第82話 アルデバランの惨劇
東方大陸は、広大な砂漠と平原が大半を占める過酷な土地であり、人々は各地のオアシスや草原を拠点に暮らしている。
そんな大陸に生きる七十八の部族が同盟を結び、伝説の『大巨人アトラス』の子孫を盟主として建国した国家。それが『アトラス連邦』である。
その首都『アルデバラン』を囲む外壁は、超巨大魔獣ベヘモスの白く強靱な骨を組み上げて造られていた。
一本一本が港の灯台を超えるほど巨大で、物理攻撃はもちろん魔法にも極めて高い耐性を持つ。さらに傷ついても自己再生するため、破壊はほぼ不可能。この街を難攻不落の要塞たらしめる最大の理由だった。
しかし今、その堅牢な城門は無防備に開け放たれ、市民たちが悲鳴を上げながら外へ逃げ出している。
どうやら"敵"は、街の内側から現れたらしい。
それを見た篤志は、アルテミシアへ「避難してください」とだけ告げると、一瞬でその場から姿を消した。
チート能力『100万倍の筋力』。
その名の通り、筋力を最大百万倍まで引き上げる能力だ。脚力も桁違いに強化され、篤志は目にも止まらぬ速さで城門へ駆けつけた。
到着した篤志を待っていたのは、あまりにも異様な光景だった。
体長十メートルを超える巨体を重厚な鎧で包んだ人影――巨人族の兵士たちだ。
それ自体は珍しくない。このアルデバランにはアトラス一族をはじめ、多くの巨人族が暮らしており、彼らで編成された巨人兵団は街の名物として知られていた。
異様なのは、その誰一人としてビクリとも動かないことだった。
拘束されているわけでも、麻痺しているわけでもない。ただ、まるで時間そのものが止まったかのように、静止画のような姿勢で立ち尽くしている。
理解を超えた異常事態に、篤志の背筋が粟立つ。
そのとき、不意に別の気配を捉えた。
漆黒の全身鎧に、同じく漆黒のサーコートを纏った人物が静かに立っている。
兜の丁字型スリットの奥には顔すら見えず、深い闇だけが覗いていた。
そして、その足元には首を失った人間たちの亡骸が無数に転がっている。
一人や二人ではない。何十人もの命が、そこで途絶えていた。
篤志の胸に込み上げた寒気は、瞬く間に怒りへと変わった。
今にも飛びかかりたい衝動を必死に抑え込み、まずは相手へ問いかける。
「それは……あなたの仕業ですか!?」
返事の代わりに放たれたのは、細長いイバラの蔓だった。
本能が危険を告げる。これに触れてはいけない、と。
篤志は地面に手刀を突き立て、巨大な床石を引っこ抜いた。巨人族が踏んでも割れないように作られた3メートル四方の分厚い石材だ。
「マッスル・スローイング! !」
などと叫びながら巨石を投げつける。別に叫ぶ必要はないのだが、景気づけである。
投げ放たれた巨石は弾道ミサイルのような勢いで怪人へ迫り――
その目前で、ピタリと静止した。巨人兵たちと同じように。
「馬鹿な!? あの大きさの石が!! まるで“時を止めた”かのよう――」
言い終えるより早く、再びイバラが襲いかかる。
通常の攻撃は通じない。そう判断した篤志は、即座に戦法を切り替えた。
床石を指先だけで粉砕し、その破片を鷲づかみにする。
「マッスル・ショットガン! !」
無数の石片が散弾となって、超高速で撃ち出される。
怪人はまたイバラを盾にしたが、蔓の隙間を抜けた破片が鎧を貫いた。
致命傷を負ったのか、怪人はどさりと膝をつき、倒れこんだ。
篤志は「ふぅ」と安堵の息を吐く。
「なんなんです……この奇妙な植物は……」
「……『眠りのイバラ』だ!!」
突然背後から声が響いた。
振り返ると、アルテミシアが肩で息をしながら駆け寄ってくる。
「避難してって言ったのに…… 」
「ばかっ! どこから敵が来たのかも分からないのに、どこに逃げろって言うんだ!」
「あ……」
その一言で篤志は返す言葉を失った。確かにその通りだ。
アルテミシアも、篤志の傍にいる方が安全だと判断したのだろう。
