第四章 影の役目
龍馬と太郎が一緒に動くようになって、まず困ったのは、龍馬という男がまるでじっとしていないことだった。
「待て、龍馬。速い」
京の町を歩きながら太郎が後ろから声をかけると、龍馬は振り返りもせず、「そうか?」と答えた。
「そうじゃ。おまんの普通は普通じゃない。もう少しゆっくり歩け」
「普通に歩きゆうつもりじゃけどのう」
ようやく龍馬が歩調を緩め、太郎が追いついて隣へ並ぶ。
ところがしばらくすると、龍馬の足はまた少しずつ速くなっていった。
「龍馬」
「何じゃ」
「また速うなっちゅう」
言われて初めて気づいたらしく、龍馬は自分の足元を見た。
「勝手に動く」
「おまんの足じゃろ。自分で止めろ」
「難しいのう」
「歩くだけで何が難しいがじゃ」
龍馬が笑う。
太郎は呆れた顔をしながらも、その隣から離れなかった。
*
二人で動き始めて数日。
太郎は、龍馬という男が子供の頃よりさらに忙しくなっていることを知った。
朝には誰かに会い、昼には別の誰かに会う。その途中で知り合いを見つければ足を止め、立ち話を始め、そこで新しい話を聞けば、今度はその話を追いかけて別の場所へ向かう。
しかも本人は、それを忙しいとは思っていないらしい。
「ちょっと待て」
太郎は龍馬の袖を掴んだ。
「何じゃ」
「今、どこへ向かいゆう」
「河原町」
「その前は」
「伏見」
「その前」
「大坂」
「それは昨日じゃ」
「……そうじゃったか」
太郎は眉間を指で押さえた。
「おまん、自分が今日どこへ行くことになっちゅうか、本当に分かっちゅうか」
「分かっちゅう。今は京じゃ」
「そこまで心配しちゃせんわ」
龍馬が笑う。
太郎は溜息をつきながら、龍馬の懐から覗いていた紙を引き抜いた。
「これは何じゃ」
「何が」
「今日の約束じゃないか」
「……」
龍馬が紙を受け取り、目を走らせる。
「ほんまじゃ」
「ほんまじゃ、じゃない。もうすぐじゃぞ」
「まだ間に合う」
「走ればな」
「なら走るか」
龍馬が踏み出そうとしたので、太郎はその腕を掴んだ。
「待て。おまん、もう一つ約束がある言うてなかったか」
「……あったかのう」
「その顔はあるな」
龍馬はしばらく黙ったあと、懐からもう一枚の紙を出した。
太郎が奪うように取る。
読む。
最初の紙を見る。
もう一度、二枚目を見る。
「……同じ時刻じゃないか」
「そうなんじゃ」
「何で同じ時刻に二つ約束した!」
「片方を忘れちょった」
「おまん、いつか約束だけで身動き取れんなるぞ」
「その時は太郎に助けてもらう」
「今まさにその時じゃ!」
太郎は二枚の紙を左右の手に持ち、内容を読み直した。
一方は、龍馬本人が会って話をしなければならない相手。
もう一方は、書状を受け取るだけだった。
「こっちは、本当に書状を受け取るだけか」
「そのはずじゃ」
「そのはず、じゃ困る。話をせんといかんとか、誰かを連れてこいとか、そういうのはないがか」
「ない。たぶん」
「今、最後に余計な言葉がついたぞ」
「ない!」
太郎はしばらく龍馬を睨んでいたが、やがて書状の受け取り場所が書かれた紙を折り、自分の懐へ入れた。
「分かった。こっちはわしが行く」
「おまんが?」
「書状を受け取るだけなら、わしでもできるじゃろ。才谷太郎として行って、坂本龍馬に頼まれて来たと言えば済む」
「梅太郎は?」
「今それ要るか?」
「せっかく決めたのに」
「それ以上言うたら行かんぞ」
「行ってください」
龍馬が素直に頭を下げたので、太郎は鼻で笑って踵を返した。
「最初からそうしろ」
「太郎、頼んだぞ」
「おう」
片手を上げて歩き出す。
すると数歩も行かないうちに、また背後から声が飛んできた。
「太郎! 道は分かるか!」
太郎は振り返った。
「分かる! おまんは人の心配する前に、自分の約束の場所へ行け!」
「それなら安心じゃ!」
