八分の七バースデーケーキ 8
白岡から話を聞いたその足で、俺たちは校庭へ向かった。
外へ出ると、朝の空気はさっきより少しだけ熱を帯びていた。グラウンドの方から、笛の音と、ボールを蹴る乾いた音が聞こえてくる。朝練終わりのサッカー部が、コーンやボールを片づけているところだった。
水城恒一は、すぐに見つかった。
背が高く、短く切った髪に、日に焼けた肌。首にはタオルをかけ、ジャージの袖を肘までまくっている。周りの部員と何か言い合いながら笑っていて、そこだけ朝の光が余計に明るく見えるようだった。
水城は一言で言うと、好青年だ。
クラスでも、部活でも、いつだって水城は集団の中心にいる。細身でありながら引き締まった健康的な外見もさることながら、その明るくさっぱりとした性格は男女を問わず人気があり、交友関係も広い。
郷土文化研究会という、どちらかと言えば目立たない寄りの部活に所属する俺にも、分け隔てなく接するのが水城という男だった。
「水城」
声をかけると、水城は顔を上げた。
「暁? どうした、こんな朝から」
「少し話を聞きたいんだけど、今、時間いいか?」
水城は俺の後ろにいる雫を見て、それから首のタオルで汗を拭いた。
「いいけど……悪い、先に片づけだけしてきていい? このまま話してると先輩に怒られる」
「ああ、もちろん。ごめんな、急に」
「全然、ちょっと待っててな」
水城はそう言って、部員たちの方へ戻っていった。
俺と雫はグラウンド脇のフェンスの近くで待つことにする。まだ朝とはいえ、六月の日差しはすでに強く、俺たちは木陰に向かった。土の匂いと、朝露の残った草の匂いが混じっている。薄暗い校舎の音楽室にいたときよりも、今は濃厚な夏の気配を感じた。
ふと隣の雫の姿を見る。すでに学校の指定は夏服に切り替わり、袖からは白磁のような肌が覗いていた。俺と同じく木陰に佇む彼女は、校庭の方を眩しそうに眺めていた。その横顔には一筋の汗が流れている。
「暑かったら、先に教室へ行って良いんだぞ」
別に指摘されたわけでもないのに、気付けばそんなことを口走っていた。内心で一人言い訳を考えてしまう。
「平気。いざという時にサポート欲しいでしょ?」
雫はなぜか偉そうに胸を張っていた。
「サポートなんてしてもらった記憶一切ないけど」
「貢物がないからね。ちなみに今日は、アイスのポイントが二倍」
「買えってか」
雫はにしし、と屈託のない笑顔を作る。こっちは朝っぱらから頭を捻って捜査しているというのに、呑気なもんだ。
ほどなくして、水城が更衣室から現れた。すでに制服に着替えていたが、まだ汗が引かないのか、タオルを首にかけたまま俺たちの方へ歩いてくる。そのまま合流し、教室棟へ向かう道を歩きながら話すことにした。
「お待たせ。それで、話っていうのは」
俺は返事の代わりに頷き、本題を切り出した。
「先週、誕生日会があったって聞いたんだけど合ってるか?」
「合ってるよ。長谷部が言い始めてさ。この歳で誕生日会ってなんか恥ずかしいから、最初は断ったんだけど」
長谷部というのは水城や俺と同じクラスの男子だ。確か水城と同じサッカー部で、教室でもよく二人で喋っているのを見かける。水城はそのまま続けた。
「アイツ、俺のこと無視してどんどん話進めていってんのよ。俺の誕生日だってのにな」
文句を言う口とは裏腹に水城は楽しそうで、まんざらでもない様子だった。
「で、どんどん人を集めてさ。最終的に俺と長谷部以外で六人に声掛けたって言ってたかな」
「その中に新見さんと白岡さんも入ってたか?」
「えーっと、ああ、確かそうだったと思う。あ、でも」
水城は当時の記憶を辿るように顎に手を当てる。
「誕生日会の話をしてた日、白岡さん学校休んでたんだよ。俺が『白岡も来るかな』って言ったら、長谷部が『じゃあ新見に頼めば早いだろ』って。で、彼女に頼んでた。あの二人、普段仲いいから、その方が手っ取り早いと思ったんだろうな」
なるほど、普段から白岡と仲良くしている新見に依頼して代わりに誘ってもらうようにした、と。それ自体は至極当然なことに思えた。端から見たら仲良し同士の方が誘いやすいと思うはずだ。
