第八章 古代兵器はガルドを登録する
白銀の少女には、まだ誰も触れていなかった。
透明な構造体の足元に浮かんでいた《待機個体》《登録対象――未設定》の表示が消えると、リィナは眠った少女と、来た道を見比べた。
「待って。これ調べる前に、帰り道だけ先に確認したい」
ガルドが見る。
「今?」
「今。なにか起こしてから帰れませんでした、が一番嫌」
「そうだな」
「一度、門まで戻る」
「任せる」
それだけだった。
一行は、巨大な封鎖門のところまで戻った。
石造りの古代回廊との境界には、開いたままの門がある。
帰れる。
少なくとも、今は。
そこでリィナが振り返った。
「……あれ?」
「なんだ」
「ネフリドは?」
いない。
さっきまで当然のようについてきていた、少女の姿の神が消えている。
小さなシルクハットも、細いステッキもない。
赤い幕も。
椅子も。
白い鳩も。
去っていく足音すら、誰も聞いていなかった。
「いつ消えたの!?」
ガルドは前を向いたままだ。
「知らん」
「最後までいたよね!?」
「ああ」
「気づかなかったの!?」
「いつものことだ」
「いつものことなの!?」
リィナは数秒、誰もいない後方を見ていた。
それからガルドへ顔を向ける。
「ねえ」
「なんだ」
「あれ、結局なんなの?」
「ネフリド」
「名前じゃなくて!」
「神だ」
「それは見ればなんとなく分かる!」
ガルドは少しだけ考えた。
「見物が好きな神だ」
「見物?」
「ああ」
リィナの眉が上がる。
「禁止扉、開けたけど」
「気が向くと首を突っ込む」
「それ見物じゃない!」
「だから面倒なんだ」
アストラが横から口を挟む。
「僕も嫌いだよ」
「破壊神に嫌われてる神ってなんなの……」
「知らん」
「そこは知らないんだ……」
リィナはもう一度だけ後ろを見る。
なにもいない。
「……呼んだら出てきそうで嫌だな」
「名前出すな。戻ってきそうだ」
「今もう出したじゃん!」
数秒待った。
なにも起きない。
リィナが小さく息を吐く。
「……よかった」
「なにがだ」
「出なかった」
「呼ぶなよ」
「呼んでない!」
一行はもう一度、白い回廊へ入った。
白い回廊には、影がほとんどなかった。
壁も床も乳白色で、石には見えず、金属とも違う。灯具らしいものはどこにもないのに、ガルドたちが歩く先だけが淡く明るくなっていく。
リィナが天井を見上げた。
「……地下だよね?」
ミラが足元の白い床へ目を向ける。
「位置としては」
「その言い方やめて」
後ろを歩いていたアストラが、小さく笑った。
「ネフリドのせいだね」
「名前出すなって言ったでしょ!」
「僕は呼んでないよ」
「そういう問題じゃない!」
後方では巨大な封鎖門が開いたまま残り、その向こうには石造りの古代回廊、さらに何層も上にはアル=ネグラがある。
帰れる。
少なくとも、今は。
リィナは腰の袋から、細く裂いた赤布を取り出した。これまで地下で何度も使ってきた、帰路を示すための目印だ。
「ここ一個目」
床際へ置き、十数歩進んだところで振り返る。
「……あれ?」
「なんだ」
「待って」
戻る。
さっき布を置いたはずの場所には、なにも見えなかった。
「目印消えた」
イオリも布を置いたはずの床際を覗き込む。
「落としたとか?」
「置いた!」
ガルドも戻って床を見た。しゃがみ込み、なにもないように見える場所へ手を伸ばすと、指先が確かになにかを摘まむ。
赤い布片だった。
「……あるじゃん!」
「あったな」
「なんで見えなかったの!?」
ガルドはもう一度、布を床へ置いた。