「その植物は、伝説の『スリーピング・キャッスル』を覆っている“時”を止めるイバラ!! “時”を止められたら、どんな攻撃も意味がない! そう、あんたの『百万倍の筋力』でも!!」
アルテミシアの言葉に、篤志は思わず天を仰いだ。
「マジですか……チート能力を取り戻した直後なのに、それが効かない敵が出るなんて……」
これがゲームだったら、「クソゲーだ!」とコントローラーを投げ出していたところだ。
だが、残念ながらこれは現実である。現実は投げ出すことなどできない。
……そういえば避難民の一人が、同じ姿をした怪人が何千人もいると言っていたが――
ザッザッザッと、複数の足音が近づいてくる。
騒ぎを聞きつけたのか、先ほど倒したのと瓜二つの黒い怪人たちが、群れを成して現れた。
その数は、十人を超えている。
「マッスル・ショットガン! !」
篤志はすかさず、先ほどと同じように石の散弾を投げつけた。
しかし今度は、怪人たちがイバラを幾重にも重ねて“壁”を作り、散弾を完全に防いでしまう。
こちらの攻撃を学習し、即座に対応してきたようだ。
「くっ!」
篤志は、一旦退却しようとアルテミシアを抱き抱えた。彼女の細い体が驚いたように震える。
しかし、後方に飛び去ろうとしたところ、背後からも怪人の群れが迫る。
囲まれてしまった!
無数のイバラが、二人めがけて殺到する。シュルルルッという不気味な音を立てながら。
「マッスル回避!!」
右へ、左へ、巧みな動きで身を躱す。
『百万倍の筋力』は単純な腕力だけでなく、筋肉が関わる全ての身体能力を強化する。反射神経、動体視力、瞬発力も超人的な域に達するのだ。
しかし、脳の処理速度までは強化されないので、どうしても躱し切れない攻撃もある。
ついにイバラの一本が、篤志の右足を捕らえた。
「あっ!!」
動きを止めた篤志たちに、さらに無数のイバラが絡みつく。
自分の身体から大切な何か――おそらく“時”というものが奪われていくのを感じた。
目の前の光景が灰色に染まっていく。
(ああ……意識が……。復帰早々負けるなんて、やっぱりボクは『勇者』の器では――)
このまま自分も首を跳ねられ、すべてが終わる……そう覚悟した、その時だった。
突如、篤志たちを拘束していたイバラが、鋭い斬撃音と共に一瞬で切り刻まれた。
突然拘束が解け、体が浮いた勢いで地面に尻餅をつく。
その拍子に、アルテミシアの小さな体が篤志の上に覆い被さる。クッション代わりになった篤志は、思わず「ぐふっ」と息を吐いた。
二人は慌てて身を起こし、何が起きたのかと周囲を見回した。
怪人たちが、突如現れた何者かと激しく交戦している。
それは異形の女戦士だった。
メタリックカラーのウルフカットに、顔や露出した肌には金属のような光沢を放つ虎の縞模様。見事なプロポーションを大胆なビキニアーマーで包んだ美女。
武器は持っていない。代わりに肘や膝から生えた鋭い金属の刃を自在に操り、怪人たちを次々と切り刻んでいた。流れるような動きの中に、容赦のない殺気が込められている。
「!!? ハガネさん!?」
「知り合いか!?」
アルテミシアは驚き、篤志の顔を覗き込んだ。
「……私の妻です」
「……え! 妻!? お……おう……」
アルテミシアは衝撃のあまり言葉を失う。
妻がいるとは聞いていたが、まさかこんな場面で遭遇するとは思わなかった。予想外にもほどがある。
二人が呆然としている間に、戦いは決着がついた。
怪人たちは一人残らず斬り倒され、地に伏している。
篤志の妻――ハガネは二人の方を向いて、淡々と口を開いた。
「久し振り、アツシ……。復帰早々こいつらの相手だなんて、相変わらずツイてないわね」
久し振りに会った夫へ向ける言葉とは思えないほど、そっけない挨拶だった。
アルテミシアは、この街へ向かう道中で聞かされた話を思い出す。
彼女は『刃の精霊』と契約した女戦士であり、かつて篤志の勇者パーティの仲間だった。
篤志とは結婚するほど親密な仲だったが、彼が『勇者』を引退したことをきっかけに関係は冷え込んだ。
