第1話 ― 期待の新人は、少しだけ浮かれていた_プロローグ
扉が閉まる音は、思ったよりも軽かった。
報告役の足音が回廊に吸われ、気配が完全に消えたあと、部屋には香だけが残る。
祈りのための香ではない。
感情を均すための香だ。
神殿の奥は、外で起きた火種を
“処理”で消す場所だった。
「で、どうする」
肩幅の司祭が言った。
会議の形は取らない。議長もいない。議事録も残さない。
だが、決めなければならない。
決まったという痕跡だけが残れば、それでいい。
痩せた司祭は紙束を閉じ、細い紐で縛った。
強くは締めない。均等に、丁寧に。
感情が入り込む余地を消すための縛り方だ。
「処理する」
痩せた司祭が言う。
救済でも、裁きでもない。
終わったことにするための言葉。
「派手にするな。静かにだ」
肩幅の司祭が椅子に体を預ける。
小さく軋む音が、香に均されて消えていく。
「司祭が死んだ。灰路。女絡み……これ以上、線は引かない」
「引けるか?」
「引く。引かせる」
声は低く、強くならない。
彼の仕事は、人を動かすことではない。
動かす人間を動かすことだ。
「神殿の手では追えないな」
肩幅の司祭が言う。
「追えば、手が汚れる」
痩せた司祭は頷かない。
代わりに、紙束の角を揃えた。
「外へ出す。境務ギルドの連中に」
「便利だな」
喉の奥で詰まった言葉だった。
「評価ではない。事実だ」
境務ギルドは裁かない。
終わらせる。
神殿が欲しいのは、それだけだった。
「……あのエルフはどうする」
肩幅の司祭が言う。
「生きていれば、火種になる」
痩せた司祭は即座に首を振った。
「殺す理由がない」
倫理ではない。負担で語る。
「殺せば仕事が増える。死体、証言、噂……
こちらが手を出した疑いも残る」
淡々と数える。
「生きていようと、死んでいようと、
我々の仕事は増えるだけだ」
守らない。
だが、消そうともしない。
興味がない。
「神殿として欲しいのは何だ」
「静かさだ」
即答だった。
「終わったと扱える状況。
証拠があってもいい。なくてもいい。
……皆が『終わった』と思えば、それでいい」
「真相は?」
「不要だ」
痩せた司祭は紙束を持ち上げる。
それが、この部屋での終わりの合図だった。
そのとき、ひとり分の影が前へ出た。
いつからそこに立っていたのか、誰も覚えていない。
足音はあったはずだ。
だが、気配が記憶に残らない。
口元を覆う半面布。
白でも黒でもない、鈍い灰色の法衣。
「境務への依頼文は、これでよろしいでしょうか」
沈黙執行官サリアスの声は、低く、均されていた。
痩せた司祭が視線を向ける。
「境務に任せる、ということか」
「はい」
即答だった。
「それで終わると思うか」
肩幅の司祭が問う。
サリアスは首を振らない。
肯定も否定もしない。
「終わらせます」
主語が、境務ではない。
「君が動くのか」
「動きません」
穏やかに言う。
「私は、見ているだけです」
その言葉に、香がわずかに揺れた。
「境務の仕事が、
成立するかどうかを確認します」
「成立しなければ?」
「補います」
誰も、その言葉の中身を聞かなかった。
ここでは、言葉の先を想像しないことが礼儀だ。
「生死の指定は?」
サリアスは、ほんの一瞬だけ考えた。
「不要です」
「疑いが消えれば、それでいい」
そう言って、半歩、下がる。
報告は終わった、という位置だった。
「依頼文は最小限に。
出どころは匂わせるな。神殿の名は出すな」
痩せた司祭が言う。
「承知しました」
サリアスは深く頭を下げない。
祈りの姿勢ではない。
扉が開く。
一瞬だけ、生身の空気が戻る。
汗と石と、人間の匂い。
だがすぐに、回廊の香がそれを均した。
都市は今日も燃えない。
その代わり、誰かが静かに消える。
神殿は今日も、
祈りではなく、処理として終わらせ方を選ぶ。
そして――
その外側で、
沈黙を守る者が、念のために目を開く。