その場では赤く見える。だが二歩、三歩と離れるにつれ、布は徐々に背景へ溶け込んでいった。色そのものが消えるわけではない。それでも、そこにあると知って目を凝らしても、いつの間にか視線が滑ってしまう。
ミラが位置を変えながら観察し、最後に布を拾った。
「物理的にはある」
「じゃあなんで見えないの」
「“目印”として認識されてない可能性がある」
「誰に?」
ミラは床へ視線を落とした。
「この場所に」
リィナの顔が引きつる。
「場所が物を見るの?」
「正確な言い方じゃないけど」
「不正確でも怖い!」
ガルドは布片を拾い、リィナへ返した。
「目印に使えない。それだけ分かりゃいい」
「こっちは帰りに使うんだけど!」
リィナは布をしまうと、すぐ次へ切り替えた。
短剣を抜き、白い壁へ浅く一本の傷を刻む。さらにもう一本を交差させ、十字を作った。
「これなら」
数歩離れる。
傷は残っている。
「よし」
その直後、淡い光が壁面を横切った。
「……え?」
十字の傷が薄くなり、さらに輪郭を失って、完全に消えた。
リィナの顔から色が落ちる。
「……最悪」
「修復した?」
イオリが壁へ近づく。
ミラは消えていく十字跡を見ている。
「あるいは、損傷した状態を許可してない」
「どっちでも困る!」
ガルドが消えた傷跡からリィナへ視線を移す。
「帰り道は?」
リィナは一度深く息を吸った。
怒鳴って終わらない。
壁、床、回廊の曲がり方、後方の門、同行者の人数を順に確認していく。
「別の方法考える」
「そうしろ」
それだけだった。
ガルドはもう先へ進む。
帰還判断について、横から口を出さない。
リィナも、それ以上の説明を求めなかった。
ネアは歩きながらオルフェンの資料を開いていた。数枚めくり、ふと壁面へ目を向ける。
「これ」
ミラも足を止めた。
白い壁の下部に、小さな記号が並んでいる。現在使われている神文字ではない。
「同じ」
「なにが」
ガルドが振り返る。
「あの司祭の紙に描いてあった」
ネアが資料を差し出した。
完全に同じではない。だが線の組み方や記号の癖は、明らかに近い。
ミラが壁の記号と資料を見比べる。
「オルフェンがここまで来てたとは限らない」
「でも、これを知ってた」
「深層由来の部材か、記録か、断片を地上で調べてた可能性はある」
「まだ決めるな」
「可能性って言った」
「ならいい」
ネアが二人を見る。
「毎回それやるの?」
リィナが即座に頷く。
「やる」
「慣れるよ」
「慣れたくない」
さらに進むにつれ、壁面に残る情報は増えていった。
読めない神名。
現在のカリ=エルでは使われていない人種表記。
《神鎖》という現在語より古い、接続を示しているらしい記号。
ミラは歩いては止まり、記録を取る。その回数が次第に増えていく。
「年代が逆」
リィナがミラの記録へ顔を向ける。
「なにが?」
「上より古い」
「それは分かってる」
「それに、さっきよりこっちの方がさらに古い」
ガルドも奥の壁を見る。
「降りるほどか」
「今見える範囲では」
白い回廊は、まだ先へ続いている。
ガルドは少しだけ目を細めた。
「街を掘ってるんじゃねえな」
「じゃあなに」
「過去を掘ってるみたいだ」
その直後だった。
――ドン。
全員が右を向く。
「……今度はなに!?」
「前じゃないよね?」
「横だ」
ガルドが剣へ手をかける。
右側の白い壁には、なにもない。
もう一度。
――ドン。
壁面が、ほんの僅かに膨らんだ。
イオリが目を見開く。
「……壁って膨らむんですか」
「普通はな」
三度目。
――ドンッ!
