宵蛍、売り切れました 2
翌朝、約束通り七時にリビングへ集まった俺と雫、希の三人は、準備もそこそこに、寮を後にした。
相変わらずひりつくような日差しが正面から降り注ぎ、アスファルトの地面に照り返された熱も相まって、数分歩いた頃には、滝のような汗が流れ始めていた。
隣を見ると、希が日傘を差して、それを雫にも半分傾けながら歩いている。
先程恨めしそうにその様子を見ていたら、希が「わりーな、湊。これ、二人用なんだ」などと抜かし、雫には嘲笑された。
もう、帰ってもいいだろうか。
正面に続く道は平坦で、そのまま真っ直ぐ行けば駅に到着する。
遠くの景色が、熱で歪んだガラス越しに見たみたいに、ゆらゆらと揺らぐ。街並みが陽炎に引き伸ばされ、上下に反転し、現実の景色が溶け出していく。
徐々に道をゆく人の数が増え、駅前の広場は土曜日の朝らしい賑わいを見せていた。
ジャージに身を包みスポーツバッグを背負う学生、スーツを袖に掛けたワイシャツ姿のサラリーマン、幸せそうな家族連れなど、様々な顔ぶれが行き来する。
駅にほど近い場所に、グランパレットの入口が見えた。
ガラス張りの豪勢なエントランスから、奥の広々としたフロアが透けている。
きっと開店する頃には、今とは比べ物にならないほどの活況となるだろう。
それを横目に駅舎を抜けると、一転して下町然とした昔ながらの風景が視界に広がった。
すぐ手前にアーケードの入口となるアーチがあり、その先には、色褪せながらも個性のある店の看板がいくつも重なっている。
行き交う人々に変化はないはずだが、そこには、どこか庶民的な温かみが感じられた。
アーケードに入ると、半透明の天井に日光が遮られ、いくらか暑気が和らいだ。
日差しの下で焼かれ続けた身体は、それでも余熱で汗を流すが、少し隙間の開いた店先から流れる冷気が通りがかりの肌に時折当たり、その都度多少涼やかな気持ちになる。
見回すと、アーケードの中には等間隔で同じ商店街フラッグが吊り下げられていた。
そこには『朝凪祭 七月十九日・二十日開催』と書かれた予告が示されていた。
朝凪祭は地域の納涼祭で、去年も同じくらいの時期に開催されていた覚えがある。あの時は遥や晴と一緒に来ていて、通りには露店やライブステージが組まれていた。
だが、当時の記憶に照らすと、朝とはいえ、商店街はかなり閑散として見えた。
大体三軒にひとつくらいだろうか、道の両側に広がる店々には明らかに長期間シャッターが閉ざされていたり、店内がもぬけの殻になっているものもあり、全体としては、とても盛況とは言い難い様子であった。
以前来たのは年が明ける前だったか、その頃はまだグランパレットはオープンしていなかった。それから半年と少しが経ち、当時の正確な光景は覚えていないが、今の商店街は、少なからずその新しいモールの影響を受けているようだった。
そのまま歩くことさらに数分、俺たちは目的の店に到着した。
目に映る木製の看板には、半分擦り切れた文字で『九条菓匠』と彫ってある。
店内はまだ暗く、中に人がいる様子もない。
にも関わらず、九条菓匠の正面には、すでに数十はいようかという人の列が出来ていた。
「おいおい、冗談だろ……」
俺は思わず、ため息を漏らしていた。
手元のスマホで時間を確認すると、まだ七時二十分。本来見越していた時間よりも十分早く到着したというのに、この有様である。
「早く並びましょう!」
そう言うと希は先にぱたぱたと駆けていき、列の最後尾に並んだ。
俺たちみたいに複数人で来ている客もいるだろうが、人の数だけで言えばとうに二十を超えているように見える。
買えるのか、これ……?
そうして一時間が経った。
時刻は八時半。前情報によればそろそろ整理券を配り始める時間である。
あれから俺たちの後ろにも数名並んだが、それ以降に到着した人々は、すでに間に合わないとみたのか、そのまま立ち去っていった。
そして店内から店の制服と思われる出で立ちの少女が現れ、店頭に立札を置いた。
列の後ろからだと見えづらいが、どうやら『宵蛍 本日二十箱限定』と書かれているらしい。
その文字を読んでいる間に、同じ店員が、最前の人へと順に札を手渡している。
「あ、あれ整理券じゃないですか?」
低い背を必死に伸ばしながら希が弾むような声を出した。
雫はいつもの丸っこい目を細め、さながら獲物を狙う獣のような気配を放っている。
どうやら整理券は一組一枚らしく、家族連れや友人同士でも一つの組として扱われているようだった。その数で見れば、俺たちはぎりぎり届くかどうかという位置だった。
そして店員が俺たちのところにやってきた。
近くで見ると、どうやら俺たちと同世代か、少し年上くらいに見えた。
胸元の名札には九条と書いてある。もしかして家族経営なのだろうか。
額に薄く汗を浮かべているが、丁寧な笑みを崩さず接客を続けている。
「はい、こちら整理番号二十番です。開店しましたら、店頭までお持ちください。……それでは、本日分の整理券配布はここまでとなります。以降のお客様は大変申し訳ありませんが、またお越しくださいますようお願いいたします」
どうやらギリギリ、限定商品レースに勝ったらしい。
雫と希は「きゃー」と盛り上がっている。
店員、もとい九条さんは俺たちの後方に並んでいた客にも丁寧にお詫びを伝えていた。
待ち時間が無駄にならなかったことは喜ばしいが、背中に恨めしげな視線を感じる気がして、素直に喜ぶことは出来なかった。




