
「ああ、はい、騎士様は――」
そう言いかけて、姫は口をぱくぱくさせた。
なぜか声が出ないようだ。
それは喉を詰まらせたとかではなく、まるで急に音声をOFFにされたかのようだった。
姫はゴホゴホと咳き込む。すると今度は声が出た。
「ごめんなさい……なんや急に声が……。騎士様の不利になることは言えんようになっとるようや」
「マジっすか……」
裕真は戦慄した。
もしかしたら今の状況は全て、フェルダンに筒抜けなのかもしれない。
ただでさえ自力での脱出はほぼ不可能という状態なのに、行動まで監視という状況は、控えめに言っても絶望的である。
裕真は途方に暮れた。
そのとき――
にゃあ にゃあ にゃあ にゃあ ……
どこからともなく、ネコ科の動物の鳴き声のようなものが聞こえた。
何事かとそちらを見ると……
にゃにゃにゃにゃにゃにゃ!
それは、奇妙な女の子の群れだった。
虹色の瞳と、同じく虹色に輝く長い髪。頭には猫とも狐ともつかない大きな三角形の獣耳。
衣服は縄文人が着ていたかのような簡素な貫頭衣で、腰の後ろから虹色の毛に覆われた長い尾を垂らしていた。
そしてなにより奇妙なのは、彼女たちが皆、双子かクローンかのように同じ顔をしていることである。
その少女たちが、鬼気迫る表情で裕真へ向かって殺到してきた。
あまりの異常事態に裕真は硬直する。
彼女たちはそんな裕真を捕まえると、神輿のように担ぎ上げ、わっしょいわっしょいと運び出した。
「うわ〜っ!? なんだおまえら!! ヤメロォ! 俺をどうする気だぁ!?」
にゃあ! にゃあ! にゃあ!
「ユーマ様っ!!??」
困惑するエオリア姫を置いて、裕真と女の子たちは何処かへと去っていった。