壁の一部が崩れた。
白い破片と粉塵が吹き出し、開いた穴からまず腕が伸びる。黒い肌、続いて肩、長く編み上げた髪。
一人の女が、そのまま穴を抜けてきた。
「お久しぶりです」
ノクティスだった。
服には白い粉塵が付き、腕には軽い擦り傷がある。それでも呼吸は乱れていない。
しばし沈黙。
「……なんで壁から!?」
リィナの声だけが大きかった。
ノクティスは背後の大穴を見る。
「近道でした」
「道じゃねえだろ」
「通れました」
「この人たち、“通れれば道”だと思ってない!?」
「俺を一緒にするな」
ネアがガルドとノクティスを見比べる。
「割と似てるよ」
「どこがだ」
「そこ」
「どこだ」
リィナはノクティスを上から下まで見た。
「一人で来たの?」
「はい」
「途中、なにもいなかった?」
「いました」
「なにが」
「いろいろいました」
「それだけ!?」
ノクティスは少し考えた。
「すべて説明しますか?」
「……長くなる?」
「かなり」
「じゃあいい」
「分かりました」
あっさり終わった。
だが、ノクティスの装備には、ここまでの道筋が残っていた。刃に大量の血はない。籠手には、なにか硬い関節部へ叩き込んだらしい浅い擦れがあり、肩と背には壁の粉が付着している。
無闇に破壊してきたのではない。
必要なところだけ壊して進んできた跡だった。
ガルドが壁の穴を見る。
「最初から壊したのか」
「いいえ」
「じゃあ」
「動く壁でした」
リィナが嫌そうな顔をする。
「なにそれ」
「避けても戻されるので、荷重点を確認しました」
「それで?」
「そこだけ壊しました」
「なるほど」
ガルドが頷く。
「納得しないでよ」
「全部壊すより早いので」
ネアも穴を見る。
「ちゃんと考えて壊してる……」
リィナも壁の大穴へ目を戻す。
「前も同じ感想になった」
ノクティスは小さく折り畳んだ紙を一枚取り出す。
床印の拓本だった。
「私の依頼物に使われていた紋章と一致しています」
ミラが覗き込む。
「この先?」
「可能性が高いです」
ガルドが拓本と回廊の奥を見比べる。
「なら一緒か」
「途中までは」
「十分だ」
正式に仲間になったわけではない。
目的が同じ方向へ向いただけ。
それで十分だった。
一行は、先ほどの円形室へ戻った。
中央には、巨大な透明構造体が変わらず据えられている。
棺。
あるいは保存槽。
内部では、あの少女がまだ目を閉じたまま眠っていた。
月白色に近い長い髪。
淡い肌。
身につけている衣装も見慣れない。礼装にも、軍装にも、人に仕える者の制服にも見えるが、そのどれか一つではない。
少女の姿を保ったまま、その存在自体がなんらかの機能として作られているようだった。
リィナは眠る少女を見つめる。
「……やっぱり、人に見える」
ミラが保存槽の内部へ目を凝らす。
「呼吸は確認できない」
ネアも少女を見る。
「死んでる?」
ノクティスは少女を間近に観察する。
「死体には見えません」
「それ、どう違うの?」
「腐敗していません」
「そういう意味か……」
ガルドが透明構造体へ近づく。
その表面へ、自分の姿が映った。
眼帯。
その奥が、さっきと同じように、ほんの僅かに疼く。
痛いほどではない。
ただ、なにかがこちらを見たような感覚だけが残った。
ガルドの指が眼帯へ触れる。
足元で、先ほどと同じ表示が灯った。
《待機個体》
続いて。
《登録対象――未設定》
「登録?」
ミラが読む。
「なにをだ」
「分からない」
アストラが少女から目を離さない。
「触らない方がいいよ」
全員が見る。
リィナが目を丸くする。
「……珍しい」
「なにが」
「アストラが止めた」
「僕だって止めるよ」
ガルドもアストラへ顔を向ける。
「知ってるのか」
