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第2話 ― 処理という名の無関心_02

 神殿の奥には、祈りが届かない部屋がある。


 正確に言えば、祈りの声は届く。

 だが、意味だけが削ぎ落とされる。


 回廊を進むにつれ、詠唱の抑揚は耳に触れるのに、言葉として理解できなくなる。

 音はある。だが、そこに祈りはない。


「……ここ、空気が変ですね」


 リィナが小さく呟いた。


 声を潜めたつもりだったが、石壁に吸われる前に、ガルドの耳に届いた。


「変わってるんじゃない。均されてる」


「……均す?」


「余計な感情が出ないように」


 それだけ言って、ガルドは歩みを止めない。


 扉の前に立っていたのは、僧兵ではなく下働きの少年だった。

 水桶を抱え、視線だけで「ここから先は通るな」と告げてくる。


 リィナは一瞬、足を止めかけた。

 だが、ガルドは止まらない。


 少年の前で歩幅をほんのわずかに落とし、無言のまま取手に手をかける。


 金属は冷たかった。

 石の冷たさとは違う、人の体温を拒む冷たさ。


 香が鼻をかすめる。

 甘くも苦くもない、存在を薄めるためだけの香。


「……いい匂いじゃないですね」


「気づかない方が、神殿的には正しい」


 ガルドはそう言って、扉を開けた。


 中は、妙に整いすぎていた。


 蝋燭の配置、机と椅子の位置、紙束の積み方。

 すべてが“処理のため”に最適化されている。


 中堅司祭が二人、卓を挟んで座っていた。


 どちらも高位ではない。

 だが、神殿という巨大な組織を現実で回す役目を担う層だ。


 彼らは、ガルドにもリィナにも挨拶をしなかった。


 歓迎でも警戒でもない。

 ただ、手順だけがそこにある。


「……境務から来た」


 肩幅の広い司祭が、紙束をめくりながら言う。


「灰路で起きた件だ」


 リィナの肩が、わずかに揺れた。


「司祭が一名、死亡。夜明け前」


 淡々とした声。

 悲嘆も怒りもない。


 死が、事件ではなく事務の起点として扱われている。


「セイル=ナハト。階位、司祭。担当区は外縁寄り」


 痩せた司祭が名前を読み上げた瞬間、部屋の空気がほんの一拍だけ止まった。


 止まったのは、感情ではない。

 “確認”だ。


 確認が終わると、すぐに動作が再開される。


「……で、容疑者が?」


 ガルドが問う。


 声は低く、感情を乗せない。

 だが、逃げ道も与えない聞き方だった。


「売春婦のエルフだ」


 肩幅の司祭が答える。


 その瞬間、リィナは思わず口を挟んでいた。


「……え?」


 二人の司祭の視線が、初めてリィナに向く。


 それは非難でも警戒でもなく、

 “想定外”を見る目だった。


「神殿の司祭が、娼婦と?」


 言ってから、リィナは自分の失敗に気づく。

 だが、もう遅い。


 痩せた司祭が、紙束の角を揃えながら答えた。


「噂だ。確認はしていない」


「でも、そういう依頼文が出てますよね」


 リィナは食い下がる。


「“司祭を殺した娼婦のエルフ”。

 それって……最初から、そう扱うってことですよね?」


 一瞬、香の匂いが薄くなった気がした。


 ガルドは何も言わない。

 止めもしない。


 リィナがどこまで踏み込むかを、見ている。


「扱い、ではない」


 痩せた司祭が答える。


「処理の便宜だ」


「……同じじゃないですか」


 リィナの声が、少しだけ震えた。


 肩幅の司祭が、軽く息を吐く。


「君は若いな」


 侮蔑ではない。

 事実確認に近い。


「我々は、正しさを扱っていない。

 燃えるか、燃えないかだ」


 ガルドが、ここで口を開いた。


「燃えないために、境務を呼んだ」


 二人の司祭が、同時にガルドを見る。


「つまり、真相はどうでもいい」


「誤解しないでいただきたい」


 痩せた司祭がすぐに言葉を挟む。


「“どうでもいい”のではない。

 “扱わない”だけだ」


「同じだ」


 ガルドは即座に切り返した。


 部屋の空気が、わずかに張る。


 香が均そうとする前に、ガルドは続ける。


「俺たちは、終わらせる仕事をする。

 だが、最初から終わらせ方を決められている案件は、嫌いだ」


「……では?」


「最低限の情報は寄越せ」


 短い。

 だが、要求としては明確だった。


 肩幅の司祭が、しばらく沈黙した後、紙束の中から一枚を抜き取った。


「灰路の宿屋。刻印のある鍵束が押収されている」


 それを、机の上に滑らせる。


「香油瓶。外部商人の略号。

 あと……房飾りだ。古い祭具の一部」


 リィナは息を呑んだ。


 それは、“ただの娼婦”が持つものではない。


 ガルドは視線だけで確認し、頷いた。


「充分だ」


 二人の司祭が、わずかに目を細める。


 想定よりも、ガルドが引き出した。

 それを悟った表情だった。


「依頼文は最小限にしておく」


 痩せた司祭が言う。


「生死不問、だが……」


「殺す理由はない」


 ガルドが静かに言った。


 それは主張ではなく、宣言だった。


「……分かった」


 肩幅の司祭が、短く答える。


 交渉は、それで終わった。


 部屋を出た瞬間、香の匂いが薄れ、生身の空気が戻る。


 リィナは、思わず大きく息を吸った。


「……今の、成功ですよね?」


 小声で尋ねる。


「まあな」


「神殿、もっと隠すつもりでしたよね」


「隠してる」


 ガルドは歩きながら言った。


「全部は出していない」


「でも……」


「それでいい」


 ガルドは立ち止まらず、前だけを見る。


「全部を出させたら、仕事が増える。

 俺たちは、終わらせる側だ」


 リィナは、その背中を見つめた。


 憧れだった最強の傭兵。

 その姿は、想像よりもずっと静かで、ずっと現実的だった。


 そして――

 思っていたよりも、ずっと頼もしかった。

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