「早う行け!」
二人はそこで別れ、反対方向へ走った。
*
待ち合わせ場所は、小さな茶屋だった。
太郎は店の前まで来ると、膝へ手をついて乱れた息を整えた。走ったせいで額に汗が浮いている。袖で拭いながら、懐から紙を取り出した。
場所は間違っていない。
「まったく……何でわしが、あいつの約束のために走らんといかんがじゃ」
文句を言いながら戸を開ける。
店の中には数人の客がいた。
茶を飲む者。小声で話す者。
奥には一人の男が座っている。
年の頃も、着物も、龍馬から聞いた特徴と合っていた。
太郎は息を整えながら、その男へ近づいた。
「あの、坂本龍馬に頼まれて――」
そこまで言う前だった。
男が顔を上げる。
途端に表情が緩んだ。
「ああ、坂本さん。お待ちしておりました」
太郎の足が止まった。
「……いや、わしは」
「これです。頼まれていたものです」
男は周囲を一度見回してから、懐へ手を入れ、紙に包まれた書状を取り出した。
太郎は訂正しようと上げた手を、そのまま宙で止めた。
「坂本さん?」
「いや……」
男を見る。
書状を見る。
もう一度、男を見る。
本当なら、ここで言えばいい。
自分は坂本龍馬ではない。才谷太郎という者で、龍馬に頼まれて受け取りに来ただけだ、と。
それで済む話だった。
だが、本人でなければ渡せないと言われたらどうする。
龍馬は今頃、もう一人の相手と会っている。ここから呼びに行って戻ってくれば、男はもういないかもしれない。
太郎は口を開いた。
「わしは――」
言葉が止まる。
男が首を傾げた。
「どうされました?」
太郎は一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
上げていた手を下ろす。
「……いや。預かる」
男は何の疑いもなく頷き、書状を差し出した。
「お願いします」
太郎は受け取った。
思ったより軽かった。
たったそれだけのものなのに、手の中に妙な重さが残った。
「それでは」
男が立ち上がる。
「あ」
太郎が呼び止めた。
男が振り返る。
「何か?」
今ならまだ言える。
違う。
わしは坂本龍馬ではない。
太郎は男の顔を見たまま、しばらく口を開けていた。
やがて。
「……いや。何でもない」
男は一礼して店を出ていった。
太郎はその背中が戸の向こうへ消えるまで、立ったまま見送った。
手元には書状が残っている。
「……受け取ってしもうた」
*
帰り道。
太郎は何度も懐へ手をやった。
書状はある。
落としてはいない。
けれど気になっているのは、書状ではなかった。
『ああ、坂本さん』
男の声が耳に残っている。
あまりにも自然だった。
疑いもしなかった。
子供の頃から、龍馬と間違えられたことは何度もある。そのたびに「わしは太郎じゃ」と言えば、それで終わった。
今日も、そのつもりだった。
なのに。
言わなかった。
いや。
言えなかった。
店先の桶に溜まった雨水が目に入り、太郎は足を止めた。
水面に空が映っている。
しゃがみ込む。
揺れる水の中に、自分の顔があった。
頬へ触れる。
水面の男も、同じ場所へ手をやる。
「……そんなに似ちゅうか」
当たり前だ。
これは自分の顔なのだから。
太郎は立ち上がった。
「わしは、わしじゃ」
そう呟いて歩き出した。
数歩行ったところで、また足が止まる。
『坂本さん』
「……妙な気分じゃのう」
*
龍馬が戻ったのは、日が傾いてからだった。
戸が勢いよく開く。
「太郎! どうじゃった、受け取れたか!」
「うるさい。まず草履を揃えろ」
太郎は部屋の隅に座ったまま、龍馬の足元を指した。
脱ぎ捨てた草履の片方が横を向いている。
「それは後じゃ。書状は?」
「草履」
「太郎」
「草履」
龍馬は不満そうな顔をしたが、結局戻ってしゃがみ、草履を揃えた。
「これでええか」
「よし」