アストラは少女から目を離さない。
「こういうのは、触らない方が面倒が少ない」
「説得力ある!」
「珍しく同感だ」
「もう少し評価してくれてもいいのに」
イオリが両手を上げた。
「触りません」
「絶対ね」
リィナが念を押す。
「分かりました」
「今回はお願い」
ミラまで加わる。
「ミラまで!?」
調査が始まる。
ミラは保存槽の外部表示だけを確認し、ネアは資料から同じ記号を探す。ノクティスは出入口と周辺構造を見て、ガルドは少女と室内全体を観察していた。
アストラだけは、妙に長く少女を見ている。
イオリは中央から距離を取り、足元を確認した。
段差を見つける。
ちゃんと避ける。
「よし!」
リィナが小さく拳を握った。
「僕だって気をつけてます!」
「やればできる!」
イオリが少しだけ胸を張る。
その瞬間、天井から小さな破片が落ちてきた。
「うわっ」
避ける。
一歩ずれた足元に、別の薄い板があった。
「あ」
「待っ――」
滑った。
イオリの身体が横へ倒れる。
保存槽には届かない。
手も触れない。
そのまま床へ転がった。
「触ってません!」
肘が古代制御板へ当たる。
カチ。
全員が黙った。
「……」
リィナがゆっくりイオリを見る。
「触ってません!」
「もっと悪いところ触った!」
円形室へ光が走った。
床から壁、天井、保存槽へと連鎖し、古代表示が浮かぶ。
《待機解除》
「すみません!」
「後だ!」
ガルドが剣を抜いた。
透明構造体の内部で、小さな音がする。
少女の指が一度だけ動いた。
続いて瞼が開く。
淡い青白色の瞳。
内部の固定が外れ、透明構造体が静かに開いていく。
少女はゆっくり上体を起こした。
寝起きの混乱はない。
息を吸うこともしない。
周囲を順番に見渡す。
「周辺環境照合」
声には、ほとんど感情の起伏がない。
「不一致」
視線が一度止まる。
続いて。
「時代照合」
長い沈黙。
「不一致」
「……なにと比べてるの?」
リィナの問いには答えない。
少女が立ち上がる。
裸足が床へ触れた瞬間、足首から淡い構造が展開し、身体を床へ固定するための薄い装具となった。
次に、少女は周囲を一人ずつ見ていく。
イオリ。
ネア。
リィナ。
ミラ。
ノクティス。
アストラ。
視線が移る間隔は、どれも同じだった。
確認して、次へ。
ただそれだけのように見える。
最後に、ガルド。
そこでだけ、間が伸びた。
淡い青白色の瞳が、ガルドから動かない。
眼帯の奥が、また僅かに疼く。
「個体名を要求します」
「俺か?」
「肯定」
「ガルドだ」
数秒。
少女の表情は変わらない。
「ガルド」
さらに。
「登録しました」
「なにを」
「ガルドを」
「答えになってねえ」
リィナが口元を押さえた。
笑いそうになっている。
アストラが一歩前へ出る。
「解除して」
少女がアストラを見る。
「要求権限を確認できません」
「僕は神だよ」
「要求権限を確認できません」
「破壊神だけど」
「要求権限を確認できません」
「強い」
リィナが感心する。
「そこじゃねえ」
アストラの笑みが少し薄くなる。
「登録解除」
「拒否します」
笑顔が僅かに引きつる。
「壊していい?」
「やめろ」
少女は即座にガルドを見る。
「ガルドによる敵対行為抑止を確認」
アストラの視線がマリーへ戻る。
「気に入らない」
リィナがガルドとマリーを見比べる。
「登録されたばっかりなのに、もう信頼されてない?」
「俺も困ってる」
ミラは保存槽脇の表示を調べていた。
「名前らしい表記がある」
そこに文字が浮かんでいる。
《MARRY-GHOST》
少女自身も答えた。
「登録名称。マリーゴースト」
「マリー?」
リィナが呼ぶ。
「省略呼称を許可します」
「許可された」
