表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様失格 ~宵蛍~  作者: しまいるか
八分の七バースデーケーキ
12/14

八分の七バースデーケーキ 12

 白岡が来るまでの数分間、新見はほとんど動かなかった。


 部室棟一階、音楽室の脇にある小さな空き教室。壁際には使われていない譜面台が何本か畳まれて立てかけられ、窓際には古い椅子が積まれている。西日が床を斜めに切っていて、その光の端に、新見はフルートケースを抱えたまま立っていた。


 自分で白岡を呼ぶことを了承したくせに、いざその時が近づくと、視線はずっと床に落ちたままだった。ケースの肩紐を撫でる指だけが、落ち着きなく動いている。


 やがて、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


 白岡は入口のところで足を止めた。俺と雫を見て、それから新見を見る。朝の音楽室で話した時より表情は硬かったが、怒鳴り込んできたわけではない。何を聞かされるのか分からない人間の警戒が、背筋の伸び方に出ていた。


「……澪と話す場を作りたいって聞いた」


 新見はすぐには答えなかった。フルートケースの肩紐を握る指が、一度だけ強くなる。


 先に口を開いたのは新見だった。


「誕生日会だって書かなかったのは、わざと」


 白岡の目が動く。


「詩乃が来なければいいって思った。水城くんと近くなるのが嫌だった。……それは、本当」


 白岡は目を逸らさなかった。


「何となく、そうかもって思ったことはあった」


 短い声だった。


「でも、そうじゃないって思いたかった。澪は応援してくれてるって、思いたかった」


 新見は何も言わない。

 その沈黙は、言い返す言葉を探しているというより、もう言い返せないことを分かっているように見えた。


 俺はそこで口を挟んだ。


「新見さん。多目的室に、水城向けじゃなさそうなプレゼントがあった」


 新見がこちらを見る。


「淡い水色の包みで、音符のシールが貼ってあった。あれ、白岡さんへのものじゃないのか」


「……知らない」


 返事は早かった。けれど、その直後、新見の手がフルートケースの外ポケットを押さえた。自分でも気づいていないような動きだった。


 白岡はそれを見逃さなかった。


「澪」


 新見は動かない。


「それ、見せて」


「これは……」


「見せて」


 白岡の声は大きくなかった。けれど、逃げ場を塞ぐには十分だった。


 しばらくして、新見はフルートケースの外ポケットに手を入れた。取り出したのは、小さな包みだった。淡い水色の包装紙。角に貼られた金色の音符のシール。何度も触れたのか、包み紙の端だけが少し柔らかくなっている。


 白岡は、その包みを見た瞬間に息を止めた。


「これ……前に私が可愛いって言ったやつだよね」


 新見は答えない。


「駅前の雑貨屋で。今使ってる譜面クリップが古いから、こういうの欲しいって言った時の」


 白岡は一つずつ確かめるように言った。


「覚えてたんでしょ」


 新見の喉が小さく動く。否定しようとしたのかもしれない。けれど、できなかった。


「買っただけ」


 ようやく出てきた声は、弱かった。


「私に?」


 新見は視線を落としたまま、包み紙の端を握りしめる。答えはない。けれど、その沈黙は否定ではなかった。


 白岡は小さく息を吐いた。怒りが消えたわけではない。むしろ、怒る理由が一つ増えたような顔だった。


「澪が私を全部外したかったわけじゃないのは分かる」


 白岡の視線は、新見の持つ包みへと注がれている。


「でも、だからって許せるわけじゃない」


 白岡は包みを見つめたまま、少しだけ声を落とした。


「……相談してくれればよかったのに」


 新見の目が揺れた。

 その言葉は、怒鳴られるよりも堪えたように見えた。


「嫌だったのは、本当」


 新見は包みを見つめたまま言った。


「詩乃が水城くんの隣にいるのを見るのが嫌だった。来なければいいって思ったのも、本当」


 白岡は黙って聞いている。


「でも、嫌いにはなれなかった」


 新見は、手の中の包みを少しだけ持ち上げる。


「渡したかったのに、渡せなかった」


 それ以上は、言葉にならなかった。


 俺はその包みを見て、ようやく一つ分かった気がした。


 新見が白岡に向けていたのは、拒絶だけではない。嫌だったのも本当。来てほしくなかったのも本当。けれど、それだけなら、この小さな包みはここにない。


 渡したかったものがある。

 しかし、渡せなかった。


 その矛盾が、新見の中に残っていた。


 白岡は、まだその包みを受け取らなかった。


 代わりに、言った。


「それは、あとでちゃんと渡して」


 新見が顔を上げる。


「今ここでじゃなくていい。でも、なかったことにはしないで」


 新見は返事をする代わりに、小さく頷いた。


 その時、雫が静かに口を開いた。


「まだ、終わってない。核は、あの部屋に残ってる」


 あの多目的室には、まだ形になったままの答えが残っている。


 一切れ欠けたケーキも、内側を向いて並んでいた八脚の椅子も、二人の言葉だけではまだほどけていない。


 そこまで行かなければ、この話は終わらない。


「行こう」


 俺が言うと、新見と白岡は、ほとんど同時にこちらを見た。


「多目的室へ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