「おまん、わしの姉みたいになってきたのう」
「乙女さんはもっと怖いじゃろ」
「何で知っちゅう」
「昔からおまんが『姉やんは鬼じゃ』言いよった」
「本人には言うなよ。殺される」
「なら最初から言うな」
龍馬は笑いながら部屋へ入り、太郎の正面へ腰を下ろした。
「それで、書状は?」
太郎が懐から取り出す。
龍馬がすぐに手を伸ばしたので、太郎は書状を引いた。
「待て。その前に話がある」
「何じゃ」
「受け取れた」
「おお、よかった」
「違う。そこじゃない」
「じゃあ何じゃ」
太郎は少し言いにくそうに口元を曲げた。
「向こうが、わしをおまんと思うちょった」
龍馬の手が止まる。
「……おまんを?」
「うん」
「わしと?」
「そうじゃ」
龍馬は太郎の顔をじっと見た。
次に書状を見る。
また太郎を見る。
「……またか」
「またじゃ」
「それで、おまんは『わしは太郎じゃ』言うたがか」
太郎は黙った。
龍馬の眉が上がる。
「太郎?」
「……仕方なかったがじゃ。わしは違うと言おうとした。けんど、向こうが先に書状を出してきたんじゃ。そこで本人じゃないと言うて、渡せんと言われたら困るじゃろ」
「それで?」
「……預かる、言うた」
一瞬。
龍馬が黙った。
次の瞬間。
口元が上がった。
「笑うな」
「まだ笑ってない」
「もう顔が笑いゆう」
「いや、これは……」
「何じゃ」
「面白い」
「面白くない!」
龍馬がとうとう声を上げて笑った。
「ははは! おまん、坂本龍馬になって書状もろうてきたがか!」
「なりたくてなったんじゃない! おまんの約束が重なっちょったからじゃろ!」
「わし、二人おる!」
「一人じゃ!」
龍馬は自分の胸を指し、次に太郎を指した。
「ここにも坂本龍馬がおる!」
「指すな! わしは才谷太郎じゃ!」
太郎が龍馬の指を叩き落とす。
龍馬はまだ笑っていたが、手にした書状へ目を落としたところで、ふっと表情を変えた。
書状。
太郎。
もう一度、書状。
「……太郎」
「何じゃ」
龍馬は膝を立て、少し身を乗り出した。
「これ、使えるんじゃないか」
太郎は即座に立ち上がった。
「嫌じゃ」
「まだ何も言うてない!」
「顔で分かる。ろくなこと考えてない」
「例えばじゃ、今日みたいに、わしがどうしても二か所へ行かんといかん時だけ――」
「嫌じゃ。今日は仕方なかっただけじゃろ。最初から人を騙すつもりで行くのは話が違う」
その言葉に。
龍馬の笑いが少し消えた。
「……そうじゃのう」
太郎は立ったまま龍馬を見る。
龍馬も書状を見つめた。
少し考えてから、龍馬は顔を上げた。
「なら、やめよう」
太郎が少し驚いた。
「ええがか」
「嫌がるおまんに無理やりやらせても仕方ないじゃろ。それに、危ないことまでさせるつもりはない」
「……」
「危ないことは、わしがやる」
龍馬はそう言って書状を畳へ置いた。
太郎はしばらく立ったままだったが、やがて元の場所へ座り直した。
「……ならええ」
「うん」
「ほんまにやらんぞ」
「分かっちゅう」
「その顔、まだ何か考えちゅうろ」
「考えるだけなら自由じゃ」
「やっぱり嫌な予感がする」
*
それからしばらく。
太郎は太郎だった。
龍馬は龍馬だった。
二人で歩き、飯を食い、時には別々に動いた。
太郎はその中で、龍馬が人と話す姿をよく見るようになった。
龍馬は話しながらよく動く。
笑い、身を乗り出し、相手の肩を叩き、立ち上がったかと思えばまた座る。話が大きくなると両手まで動き出す。
「落ち着かん男じゃのう」
少し離れたところで太郎が呟くと、龍馬が振り返った。
「何か言うたか?」
「何も。こっち見んと話せ」
「今、絶対何か言うたろ」
「言うてない。相手が待ちゆうぞ」
龍馬は怪しそうな顔をしながらも話へ戻った。
太郎は今度は、龍馬ではなく相手の顔を見る。
最初は困ったような顔をしていた男が、龍馬の話を聞いているうちに呆れた顔になり、そのうち笑い始める。