その後、彼女は篤志を見限り、新たな『勇者』を探す旅へ出た――そう聞いている。
アツシは所在なさげに視線を落とした。
彼女の反対を押し切って『勇者』を辞めたというのに、今またこうして『勇者』に戻っているのが、なんというか気まずかった。
それでも篤志は意を決し、ぎこちなく口を開く。
「や……やぁ、ハガネさん……。なぜここに?」
「私がここに来たのは、占いで“探し人に会えるだろ”って言われたからよ。……ああ、ちなみにあなたのことじゃないわ」
「え……それじゃ、誰をお探しで? ていうか、占いなんかを信じてわざわざ――」
「こっちの世界の占いは当たるのよ」
当然、ハガネは篤志が異世界(地球)から来たことを知っている。
ちなみに、ハガネが占ってもらった占い師は、黒髪黒目で生白い顔をした長身痩躯の男だった。
その占い師は、まるで見て来たかのように彼女の過去を言い当てたため、ハガネはすぐに占いを信じたのだ。
「積もる話は後よ。はい、これ持って」
ハガネは篤志に向かって、何か光るものを投げ渡した。
篤志は慌てて受け止め、掌の上の品をまじまじと見つめる。
それは一見すると拳ほどもあるダイヤモンドだ。しかしよく見ると内部には針や文字盤が埋め込まれている。
どうやら時計になっているようだ。
「……? なんです、これ? やたらと高そうな――」
不思議そうに眺めていると、アルテミシアが何かに気付き、血相を変えた。
「ア……アツシ!! それは『ダイヤの時計』だ!! 時間攻撃を無効化する装備! なるほど……だからイバラを切り裂けたのか!!」
「ええっ!?」
篤志は驚きのあまり時計を取り落としかけるが、慌てて両手で受け止めた。
そして目を丸くしたままハガネを見つめる。
「確か、ものすごい高級品だったはず! そんなのどうやって手に入れたんですか!?」
「 盗 ん だ 」
「 え え っ !? 」
篤志の目が更に大きく見開かれ、口がぽかんと開いたまま固まる。隣で聞いていたアルテミシアも絶句し、顔を引きつらせていた。
「話は後って言ったでしょ! ほら、おかわりが来たわよ!!」
ザッ、ザッ、ザッ、と無数の足音が響く。
怪人軍団の第二波が、通りの奥から押し寄せてきた。
篤志たちの姿を見つけるなり、一斉に手をかざし、イバラを放つ。
篤志は《ダイヤの時計》を素早く懐へしまった。
すると今度は、イバラに巻きつかれても何も起こらない。“時”は止まらなかった。
こうなると話は早い。篤志は嬉々として怪人の群れに飛び掛かった。
例のイバラが効かなければ、こいつらなど自分の敵ではない。
拳で、蹴りで、体当たりで次々に怪人を吹き飛ばしていく。
ものの数秒で戦いは終了した。
「よし、終わった……。ハガネさん! こいつらはいったい何なんです?」
「こいつらは『フェルダン』。人の精神を乗っ取って増殖する疫病みたいなやつよ!!」
その名を聞いた瞬間、篤志は「あっ」と声を漏らした。
まだ裕真パーティにいた頃、その名を耳にしたことがある。
「聞いたことがある! 邪教団の幹部の一人ですね! 《禄存星》の持ち主で、他人と『同期』する……ん?」
言いかけたところで、篤志の表情がみるみる青ざめていく。
「じゃあ、今ぶっ殺したのは、乗っ取られた被害者ってことですか!?」
「大丈夫、これを見て」
ハガネは倒れていた怪人の兜を乱暴に引き剥がした。
すると、その下にあるはずの頭部はどこにもない。首から上が、ごっそり消えていた。
「ほらっ、カラッポでしょ? こいつらは頭を安全な場所に隠して、胴体だけを遠隔操作しているのよ」
篤志とアルテミシアは顔を見合わせ、感心したように声を漏らした。
「凄い……まるでサイバーパンクですね……」
「とんでもない魔法技術だ……。そのフェルダンって何者なんだ!?」
「分からない……。分かっているのはイカれたサイコ野郎ってことだけよ」
篤志は再び寒気を覚えた。
フェルダンという存在が、想像以上に危険な敵であることを思い知ったからだ。