ネアが少女を見る。
「なんでガルドなの?」
「現行時代における第一識別個体として登録」
ガルドの眉が寄る。
「所有者とか主人じゃないんだな」
「“主人”の定義を要求します」
「聞かなかったことにしろ」
リィナがマリーを見たまま眉を寄せる。
「そこ説明すると面倒になりそう」
「僕なら説明できるよ」
アストラが割り込む。
「お前は特に黙れ」
ネアがマリーへ向き直る。
「だから、なんでガルド?」
マリーの視線が眼帯へ向いた。
「接続系統識別値が最も高いため」
ガルドの目が僅かに動く。
アストラも、一瞬だけ笑顔を消した。
ミラの手が表示の前で止まる。
「接続系統?」
「現時点で詳細解析権限なし」
そこで警報が鳴った。
円形室へ繋がる複数の通路、その奥で淡い光が動き始める。
《待機個体起動を確認》
《未登録個体多数》
《侵入判定》
「嫌な言葉しかない!」
リィナが弓を取る。
《侵入対象多数》
《排除処理開始》
ガルドが剣を構え、リィナは即座にネアとイオリの位置を確認した。
「二人とも中央から下がって!」
ノクティスも前へ出る。
アストラの笑みが消えた。
誰も戦えないわけではない。
だが、その前へマリーが一歩出た。
「戦闘権限を要求します」
「俺に聞くな」
「第一登録個体へ要求しています」
ガルドが黙る。
リィナが横を見る。
「聞かれてるね」
「……勝手にやれ」
「出力指定を要求」
「……最低」
全員がガルドを見る。
「最低出力でやれ」
「了解」
マリーの装具が展開した。
背、腕、脚へ薄い装甲が身体に沿って開いていく。
少女の姿そのものは変わらない。
変身したのではない。
最初から備わっていた機能が開いただけだった。
正面通路から第一波が侵入する。
マリーの右手に淡い光が集まり、一線だけが走った。
爆発は起きない。
先頭の個体が停止する。
その後ろも、さらに後ろも。
十体以上が、ほとんど同時に沈黙した。
「……え?」
リィナの声が漏れる。
左右から第二波が来た。
マリーが動く。
一瞬、姿が消えたように見えた。
次には敵群の内側へ入り込み、関節、動力部、脚部を正確に打ち抜いている。複数の打撃音が重なった時には、周囲の個体がすでに停止していた。
ノクティスの目が細くなる。
追えてはいる。
ただ、それだけに集中する必要がある速度だった。
上方から浮遊機が数体降りる。
マリーの瞳へ細い光が走り、照準は一瞬で終わった。
浮遊機がすべて落ちる。
静寂。
リィナの口が開いたままになる。
「……最低?」
「最低です」
「なにが最高なの!?」
「現状での使用は推奨しません」
「答えになってるようで怖い!」
アストラがマリーを見る。
「壊せる?」
マリーが見る。
「質問意図を理解できません」
「僕と君」
「張り合うな」
ガルドが遮る。
「気になる」
「俺は気にならん」
「戦闘比較要求と推定。情報不足」
「じゃあ今度――」
「やらん」
ノクティスは停止した防衛個体へ近づき、損傷箇所だけを確認した。
「非常に強いですね」
リィナがノクティスへ顔を向ける。
「そこまで普通に認める!?」
「事実でしょう」
「悔しくないの?」
「なぜですか?」
「いや……強い人って、最強とか気にするのかなって」
ノクティスは足元の機械を見る。
「彼女と私では役割が違います。私は兵器ではありません」
「肯定。個体ノクティスは兵器登録なし」
「そうですか」
「会話成立してる……」
その時、奥の通路で人影が一つ動いた。
防衛個体の陰へ隠れていたらしい。
この深層へ先に入り込んでいた探索者だった。
男はマリー、倒れた防衛個体、ガルドたちを順に見て状況を理解したらしい。武器を落とし、両手を上げた。
「待て! 降参だ!」
「止め――」
