宵蛍、売り切れました 4
九条先輩が店に戻り、数分の後、客が動き始めた。
先頭から順に店内へ入り、購入を終えた客が紙袋を手に店を出る。
何人かの客は、店先で戦利品を取り出し、店を背景にスマホを向けていた。
後ほどSNSにでも投稿するのだろう。箱を両手で持ち上げ、角度を変え、光の入り方まで確かめている。
その客たちも、やがて俺たちとすれ違うように駅の方向へ戻っていく。
「綺麗だね」「やっぱり並んでよかった」そんな声が聞こえた。
俺たち三人の期待も、列が進むたびに否応なく高まっていく。
十七番。十八番。
会計は滞りなく進んだ。
一つ前、十九番の客が宵蛍の箱を受け取る。
薄い紙袋の中で、涼しげな包装がちらりと見えた。
そして最後。
ついに俺たちの番だ。
雫が二十番の整理券を両手で持ち、意気揚々とレジへ進む。さっきまでの暑さへの文句はどこへ行ったのか、表情だけ見れば完全に勝者だった。
店頭に立っていたのは、九条先輩だった。
こちらの姿を見て、少しだけ表情を和らげる。
「さっきぶりです、先輩! はい、二十番の札!」
希が元気よく整理券を差し出す。
九条先輩はそれを受け取ると、丁寧に頷いた。
「はい、少々お待ちください」
そう言って、奥へ向かう。
雫と希は、待ちきれないという顔でそわそわしていた。
雫に至っては、レジ台の向こうを覗き込みそうな勢いだ。
十秒。二十秒。
一分。
九条先輩は戻ってこない。
俺は少しだけ眉をひそめた。
商品を取ってくるだけにしては、妙に長い。
「……遅くないですか?」
希も同じことを思ったらしい。
雫は整理券を握ったまま、だんだん不安そうな顔になっていく。
さらに少しして、店の奥から小さな声が聞こえた。
「やっぱり、ないみたい」
「え、また?」
「うん。今朝は何度も確認したのに……」
聞こえてきた言葉に、九条先輩のものではない女性の声も混じっていた。店の奥にいる家族だろうか。
やがて九条先輩が戻ってきた。
さっきまでの丁寧な笑みは消えている。顔色が明らかに悪かった。
彼女は俺たちの前で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。……宵蛍、本日分は売り切れました」
雫の口が、ゆっくりと開く。
「え……」
あまりにも間の抜けた声だった。
けれど、今回ばかりは俺も同じような顔をしていたと思う。
雫の手には、二十番の整理券がある。
目の前のレジでは、十九番の客がたった今、箱を受け取っていったばかりだ。
「ちょっと待ってください」
俺は雫の手元の整理券を見る。
「整理券は二十番までしか配ってないんですよね」
九条先輩は青ざめた顔で頷く。
「はい。今朝も二十枚だけです」
「でも、二十番の分がない?」
九条先輩は、申し訳なさそうに唇を噛んだ。
「……はい」
雫が整理券を握りしめたまま、石みたいに固まっている。
希もさすがに言葉を失っていた。
「数え間違い、ですか?」
俺が聞くと、九条先輩は首を横に振った。
「今朝は、何度も確認したんです。母とも一緒に。箱詰めしたものを二十箱、店頭用に並べて、整理券も二十枚用意しました」
「でも、今は十九箱しか出ていない」
「いえ、それが……」
九条先輩は一度、レジ横の小さな控え帳へ目を落とした。
そこには番号と簡単な印が並んでいるらしい。
「控えの上では、二十箱分が出たことになっています。なのに、整理券はまだ雫さんが持っています。だから、普通ならまだ一箱残っていないとおかしいんです」
控えと数の合わない整理券が、レジの上にひっそりと横たわっている。
会話が途絶えた瞬間、店の空気が急に冷たくなったような錯覚に陥った。
九条先輩はもう一度深く頭を下げる。
「本当に申し訳ありません。お詫びになるか分からないのですが、よろしければ後日、ひと箱分ご用意させてください。夕凪寮までお届けします」
「そんな、頭を上げてください。ありがとうございます。どうか、お願いします」
九条先輩は少しだけほっとしたように息を吐く。
「とんでもありません。必ずご用意します」
それでも、その表情は晴れなかった。
俺は抱いていた疑問を口にする。
「先ほど、『また』と仰っていましたね」
俺が言うと、九条先輩の肩が小さく揺れる。
「昨日も、同じことがあったんですか」
彼女は少し迷ってから、頷いた。
「昨日だけじゃありません。ここ数日、最後の一箱だけが合わなくなることがあって」
「最後の一箱?」
「はい。十九番までは何も問題がないんです。でも最後のお客様の分を取りに行くと、箱がなくなっている。なのに、控えでは二十箱分が出たことになっていて」
九条先輩の声は小さくなる。
「他のお客様にも本当に申し訳ないのに、原因が分からず……」
雫がぽつりと言った。
「私の宵蛍……」
その声は、思ったより沈んでいた。
九条先輩は困ったように目を伏せる。
その表情を見て、俺はただの数え間違いでは済まない何かが、この店で起きているのだと感じ始めていた。