龍馬は、人を自分の話へ引っ張り込む。
子供の頃からそうだった。
海の向こうに何があるかも知らないくせに、話を聞いているうちに、本当に何かあるような気にさせられた。
太郎は腕を組んだ。
「……そこは変わらんのう」
*
二度目は。
龍馬から頼んだのではなかった。
約束の場所へ向かっていた途中。
龍馬が腹を押さえた。
「……太郎」
「何じゃ」
「まずい」
「何が」
「腹が」
太郎が足を止める。
「腹?」
「昼に食うた魚が、どうも怪しかった」
「おまん、あれ臭い言うたら『火を通せば同じじゃ』言うて食うたろ!」
「過去のわしを責めても腹は治らん!」
龍馬の顔から血の気が引いている。
太郎は呆れながらも、その背中へ手を当てた。
「約束は?」
「この先じゃ。話を聞くだけでええ。ほんまに聞くだけじゃ」
「わしが才谷太郎として行けばええがか」
「……たぶん」
「その間は何じゃ」
「向こうが勝手にわしと思うたら……」
「おい」
「違うと言うてもええ! ただ、話だけ聞いてきてくれ!」
龍馬が腹を押さえたまま身体を折る。
太郎は空を仰いだ。
「何でわしは、こんな男と一緒に歩く言うてしもうたがじゃ……」
「太郎」
「何じゃ」
「頼む」
太郎は龍馬を見た。
脂汗まで浮いている。
「……今回だけじゃぞ」
「恩に着る!」
「あと、その魚屋には二度と行くな」
「魚屋は悪うない」
「まだ庇うがか!」
*
結局。
太郎は行った。
相手はやはり。
太郎を見るなり言った。
「坂本さん」
今度は。
太郎の返事が。
前より少しだけ早かった。
「……おう」
*
帰ってきた時。
龍馬は布団の上で横になっていた。
「おう、太郎。どうじゃった」
「おまん、元気そうじゃないか」
「出すもん出したら治った」
「汚い話するな」
太郎は龍馬の横へ座った。
「それで?」
「聞いてきた。言われたことも覚えちゅう。あとで話す」
「おお」
「けんど」
「何じゃ」
太郎は肩を回した。
「疲れた」
「何で」
「おまんのふりをするとな、思ったより喋らんといかん」
龍馬が目を丸くした。
「そこか!」
「おまん、普段から喋りすぎじゃ。わしが黙っちょったら『今日は随分静かですね』言われたぞ」
「もっと笑え」
「嫌じゃ」
「手も動かせ」
「何で喋るのに手が要る」
「要る! こうやって相手に話を伝えるがじゃ」
龍馬が布団の上から両手を大きく動かした。
太郎はその手を押し返す。
「邪魔じゃ。寝ちょれ」
「あと、相手の肩も叩け」
「知らん人の肩を何で叩かんといかん」
「仲良うなる」
「怒られる」
「怒られん」
「それはおまんだけじゃ!」
龍馬は笑った。
太郎も呆れながら、少し笑った。
*
三度目は。
顔を出すだけだった。
四度目は。
人から物を預かった。
そのたび。
「今回だけじゃぞ」
太郎は言った。
龍馬も。
「分かっちゅう」
と答えた。
最初の頃。
太郎は「坂本さん」と呼ばれるたびに、一呼吸遅れて振り返った。
「坂本さん」
「……ああ」
だが。
回数を重ねるうち。
その間は少しずつ短くなっていった。
「慣れたのう」
「慣れとうない」
「でも返事しゆう」
「呼ばれたのに黙っちょったら変じゃろ」
「前は一呼吸あった」
「おまん、見すぎじゃ」
「面白いき」
「見世物じゃない」
それでも。
太郎は龍馬の真似をしなかった。
一度だけ。
龍馬に言われた通り。
話の途中で相手の肩を叩いてみた。
「痛っ」
「……すまん」
帰って龍馬へ話すと。
龍馬は腹を抱えて笑った。
「ははは! おまん、どんな叩き方したがじゃ!」
「普通じゃ! おまんがやれ言うたんじゃろ!」
「普通で痛い言われん! 加減せえ!」
「知らん! 二度とやらん!」
太郎は本当に。
二度とやらなかった。
*
代わりに。
太郎は自分のやり方を覚えていった。