リィナの声より、マリーの照準の方が速かった。
淡い光が男の胸へ向く。
ガルドの視線がマリーへ鋭く向く。
「止まれ」
光が寸前で止まり、男はその場へ尻もちをついた。顔色が消えている。
「対象は戦闘能力を保持しています」
「降参した」
「“降参”の定義を要求」
空気が変わった。
さっきまでの驚きも、軽口も消える。
リィナがマリーを見る目から、可愛い少女へ向けるような軽さがなくなった。
ガルドの視線が、床へ落ちた武器から男の両手へ移る。
「武器を捨てた」
「両手を見せた。もう戦わないって意思表示だ」
「将来的再戦闘可能性を否定できません」
「そうだな」
「では排除が合理的です」
リィナがマリーへ真正面から向き直る。
「違う!」
「戦わないって言ってる人を殺さない!」
マリーがリィナを見る。
「理由を要求」
「それは……」
リィナが一瞬詰まる。
ガルドがマリーを見る。
「今は敵じゃないからだ」
マリーの視線が戻る。
「“今”」
「そうだ」
「将来は?」
「将来また敵になったら、その時考える」
「非効率です」
「そうかもな」
「では」
「合理的でも殺すな」
マリーが止まる。
数秒の沈黙のあと、兵装が沈み、照準が消えた。
「新規戦闘規則として登録します」
壁面へ小さな表示が浮かぶ。
《降伏個体への攻撃停止》
「それでいい」
リィナが息を吐いた。
男はまだ床へ座り込んでいる。
ネアもイオリも、マリーから目を離さない。
アストラがマリーを見る。
「合理的ではあるね」
「お前は黙れ」
「僕より融通利くかも」
リィナがアストラへ顔を向ける。
「比較対象がおかしい」
マリーはガルドを見る。
「ガルド」
「なんだ」
「“敵”の定義更新が必要です」
「自分で覚えろ」
マリーは僅かに間を置く。
「了解」
その返答を最後に、降伏した男から視線を外した。
それで本当に、攻撃対象から除外したらしい。
ガルドが剣を納めかけた、その時だった。
眼帯の奥がずきりと痛む。
手が上がり、ほんの僅かに顔が歪んだ。
「ガルド」
マリーが即座に振り返る。
「なんだ」
「異常反応を確認」
「放っとけ」
「拒否します」
アストラの目が少し丸くなる。
「また拒否した」
「嬉しそうに言うな」
「君の命令を聞かない女の子、珍しいから」
「お前も聞かねえだろ」
「僕は愛で聞かない」
「もっと悪い」
マリーはガルドの眼帯を見る。
「解析許可を要求」
「嫌だ」
「理由を要求」
「触られたくない」
「僕もずっとそう言われてる」
「参考情報として価値を認めません」
沈黙。
リィナがアストラとマリーを見比べる。
「強い」
アストラの笑顔が固まる。
「……本当に気に入らない」
ミラがガルドを見る。
「レヴァンとエリュネに関係するなら、調べる価値はある」
「……」
ネアもガルドへ視線を向ける。
「無理にとは言わないけど」
ガルドは眼帯を押さえたまま数秒考える。
「外から見るだけだ」
「了解」
「触るな」
「了解」
「僕との差がひどい」
「お前は触るだろ」
「触りたい」
「だからだ」
マリーがガルドの前へ立つ。
近い。
だが触れない。
淡い青白色の瞳へ細い光が走り、眼帯の奥――ガルド自身には見えないなにかを読み取っていく。
やがて、壁面へ文字が浮かんだ。
《接続観測履歴》
《非規格対象》
そして。
《接続指定干渉履歴:確認》
ミラの筆が止まった。
ガルドも、最後の一行を見る。
「なんだそれ」
「対象そのものではなく、対象間の特定接続構造へ干渉した履歴です」
ガルドの目が僅かに細くなる。
対象間。
その言葉と同時に、広間で見たものが戻った。
レヴァン。
エリュネ。
二人の間にあった、一本の線。
あの時、ガルドはレヴァンを見ていなかった。
エリュネも見ていない。
