第1話 ― 期待の新人は、少しだけ浮かれていた_02
境務ギルドの掲示板は、いつ見ても落ち着かない。
紙の数が少ないのではない。残っている紙の質が、重いのだ。
ガルドは入口から三歩で足を止めた。
視線を上げるだけで十分だった。張り紙の並び方で、今日は「どんな日か」が分かる。
依頼が密集していない。
だが、空白が多い。
空白が多い日は、誰かが戻ってきていない。
ガルドは掲示板の前に立ち、紙を一枚ずつ追った。
魔物討伐。輸送護衛。倉庫警備。どれも「成立済み」の印がある。受付印の朱が乾いている。
そして、いちばん端。
少しだけ紙の色が違う一枚。
小さく、薄い。
内容も短い。
――灰路外縁。
――司祭殺害事件関連。
――対象:エルフ女性。所在不明。
――捜索。
報酬額の記載がない。
期限もない。
危険度も、ランクも書かれていない。
境務向けだ。
ガルドは、その紙を剥がした。
指先に伝わる感触が軽すぎる。紙片というより、メモに近い。
「……少なすぎるな」
呟きは、誰に向けたものでもない。
背後では、若い傭兵たちが別の張り紙を眺めている。
「また境務か」
「やめとけよ、あそこ。割に合わねぇ」
「死ななきゃいいけどな」
軽口だ。
だが誰も、ガルドの方を見ない。
境務の仕事を取る人間は、話題にしない。
それがこのギルド街の暗黙だった。
ガルドは紙を畳み、受付へ向かった。
境務ギルドの受付は、広くない。
だが無駄な物もない。台帳、札箱、簡素な椅子。飾りは一切ない。
カウンターの向こうで、受付係――イェルが手を止めた。
顔を上げるより先に、紙の音を聞き取ったらしい。
「……掲示板?」
短い声。性別を判断させない、仕事の声だ。
「取る」
ガルドは紙を差し出した。
イェルは受け取らず、内容だけを一瞥する。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で空気が変わった。
「……今日は、即受理できません」
「理由は」
「成立証人を呼ぶ案件です」
周囲の音が、一段落ちた。
帳簿をめくる音が止まり、床を歩く足取りが遅くなる。
ガルドは眉を動かさない。
「ラグスは」
「います」
イェルはそう言って、台帳を閉じた。
閉じる音がやけに静かだった。
「奥へ」
通路は短い。
だが、この通路を通るとき、誰もが無意識に背筋を伸ばす。
執務室の扉は開いていた。
中にいた男は、噂よりも地味だった。
背は高くない。剣も帯びていない。装飾もない。
だが――
そこにいるだけで、空気が静まる。
ラグスは机に向かったまま、ガルドを見た。
「……紙が少ないな」
開口一番、それだった。
「足りない」
「足りないほうが、余計なことを考えずに済む」
ラグスはそう言って、ようやく視線を紙に落とした。
読むというより、確認する仕草だ。
「司祭殺し。娼婦。エルフ。……ずいぶん組み合わせが悪い」
「悪いほど、燃える」
「燃やさないのが境務だ」
即答だった。
ラグスは紙を机に置き、指で端を揃えた。
「これは捜索だ。討伐じゃない」
「分かってる」
「見つかっても、終わらせ方を間違えるな」
ガルドは頷かない。
だが、呼吸が一度だけ深くなった。
「単独で行くか」
「……いや」
ラグスは、少しだけ考えた。
「新人をつける」
その言葉に、ガルドは初めて顔を上げた。
「境務に?」
「移籍組だ。腕はある」
ラグスは視線を逸らさない。
「境務でやれるかどうかは、別だがな」
「守らないぞ」
「知ってる」
ラグスは短く息を吐いた。
「だから組ませる」
イェルが扉の外から声をかけた。
「……呼びますか」
「呼べ」
その一言で、決まった。
ラグスはガルドを見て、低く言った。
「余計なことは教えるな」
「する気もない」
「生き残ったら、それでいい」
ガルドはそれに返事をしなかった。
返事をする必要がない言葉だったからだ。
数分後、廊下に足音が増えた。
軽い。弾むような足音。
まだ、何も知らない足音だ。
執務室の扉が開く。
そこに立っていた少女は、背筋を伸ばし、目を輝かせていた。
期待と高揚を隠しきれない顔。
ラグスはその表情を一瞥し、すぐに言った。
「今回、君といっしょに――
司祭を殺した娼婦のエルフを捜索する、リィナ君だ」
少女の時間が、一瞬止まる。
そして、ガルドは初めて彼女を見た。
――ああ。
この顔は、まだ境務を知らない。
そう思った。




