宵蛍、売り切れました 3
「九条先輩、おはようございます!」
「希ちゃん、おはよう。来てくれてありがとね」
どうやら二人は知り合いだったらしい。
希は、その社交的な性格も相まって交友関係が非常に広い。
放送部という肩書きも関係しているかもしれないが、学校でも大半の生徒とは知り合いのようである。
もしかして、と思いかけたところで、希がこちらを振り向いた。
「紹介しますね。こちら寮友の湊さんと雫さんです。そして、こちらは三年生の九条琴葉先輩です」
そう言うと、お互いに軽く会釈した。
「それじゃあ二人も夕凪寮なんだ! へえ~、なんか嬉しい」
九条先輩の表情がふわりと和らいだ。
先程の客に対して向けていたものよりも少しだけ親しみを感じさせる笑みだった。
俺も合わせるように愛想笑いを浮かべたが、その言い方にやや引っかかりを覚えた。
「あの、嬉しいというのは」
「あ、ごめん、そうだよね。夕凪寮とはね、私の祖父の代から懇意にさせてもらってるんだ。それで、何となく同志みたいな感じがしちゃって」
なるほど、と頷いた。
そう言われてみれば、今までも時々だが、真弓さんが九条菓匠の菓子折りを寮生に出すことがあった。
あれも、昔からの付き合いだったのかもしれない。
「そうだったんですね。いえ、いつもありがとうございます」
少し大げさだったかもしれないが、そう伝えると、九条先輩はくすっと笑った。
ただ、近くで見ると目の下には薄く隈がある。客前ではきちんとしているが、ずいぶん疲れているように見えた。
「毎朝働いているんですか?」
「そうね、特に最近は。朝生もあるしでちょっと寝不足なのよ」
その言葉に思わず目を見張った。
「製造もやられてるんですか」
「家族経営だしね。まだ下手で、よく怒られてるけど」
希が横から口を挟む。
「もしかして宵蛍もですか」
「ええ、そうなの。だから、がっかりさせちゃうかも」
そんな自虐するようなことを言うと、小さく笑った。
希がブンブンと首を振る。
「そんな、すごいですよ! 写真見ましたけどすっごく綺麗じゃないですか」
昨日のSNSで見た画像を思い出す。
薄紫から夜空へ至るようなグラデーションに、散りばめられた金箔。
夏らしい涼やかな錦玉羹で、素人目には、十分すぎるほど美しい菓子に見えた。
九条先輩の眉が少しだけ下がった。
「おじいちゃんが作ってた頃はね、それはもう綺麗だったの。今よりもっと透明で、光が中で揺れてるみたいで。数年前までは現役で頑張ってたんだけどね」
そう言って、少し遠くを見る。
「おじいちゃん、細かい配合をきちんと残してくれなくて。熟練の感覚みたいなのも混ざってたのかも。それで、両親も完全には再現できてないの。私が作ってるのは、その再現のさらに再現みたいなもの」
和菓子づくりが職人技なのは言うまでもないが、それをさらに一から手繰り寄せるのは、かなり難しいのだろう。
「それでも、実際にこうしてたくさんのお客さんに買ってもらえているじゃないですか」
気付けばそんなことを言っていた。
だが、九条先輩が言っているのは宵蛍の芸術品としての完成度の話であって、売上の話ではないはずだ。
下手なフォローだったかもしれない、と内心恥ずかしくなった。
九条先輩は、それでも優しく顔を綻ばせた。
「……ありがとうございます。ただ、売り切れるのが早すぎる気もするんですよね。二十箱限定だから、というのもあるんでしょうけど」
「宣伝の効果なんじゃないですか?」
「そうなんですかね……」
売れることは良いことなんじゃないかと思ったが、もしかすると自分自身で納得のいかないものを売ることに抵抗があるのかもしれない。
「いいじゃない。今のだって、とっても美味しそうよ」
ふいに雫が言った。
「昔のじゃなくて?」
九条先輩が少し驚いたように聞き返す。
「うん。だって、今の宵蛍を見て、食べたいと思ったんだから」
身も蓋もないようでいて、なぜかその一言で九条先輩の表情が少しだけ緩んだ。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、少し気が楽かも」
雫はすでに宵蛍の方に視線を戻していた。
多分、慰めたつもりはないのだろう。