線だけを見て、剣を振った。
そして、エリュネが消えた。
ミラが記録の手を止めたまま、マリーを見る。
「レヴァンとエリュネ?」
「対象識別情報不足。照合不能」
「じゃあ」
リィナが一拍置く。
「ガルドは、エリュネを消したんじゃなくて?」
「個体エリュネへの直接干渉とは断定できません」
「確認できるのは?」
「“接続”への干渉です」
静かになった。
ガルドは、もう一度壁面の文字を見る。
《接続指定干渉履歴:確認》
「……接続だけを斬った?」
「“斬る”が比喩表現であれば、近似」
「面倒な言い方だな」
「精度を優先しました」
ミラが記録から顔を上げる。
「接続って、神鎖だけ?」
「否定」
全員の視線がマリーへ集まる。
「接続には複数種別があります。生命維持、神威供給、契約、情報共有、その他複数」
リィナの顔から軽さが消えた。
「じゃあ……間違った接続を切ったら?」
「危険性を算出できません」
「つまり、分からん」
「肯定」
それだけだった。
安全に切れるという話ではない。
どこを切れば、なにが起きるのか。
まだ分からない。
ガルドの中では、いくつかの事実だけが並んだ。
オルフェンの胸に残った黒銀の線。
傷の大きさに釣り合わない血。
レヴァンの攻撃。
「……そうか」
それ以上は口にしなかった。
だが、マリーの瞳から走査光は消えない。
「追加異常を確認」
「今度はなんだ」
「義眼内部に未登録改造痕」
アストラの顔から笑みが消えた。
完全に。
ガルドはそれに気づく。
「当該構造はデータベースに存在しません。この眼は規格外です」
「知ってる」
「僕も」
ガルドがアストラを見る。
「お前は黙れ」
いつもなら、すぐなにか返す。
だがアストラは僅かに遅れた。
「……はいはい」
笑顔は戻った。
ただ、戻るまでの一瞬だけを、ガルドは覚えた。
マリーの走査光が消える。
「解析完了」
「助かったとは言わねえぞ」
「謝辞を要求していません」
「ならいい」
ガルドは眼帯から手を離した。
少し間を置き、マリーを見る。
「ここはなんだ」
「質問範囲が広すぎます」
「場所」
「現在位置を表示します」
壁面へ光が走る。
最初に、小さな一点が現れた。
《第一封鎖域》
「ここ?」
リィナが近づく。
表示が広がった。
その上に巨大な構造。
さらに、その一部。
アル=ネグラ。
ネアの表情が変わる。
「……ここが」
表示はさらに上へ伸びた。
カリ=エル。
誰も声を出さなかった。
これは都市の地下地図ではない。
カリ=エルという都市そのものが、巨大構造物の上部へ載せられた、小さな生活圏のように表示されている。
アル=ネグラすら、古い構造の内部へ後から人が入り込んだものにしか見えなかった。
表示が切り替わる。
《封蓋都市基部》
その下に。
《第一封鎖域》
「封……蓋?」
リィナが読む。
ミラの視線が《封蓋都市基部》の文字に止まる。
「蓋」
「なにの?」
答えはない。
ネアは立体図を見上げる。
地上。
自分が生きていた場所。
逃げ込んだアル=ネグラ。
世界の底だと思っていた場所。
その全部が、もっと古いなにかの上にある。
「じゃあ、私たちずっと……」
ネアの口が、そこで閉じる。
イオリが立体図の上部を見上げる。
「蓋の上に住んでたんですか?」
リィナがすぐイオリを振り返る。
「言い方!」
「違うんですか?」
「そうだけど!」
ノクティスは立体図から目を離さなかった。
「蓋が必要だったということは、その下になにかがありますね」
全員の視線が、自然と下へ向く。
アストラだけが、立体図のさらに下を見ている。
「あるよ」
一斉に視線が集まる。
「なにが?」
リィナが聞く。
「下」
「ネフリドみたいにならないで!」
