第2話 ― 処理という名の無関心_01
境務ギルドの石畳を歩くたび、胸の奥が少しだけ浮ついた。
――今日から、同じ依頼に出る。
それだけのことなのに、足取りが軽い。
リィナは自分でも驚くほど、浮かれている自覚があった。
「そんなに緊張してるか」
隣を歩く男――ガルドが、前を向いたまま言う。
声は低く、感情の起伏がほとんどない。けれど、不思議と冷たくは聞こえなかった。
「い、いえ! 別に! 緊張なんて……」
思わず否定して、余計に怪しい。
ガルドはちらりとだけこちらを見ると、それ以上は突っ込まなかった。
この人は、そういうところがある。
相手が踏み込まれたくない線を、最初から踏まない。
(……やっぱり、噂どおりだ)
境務ギルドで知らぬ者はいない。
灰門のガルド。最前線を歩き続けるベテランで、神殿案件を“事故”に変えてきた男。
リィナにとっては、憧れだった。
遠くから見上げるだけの存在。話すことも、ましてや一緒に仕事をすることもないと思っていた人。
それが今、同じ道を歩いている。
「……依頼の内容、改めて聞いてもいいですか?」
我慢できずに、聞いてしまう。
ガルドは少しだけ間を置いた。
「神殿絡みだ」
「……あ」
思わず声が漏れた。
神殿絡み。それは境務ギルドにおいて、ひとつの符号だ。
面倒。危険。後味が悪い。
そして、だいたい割に合わない。
「詳しい話は、着いてからだ」
「……はい」
それ以上は聞かない。
聞かないことも、仕事のうちなのだと、リィナはもう学んでいた。
しばらく歩くと、街の景色が少しずつ変わっていく。
宿屋や商店が並ぶ賑やかな通りを抜け、低い建物が固まって建つ一角へ。
境務ギルドが斡旋する、共同住宅区画。
実績を積んだ者にのみ与えられる居住地だ。
個室を持つ者もいれば、こうして複数人で一棟を使う者もいる。
(いいなあ……)
リィナは無意識に、建物を見上げた。
自分はまだ仮中級。
移籍前のギルドでは中級扱いだったが、境務では実績がすべてだ。
住宅の斡旋対象になるには、まだ遠い。
「ここだ」
ガルドが足を止める。
石造りの三階建て。
派手さはないが、妙に目立つ建物だった。
入口の上に、控えめな鉄板が取り付けられている。
《灰門第七共同住宅棟》
「……灰門?」
リィナが呟くと、ガルドは肩をすくめた。
「いつの間にか、そう呼ばれるようになった」
中に入ると、空気が少し変わった。
生活の匂いがする。乾いた布、保存食、薬草、そして人の気配。
「お、ガルドじゃん!」
いきなり大きな声が飛んできて、リィナはびくっと肩を揺らした。
声の主は、がっしりした体格の青年。
声量だけで場の空気を掴むタイプだ。
「また神殿案件? ご愁傷様!」
「ベルク、声を落とせ」
「えー? 聞こえないほうが問題じゃん?」
ベルクと呼ばれた男は、屈託なく笑う。
(あ……この人)
思い出す。
境務ギルドに初めて来た日、勝手に案内をしてくれた人物だ。
「そっちは?」
「あ、えっと……リィナです。今日から……」
「新しい同行者だ」
ガルドが淡々と補足する。
「おお! よろしくな! 困ったら全部俺に聞け!」
(……困ったら、最後の手段かな)
リィナは愛想笑いで応じた。
「……ガルド」
奥から、落ち着いた声。
振り向くと、黒髪の女性が立っていた。
無表情に近い顔立ち。整った美貌。魔導士のローブ。
第一印象は、近寄りがたい。
「ミラだ」
短く紹介される。
「留守中に、鍵のかかった棚から俺の物を勝手に使うなよ」
「……使ってないけど?」
即答だった。
「“使おうとした形跡”が、前回あった」
ミラは一瞬だけ視線を逸らした。
否定はしない。それが答えらしい。
(ミステリアス系……だよね?)
リィナは内心で首をかしげた。
さらに奥、壁際で帳簿を閉じていた青年が一人。
「イオリ」
ガルドが名前を呼ぶ。
「……俺はいない間、頼んだぞ」
イオリは静かに頷く。
「胃薬は買っておけ」
一瞬、ペンを持つ指が止まった。
「……了解です」
その反応が妙に真面目で、逆に印象に残る。
出立の準備は早かった。
――少なくとも、ガルド一人なら。
灰門第七の共同住宅に戻ると、いつも通りの光景がそこにあった。
人影はまばらなのに、誰かの生活の名残だけが部屋のあちこちに散らばっている。
ガルドは深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
それだけで、仕事の半分は終わった気がした。
「ベルク」
「おう!」
「その大量のじゃがいも、依頼主に返してこい。
善意をなんでも受け取るな」
「え、でもさ、“余ってるから”って――」
「“余ってる”は、“責任を処理したくない”の言い換えだ」
ベルクは数秒だけ考え、納得したように頷いた。
「……なるほど。分かった!」
素直すぎるのが、厄介なところでもある。
その一連のやり取りを、リィナは少し離れた場所から眺めていた。
想像していた“最強の傭兵”とは、だいぶ違う。
もっと怖くて、もっと近寄りがたい存在だと思っていた。
でも――
この人がいなくなると、確実に困る家だ。
それだけは、はっきりと分かった。
「行く」
装備を整えたガルドが言う。
「はい!」
リィナは背筋を伸ばして答えた。
住宅を出ると、外の空気が一気に流れ込んでくる。
振り返ると、灰門第七共同住宅棟が静かにそこにあった。
――この場所から、また戻って来られるのか。
ふと、そんな考えがよぎる。
だが、ガルドは立ち止まらない。
その背中を追いながら、リィナは胸の奥で小さく息を吸った。
憧れの人と。
知らない現場へ。
それが、今日の仕事だった。




