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元神鎖の傭兵は英雄にならない  作者: 秋月キアラ
灰門第七共同住居棟の暮らし(ショートショート)
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8/11

朝は静かに始まる(はずだった)

 朝の灰門第七共同住居棟は、静かだ。


 正確に言えば、静かであってほしいと、ガルドは常に祈っている。


 廊下に差し込む朝の光は薄く、石床に淡い影を落としている。

 共同炊事場からは、かすかに湯の沸く音。

 どこかの部屋で誰かが寝返りを打つ、低い軋み。


 ――よし。


 今日は、まだ、何も起きていない。


 ガルドは木のマグに湯を注ぎ、乾燥葉を落とした。

 簡素な朝茶。任務明けの身体には、これくらいでいい。


 昨日の任務は殺伐としていた。

 血の匂い、緊張、判断の連続。

 それでも全員、生きて戻った。


 だから今は、このどうでもいい平穏を、噛み締める時間だ。


 ――と、そのとき。


「おはようございまーーーす!!!!」


 壁が揺れた。


 ガルドは反射的にマグを掴み、こぼれた茶を避ける。

 振り向くまでもない。


「……ベルク」


 扉が勢いよく開き、ベルクが飛び出してきた。

 寝癖、裸足、なぜか上半身裸。

 朝日を背負って、やたら元気。


「いやー! 生きて朝を迎えられるって最高だな!!」


「声量を下げろ。ここは宿じゃない」


「え? でも共同住居だろ?」


「だから下げろ」


 そのやり取りを聞きつけたのか、別の扉がきしむ。


「……なんで朝から叫んでるの?」


 ミラだ。

 半分寝ぼけた顔で出てきたかと思えば、

 なぜか手に鍋を持っている。


「それ、どこから持ってきた」


「台所。昨日の続き」


「何の続きだ」


「試作」


 ガルドは嫌な予感を覚えた。


「火、使ったか?」


「ちょっとだけ」


「どれくらいだ」


「……爆発はしてない」


「してないの基準を言え!!」


 その横で、イオリがひょこっと顔を出す。


「えっと……たぶん、音で言うと“ボン”くらいでした」


「音で説明するな」


 ガルドは額を押さえた。


 ――まだ朝だ。

 まだ一杯目の茶だ。


 ベルクは気にせず、炊事場にずかずか入っていく。


「なあガルド! 腹減ってるよな? ミラの鍋、食えるって!」


「食うな」


「えー? 昨日の獣肉の残りも入ってるって言ってたぞ?」


「言ってない!!」


 ミラが即座に否定した。


「入ってるのは“似たような部位”」


「何のだ」


「……まだわかんない」


「捨てろ」


「もったいないじゃん」


 その瞬間。


 鍋の中から、ぐつりと音がした。


 全員が固まる。


「……今、動いた?」


 イオリの素直な疑問。


「気のせいだろ!」

 ベルクが笑いながら鍋を覗き込む。


 次の瞬間。


 湯が跳ね、鍋が転び、得体の知れない中身が床に広がった。


「うわっ!?」


「だから言っただろ!!」


「わ、わざとじゃないって!」


 騒ぎの中心で、ガルドはただ一人、天井を仰いだ。


 ――任務より危険だ。

 この共同生活。


 床の隅。

 誰にも踏まれない位置で、

 こっそりと雑巾が一枚、移動していた。


 それを見ている者はいない。


 ただ、壁の向こうで、小さな声が日誌に記される。


朝は静かに始まると思っていた。

でも、この人たちは、たぶん、これが普通。

こぼれたものは、あとで拭けばいい。


 今日も、灰門第七共同住居棟は、

 平和で、うるさくて、生きている。

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