アストラが露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌だな、それ」
「じゃあ普通に答えろ」
ガルドが言う。
「まだ言わない」
「帰れ」
「戻った」
少しだけ空気が戻る。
ミラはすぐ地図へ視線を戻した。
「第二封鎖域以降、表示できる?」
「アクセス権限不足」
別の表示が重なる。
《第二封鎖域以降:情報欠損》
「肝心なところ見えない!」
「今はいい」
ガルドが切った。
ネアはまだ、オルフェンの資料と地図を見比べている。
「待って」
ミラも寄る。
ネアが手書きの図を一枚開いた。オルフェンの筆跡で、第一封鎖域に似た線と、その奥に別の施設記号が描かれている。
ミラが二枚の図を見比べる。
「一致してる」
ガルドが資料へ身を寄せる。
「どこだ」
ネアが資料をマリーへ向ける。
「照合します」
光が走り、立体図の一点が赤く示された。
《神人接続関連施設――照合率61%》
室内の空気が変わった。
ガルドの目が、立体図の赤い一点で止まる。
「そこだ」
リィナは地図全体を見る。
カリ=エル。
アル=ネグラ。
第一封鎖域。
さらに、その下へ続く巨大構造。
「これ……」
「なんだ」
「境務に戻って報告した方がよくない?」
合理的だった。
ミラも立体図全体へ視線を戻す。
「都市規模の案件になってる」
「私の依頼範囲も、大きく超えています」
ノクティスも同意する。
ガルドは立体図を見た。
カリ=エル。
アル=ネグラ。
今いる第一封鎖域。
その規模だけを見れば、事件の前提そのものが変わっている。
数秒。
「後だ」
「え?」
「街の正体は後で調べる」
ネアの資料へ視線を戻す。
「先に司祭殺しを終わらせる」
静かになった。
リィナが少し笑う。
「街そのものの謎より殺人事件?」
「死んだ奴が先だ」
ガルドは立体図を一度見上げる。
「街は逃げねえ」
アストラが立体図を見上げる。
「どうかな」
「不吉なこと言うな」
マリーがガルドを見る。
「目的を要求します」
「司祭を殺した奴を見つける」
「登録しました」
「なんでも登録するな」
リィナが笑う。
マリーは気にせず、オルフェンの資料と深層地図の照合を続けた。
その時、別の反応が浮かぶ。
《現行神鎖反応を検出》
ガルドの目が変わる。
「レヴァン?」
「個体名未登録。照合不能」
立体地図の中には淡い光点が一つあり、第一封鎖域のさらに奥を、今もゆっくり移動している。
「十分だ」
ガルドが剣を確かめる。
「行くぞ」
一行が動いた。
マリーも当然のようについてくる。
数歩進んだところで、ガルドが足を止めた。
振り返る。
「なんで来る」
「同行します」
「だからなんで」
マリーは少しだけ間を置く。
「登録個体の目的追跡が、現行最適行動です」
機械的な答えだった。
迷いはない。
「好きにしろ」
マリーが止まる。
「“好き”の定義を要求」
今度はガルドが止まった。
「……もういい」
リィナが吹き出し、ネアも少し笑う。ノクティスは表情をほとんど変えなかったが、口元だけが僅かに動いた。
アストラだけは、明らかに不満そうにマリーを見ている。
マリーも見る。
数秒。
「問題を検出できません」
「そこが問題なんだよ」
「二人とも来るなら黙って来い」
「了解」
「僕だけ扱い雑じゃない?」
「昔からだ」
アストラが止まった。
ほんの一瞬、さっきまでの不機嫌を忘れたように顔が明るくなる。
「覚えてる」
「……行くぞ」
ガルドは先へ向いた。
白い回廊のさらに奥。
立体地図の中では、淡い光点が今もゆっくり移動している。
そこには、司祭を殺した可能性が今もっとも高い男がいる。
レヴァン。
そして、彼と消えかけた神を繋いでいるもの。




