八分の七バースデーケーキ 9
時刻は十二時を回り、俺は部室棟の三階、郷土文化研究会の部室にいた。
部室棟――正確には文化部室棟と呼ばれる建物は、管理棟、教室棟と並ぶ、朝凪西高校のもう1つの校舎だ。四階建ての校舎には朝凪西高校の校風とも言える多彩な文化部がひしめき合う空間で、薄い壁を隔てて外の笑い声が心地よく漏れ聞こえる。
郷土文化研究会の部室の真ん中には大きなテーブルが置かれ、窓から差し込む陽の光がその表面を四角く彩っている。
俺は定位置の少しひび割れた革張りのソファに腰掛け、弁当の卵焼きに箸を伸ばしていた。寮母の真弓さんが作ってくれたおかずはどれも絶品だが、中でも卵焼きは俺の一番の好物だった。口に入れると、優しい甘さと出汁の塩気が絶妙なバランスで広がってくる。
毎朝早起きして、五人分の弁当を作ってくれていただけでもありがたいのに、一か月前に台風の如くなだれ込んできた雫の分も、最近は作ってくれている。「五人も六人も大して変わらないわよ」と真弓さんは言っていたが、食べ盛りの高校生たちを支え続ける苦労は想像もできない。
そしてその元凶たる女は、俺の真横に座り、もしゃもしゃと音を立てて弁当を食べている。俺の視線を感じたのか、雫はサッと自分の弁当を隠した。
「ふんっ、そんな目で見てもあげないよ」
「ちげえよ。そんな物欲しそうな顔してたか、俺」
「欲望にまみれたオスの目だった」
雫はわざとらしく身をくねらせている。
「あげるってお前の貞操の話なの?」
「私の卵焼きをオスの目で見てた」
「俺をとんでもない異常性癖者にするな」
コイツはもっと真弓さんに感謝したほうがいい。そう思いながら大きく息をついた瞬間、凄まじい速度で雫の箸が俺の弁当の上を通過した。
「あっ、おい!」
「おいし~!」
残像が見えそうな勢いで俺の大事な卵焼きをかっさらった雫は、そのままそれを口へと運んだ。俺は弁当をテーブルの上に置き、人のおかずを食べて幸せそうな表情を浮かべている雫の両頬を思いっきり引っ張った。
「お前ら、いつも楽しそうだな」
その様子を向かいの椅子から眺めていた晴が冷ややかに言う。当の本人はすでに昼食を終えており、椅子の背もたれに肘を置きながら、眠たそうにスマホをいじっていた。
部室には遥と結もおり、二人とも弁当を食べている。俺と雫のやり取りに、またバカなことやってる、と呆れた調子で言っていたが、興味が逸れたのか、すでに別の話題で盛り上がっているようだった。
俺はいたたまれない気持ちのまま食事を再開した。なんで被害者なのに、こんな悪いことをしたような気持ちになるんだろうか。
昼食を終えても、午後の授業が始まるまでは少し時間があった。窓際に積まれた雑多な書類が陽を遮り、少しだけ薄暗い部室の中は、実際よりもゆっくりと時間が経っているように感じられる。
少しして、そういえば、と遥が口を開いた。
「誕生日会にいた子たちに当たってみたよ。って言っても、そんな大したことは聞けなかったけど。みんな、楽しかったーとか、水城くんやっぱカッコいいよねーとかばっかりで」
「ああ、いや、助かるよ。何か気になることはあったか?」
「みんな言ってたのは、当日の準備を澪ちゃんがすごい頑張ってた、ってことかな。飾りとか紙皿とか、飲み物とか。そういう細かいところ率先してやってくれてたって。余ったケーキとかお菓子の片付けも彼女がやったって」
そういえば水城も同じことを言ってたな。ケーキを切り分けるときでさえ、みんなの分の茶を注いでいたとか。
とはいえ、新見は学級委員なのもあってか、真面目な性格なのは普段話さない俺でも知っていた。今回の誕生日会のような少人数の集まりであっても、彼女が進んで裏方の雑事をこなすというのは自然な流れに思えた。
それから、と遥は続けた。
「もう知ってるかもしれないけど、誕生日会の話が出た日、詩乃ちゃんは学校休んでたんだって。
それで、長谷部くんが澪ちゃんに、詩乃ちゃんに連絡するようお願いしたらしいんだけど、そのときの澪ちゃんの様子が少し変だったって言ってる子がいたかな。誕生日会の話が出たあと、しばらく黙っていたとか、詩乃ちゃんの名前が出た時だけ反応が遅れたとか。その子は『気のせいかもだから本気にしないで』って言ってたけど」
友人の名前が出て、一瞬ぎこちなくなる。俺が二人が揉めているのを見たのは昨日の朝が初めてだが、クラスメイトの証言は水城の誕生日会の企画段階での話だ。つまり、俺が思うよりもっと前から、二人の間に何かあったのか――。
ただ、それだけではまだ形にならない。
詩乃が傷ついていたことは分かった。澪にも、何か引っかかるものがあったらしいことも分かった。けれど、あの多目的室にあった一切れ分の欠けが、どう繋がるのかはまだ見えない。
人の話だけを追っていても、これ以上は同じところを回りそうだった。
だったら――。
「もう一回、現場を見てみようと思う」
少しの間があって、結が読んでいた本から顔を上げた。
「管理棟、まだ規制されてるんじゃない?」
「放課後に先生へ確認する。第一発見者だし、現場確認くらいは頼めるかもしれない」
遥は少し考えてから頷いた。
「分かった。でも無理はしないでね」
「ああ」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
俺は食べ終わった弁当の容器を片づけながら、もう一度だけ昨日の多目的室を思い出す。
ビスケットやチョコプレートと化した室内と、中央に鎮座するバースデーケーキ。
誰かが食べたように見える一切れ分の欠けと、密室。
まだ、あの部屋は何かを隠している気がした。




