ミラ、壁を壊す(壊していない)
灰門第七共同住居棟の午後は、だいたい眠い。
昼の任務がない日は、皆それぞれ勝手に休む。
廊下は静かで、風が通る音だけが響いている。
ガルドは書類に目を通していた。
ギルド提出用の簡易報告。
戦果、消耗、破損物――
そのとき。
ドン。
鈍い音が、壁越しに伝わってきた。
ガルドのペンが止まる。
「……今のは」
次の瞬間。
ゴン。
「……」
そして、
ドガン。
ガルドは無言で立ち上がった。
廊下に出ると、すでにベルクが出ている。
「なあガルド、今の聞いた?」
「ああ」
「壁、いったよな?」
「まだ確定じゃない」
その先で、ミラの部屋の扉が半開きになっていた。
「……ミラ?」
返事はない。
ガルドは扉を押し開けた。
中は――普通だった。
ベッド、荷物、武器袋。
壁にも、床にも、異常はない。
ただ、ミラ本人が、壁の前で腕を組んでいる。
「……何してる」
「考えてる」
「何を」
「この壁、強いなって」
「理由を言え」
ミラは振り向いた。
「さっき、ちょっと試した」
「何を」
「拳」
「何回」
「三回」
「だから音がしたのか」
「うん」
ベルクが目を輝かせる。
「え、拳で? すげー!」
「褒めてない」
そこへ、イオリも顔を出した。
「あの……外から見たら、壁が壊れた音でした」
「外基準で語るな」
ガルドは壁に手を当てた。
ひびなし。
歪みなし。
「……壊れてない」
「壊れてないよ」
ミラはあっさり言った。
「じゃあなんで殴った」
「気になったから」
「何が」
「音」
「音?」
「この部屋だけ、夜に音が違う」
ガルドは眉をひそめた。
「どう違う」
「……壁の向こうに、人がいる音がする」
沈黙。
ベルクが首をかしげる。
「隣、空き部屋だろ?」
「うん」
「じゃあ――」
「でも、音はする」
ガルドは即座に結論を出した。
「気のせいだ」
「たぶんね」
「拳で確認するな」
「ごめん」
――話は、これで終わるはずだった。
しかし。
「でもさ!」
ベルクが手を叩いた。
「もし壁の中に隠し部屋とかあったらどうする!?」
「どうもしない」
「ロマンだろ!」
「ロマンで壁を壊すな」
「壊してないけどな!」
その瞬間。
ミシッ。
全員が固まる。
「……今の音は?」
イオリの静かな一言。
壁の奥から、
かすかな、布が擦れる音がした。
ガルドは、ゆっくり壁を見る。
「……ミラ」
「なに」
「もう殴るな」
「うん」
「ベルク、騒ぐな」
「えー」
「イオリ」
「はい」
「……聞かなかったことにしろ」
「了解です」
その場は、それで解散した。
誰も壁を壊していない。
記録上は。
その夜。
壊れていない壁の向こうで、
小さな影が、胸を押さえて座り込んでいた。
今日は危なかった。
音を立てすぎた。
反省。
日誌に、小さく記す。
壁は壊れていない。
私も、見つかっていない。
だから問題なし。
雑巾で、床を一度拭く。
誰も見ていない場所を。
灰門第七共同住居棟は、
今日も何も壊れていない。
たぶん。




