マグカップ分の譲歩 7
十五時。あれから少し時間が経って、俺はまだリビングにいた。
目の前では雫が穏やかな寝息を立てながら、ソファの上で仰向けになっている。
『湊が保護者なんだから、ちゃんと面倒みなさいよ』とあっけらかんと言い放った希と、それに同調する面々はとっくに引き上げ、今や部屋には俺一人となっていた。
手元に握ったタオルを見つめる。
遥が去り際に俺へ渡したものだ。
――脂汗かいてるみたいだから、ちゃんと拭いてあげなさいよ。あっ、間違っても変なことしないでよ!
そんな大層不本意な言いつけを放たれ、俺はすぐさま否定した。
さらに二、三度念押しをされ、その度に適当にあしらうとやがて諦めたが、部屋を後にするときの遥は少しだけ寂しそうな顔をしていた。
うぅ、と雫が小さく漏らし、小さく身体を丸める。
こちらを向いた顔にひと筋の汗が流れているのに気づき、タオルを当てた。
近づけた俺の顔に、柔らかな息が触れる。
艷やかな前髪の裏に、長い睫毛が揺れた。
だが、そこまでだった。
俺は自らの身体を元に戻し、静かに息をつく。
「ありえないよ、絶対」
俺と雫の関係に、そういう名前をつけるのは違う。
これまでも、これからも、俺たちは利用し、利用される関係だ。
そんなことを考え、さらに数分が過ぎた頃、雫が目を覚ました。
薄く開かれた目が、ゆっくりと俺を捉える。
「……湊」
「おう。体調どうだ?」
「まあまあ」
そう言って、横になった姿勢から上半身だけ起こすと、小さくおどけた。
「えへ、ごめん。駄目だった」
「……バーカ」
俺と雫をつなぐリーシュの存在。
離れるとお互いに体調が悪化するという、なんとも迷惑な代物ではあるが、その条件や効果にはまだ分からないことも多かった。
だから今はこうして、日々試行錯誤を積み重ねるしかないのも事実であった。
落ち着いた頃合いを見計らって、俺は寮で何が起きているかを話し始めた。
ひとしきり説明が終わったところで、雫はそういえば、と口を開いた。
「みんなはどうしたの?」
「今は一旦解散したよ。今は白昼夢にも変化はなさそうだけど、何がどう影響するか分からないから、現場には近づかないように言ってある」
そう言うと、雫は頷いてソファから身を起こした。凝った身体をほぐすように伸びをして、二階の俺の部屋の方向を見つめる。
「それじゃあ、見に行ってみようか」