しかし、今回に限っては、それが予想もしなかった方向へと転がってしまった。白岡は誕生日会の存在を知らず、新見の気遣いをそのまま言葉通りに受け取った結果、誕生日会は欠席。後日別のクラスメイトから当日の様子を聞かされ、新見へと怒りが向かう。
「白岡さんの返事を受け取った新見さんは、なんて言ってたか覚えてるか?」
「俺のは長谷部からの又聞きだけど、まだ白岡さん体調よくないから来れないって言ってたぞ」
「そのまま信じたのか」
「え、だって休んでたんだろ? 無理させるのも悪いし」
水城は、何を言いたいのか分からないといった顔で俺を見た。おそらく本当に白岡は体調不良で来られなかったと、そう思っているのだろう。白岡にとって、その誘いがどういう意味を持っていたのか、水城は分かっていない。
「誕生日会は主催二人以外で六人って言ってたな。結局当日まで人数はそのままだったのか?」
「ああ、そうだよ。でも白岡さんは結局来られなかったからな。実際に集まったのは七人だった」
俺の頭の中で、昨日見たホールケーキが浮かぶ。円形の白いクリームに、大きなイチゴがあしらわれ、蝋燭やチョコプレートが飾られた姿。そしてその中央から扇形に抜けた、一切れ分の空白。白岡さんが欠席したことと何か関係があるのだろうか。
「ケーキ……」
そうつぶやく俺に水城が反応する。
「ケーキ? ああ、そういや誕生日会で食べたっけな。わざわざみんなで買ってきてくれてさ」
「どこで買ったケーキだったか覚えてるか?」
「駅前のモールで買ったって言ってたかな。ショートケーキだよ。みんなギャグのつもりだったんだろうけどさ、めちゃくちゃデカかったんだよ。八等分しても全然食べきれなくて」
水城が両手でケーキの形を作って、それがどれくらい大きかったのかを表そうとしている。
俺は相槌を打ちながらも、引っ掛かりを覚えた。
「ん、八等分? 集まったのは七人だったんだよな?」
「あれ、えっと……」
水城は記憶を探るように目線を上へ向けた。
「いや、うん、やっぱそうだよ。八等分したはず。みんな食べた後も一切れだけ余ってたから」
「誰が切り分けたかは覚えてるか?」
「誰だったかまでは覚えてないな……。ごめんな、記憶があやふやで。俺、思ったより浮かれてたみたいだ。そういやあの一切れも結局どうなったんだろうな」
「いいさ。主役なんだから当然だ」
水城は申し訳なさの入り混じった苦笑いを浮かべていた。別に悪びれる必要なんてないのに、こういうところが水城の人柄なんだろう。俺は続けた。
「新見さんは切り分けてない?」
「ああ、そこははっきり覚えてるよ。新見、飾りとか紙皿とか、そういう裏方の準備をずっとやってくれてたから。確か切り分けるときも、みんなの分のお茶を用意してくれてたと思う。あいつ、そういうのちゃんとしてるよな」
「白岡が来なかったことについて、新見本人は何か言ってたか?」
「うーん……さっき言った通り、体調悪いみたいって。あとは、無理させるのも悪いよね、みたいな感じだったかな」
そうして話すうちに、俺たちは教室へ到着した。早朝に到着したときはまばらだった人影も、予鈴前のこの時間にはすでに普段通りで、明るく照らされた教室は生徒たちの活気に包まれていた。もう二、三言交わして礼を言うと、水城とはそのまま別れた。
自席に向かう水城の背中を追うと、先ほど話題に出た長谷部や、他のクラスメイトたちと挨拶を交わし、談笑を始めていた。ここに来るまでの道中、水城からは誰かを責める言葉も、疑う言葉も一切出てこなかった。水城の中では、あの日の誕生日会は少し人数が減っただけの、普通に楽しい集まりだったのだろう。その様子は昨日の白岡や新見とは対照的で、酷くちぐはぐなものに思われた。
俺は自席へ着くなり、少しだけ考え込む。筋だけ見れば、やはり白岡の怒りが白昼夢になったと考えるのは自然だった。誕生日会に呼ばれなかった。好きな相手の誕生日だった。友人に裏切られたと思った。そこに、七人の写真と、一切れ余ったケーキが重なる。
しかし、俺の中にはまだ形にならない違和感が残っていた。それが何を意味するのかは分からない。
深く思考を巡らせようとしたが、折悪く予鈴が響き渡る。頭の中に組み立てた絵はその音に遮られ、脆く崩れていった。