その一方で、今はほっと胸をなで下ろした。
あの狂気的な技術のおかげで、罪のない一般人を手に掛けずに済んだのだから。
そんなことを考えながら、ふと街の中心へ目をやると、異様なものが目に飛び込んできた。思わず身構える。
それは、青白い光を放つ巨大な人影――全身を輝く鎧で包んだ巨人だった。
周囲の石造りの建物と比べれば、100m以上はあるだろう。門番の巨人兵や、以前マイラの街で見たデュベルの変身形態より遥かに大きい。
微動だにしないその姿は、やはり“時”を止められたからだろうか。まるで巨大な石像のように、街を見下ろしていた。
「な……なんです、あれ! 巨大邪鬼!? 怪異獣!? いつの間に街に潜入したんです!?」
今にも飛びかかりそうな篤志を見て、アルテミシアは慌てて制止した。
「ちょっ! 違うぞアツシ!! あれはこの国の大王、『アグリオス18世』陛下だ!」
「はっ? 大王!? この国のトップの!?」
篤志は驚いて、もう一度巨人を見上げる。
「巨人族って10mぐらいじゃなかったんですか!?」
「王族は特別なんだよ。つーか、その始祖のアトラスなんて300mもあったらしい」
篤志は「はぁ」と大きく息を吐いた。
この世界に慣れていたつもりだったが、まだまだ知らないことだらけだった。
「つーか普通に不敬罪よ? よくそんなんで商人やれたわね」
ハガネが呆れたように言い放つ。返す言葉もなく、篤志は小さく首をすくめた。
アトラス連邦を訪れるのは今回が初めてとはいえ、それは言い訳にならない。事前に勉強しておくべきだった。
そんな篤志を横目に、アルテミシアが口を開く。
「国を守るため出撃したはいいものの、“時”を止められた、というとこかな。『アトラス一族』最強の戦士でも、この有様か」
アトラス一族には、一族で最も強い者を『大王』とする風習があった。
つまり今、“時”を止められているアグリオス18世こそ、この国で最強の戦士ということになる。
しかし、どれだけ強くても時属性耐性がなければ、あのイバラを防ぐことはできない。
これを見た篤志は、地球時代に遊んだ難易度高めのRPGを思い出した。
そのゲームでは、例えレベルMAXでも状態異常への耐性が無ければ、ザコ相手でもあっさり負けてしまうのだ。
その時だった。
市街地の一角で、大地を揺るがすような爆発が巻き起こった。
黒煙が立ち昇り、一拍遅れて腹の底まで響く轟音が届く。
一同は思わず肩を震わせる。
「なんですか! いったい!?」
「……誰かが戦ってるのかも!」
篤志、「なるほど」と頷く。
まだ怪人のイバラにやられていない者がいるということか。
「行きましょう、アツシ!!」
一同は爆発の上がった方角へ駆け出した。
◇ ◇ ◇
そこは大きな屋敷が立ち並ぶ高級住宅街だった。
その一角には、先ほどの爆発で崩壊したと思われる屋敷があった。
瓦礫が辺り一面に散乱し、黒煙が立ち昇っている。
地面には巨大なクレーターが穿たれ、焦げ臭い匂いが辺り一帯に漂っていた。
そしてその爆心地には、二人の少女がいた。
一人は燃えるような赤髪の少女。
トリスターで出会ったSランクハンターの『レギン』だった。
自身の身長より長い大剣『レーヴァテイン』を構え、もう一人の少女と相対している。
その表情は鬼気迫るもので、赤い髪が揺れるたび、全身から立ち昇る熱気が周囲の空気を歪ませていた。
一方、その剣を向けられているのは、黒髪のおかっぱ頭に丸顔の少女。
まるで子犬のように愛嬌のある顔立ちに反して、黒紫色の禍々しい衣装をした鎧を身にまとっている。
しかし、それ以上に目を引いたのは、彼女が抱えているものだった。
それは半透明の正方形の箱で、その中に人間の頭部が収められている。
「……は? えっ!? ええっ!!?」
篤志は目を疑った。
箱の中の顔に見覚えがあったからだ。
忘れるはずもない。
かつて共に旅をした『闇の勇者』――
星野裕真、その人だった。