相手を見る。
話を聞く。
急いで答えない。
何を言いたいのか。
どこで言葉を止めるのか。
何を言わずにいるのか。
そこを見る。
すると不思議なことに。
相手の方がよく喋った。
「坂本さんは、意外と聞き上手なんですね」
ある男がそう言った。
太郎は茶碗を口へ運びかけて止めた。
「……そうか」
「もっとご自分の話をされる方かと思っていました」
太郎は少し考え、茶碗を置いた。
「今日は、わしの話をしに来たんじゃない。おまんの話を聞きに来たき、好きに喋ったらええ」
男は一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「そうでしたな」
それから男は。
予定していたよりも長く話した。
*
「面白いのう」
戻ってきた太郎から話を聞き、龍馬は膝を叩いた。
「何が」
「わしが行くより、相手がよう喋っちゅう」
「おまんが自分で喋りすぎるきじゃ。相手が口を挟む暇がない」
「そんなことないぞ」
「ある。おまん、一つ聞かれたら十答えるじゃろ」
「大事なことを全部教えちゃろうと思うて」
「それを喋りすぎ言うがじゃ」
龍馬は腕を組み、しばらく考えた。
「わしは、相手に話す」
「うん」
「おまんは、相手に話させる」
「そうかもしれん」
「同じ顔なのに、全然違うのう」
龍馬が楽しそうに笑った。
太郎も少し笑う。
「当たり前じゃ。わしとおまんは違う人間じゃき」
「……そうじゃのう」
龍馬は素直に頷いた。
二人は向かい合ったまま、しばらく茶を飲んだ。
*
いつの間にか。
「今回だけじゃぞ」
という言葉が。
二人の間で増えていた。
「今回だけ。危なくない。話を聞くだけ。終わったらすぐ戻る。それでええな」
「分かっちゅう。何回言うがじゃ」
「おまんがすぐ余計なことを増やすきじゃ。行った先で『ついでにこれも』とか言われても、勝手に引き受けるなよ」
「それ、わしに言うことか?」
「おまん以外に誰がおる」
「今日行くのはおまんじゃ!」
「元はおまんの用事じゃろ!」
二人は言い合い。
最後には笑った。
それから。
別々の方向へ歩いていく。
用事が終われば。
また同じ場所へ戻る。
「どうじゃった」
「普通」
「何かあったか」
「ない。腹減った」
「わしもじゃ」
「飯にするか」
「おう」
それだけだった。
*
ある日の夕方。
二人は用事を終え、京の町を歩いていた。
夕陽が家々の屋根を赤く染めている。
太郎が歩きながら肩を回した。
「疲れたのう。今日も随分喋らされたぞ」
「ええことじゃ。昔のおまんより口数増えたんじゃないか」
「誰のせいじゃと思うちゅう。それに、おまんは今日ほとんど喋ってないとか言うなよ。絶対嘘じゃき」
「ほんまじゃ。三人と四刻くらい話しただけじゃ」
「それを喋った言うがじゃ!」
龍馬が声を上げて笑う。
太郎も呆れながら笑った。
夕陽を背にした二人の影が、道の上へ長く伸びている。
龍馬が話しながら、いつもの癖で少し先へ出た。
太郎はその背中を見て、歩調を変えずに呼んだ。
「龍馬。また速うなっちゅうぞ」
龍馬が足を止めた。
振り返る。
「ああ、そうじゃった」
「毎回言わせるな」
「すまん、すまん」
龍馬はその場で待った。
太郎が追いつき、隣へ並ぶ。
二人はまた歩き出した。
「太郎」
「何じゃ」
「明日なんじゃが――」
「嫌じゃ。休む」
「まだ何も言うてない!」
「おまんがその声出す時は頼み事じゃ」
「ちょっとだけじゃ。話を聞くだけでええ」
「おまんが行け」
「わしは別のところへ――」
「知らん。明日は寝る」
「昼飯奢る」
太郎の足が。
少しだけ遅くなった。
「……何を」
「食いたいもん」
「酒も」
「昼からか?」
「嫌なら行かん」
「分かった、分かった!」
太郎が笑う。
龍馬も笑った。
夕暮れの道を。
二つの影が。
並んで伸びていた。




