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BBQ

落ちる。


音が、ない。

ないのに、空気が潰れる。


パンスバイソンが枝から落ちてくる瞬間、森が一段だけ暗くなった。

巨体が光を遮る。

影が先に到着する。


ユキが、吠えない。

吠えないまま、前へ出る。

白い体が“落ちる線”の外へ滑り、次の瞬間には逆側へ回っていた。


アラシは影に沈む。

沈んだ影が増える。

増えた影は、森のどこにでもある。

だからこそ――どこからでも来る。


モリは見上げない。

見上げた首は、固まる。

固まった首は、死ぬ。


落下の着地点を読むのは、影と風と、幹の軋みだ。


ミシ。

ミシミシ。


幹が悲鳴を上げた分だけ、重さが移動している。

重さが移動した先に、落ちる。


「……来い」


モリは喉の奥で言って、足をずらした。

後ろへは下がらない。

横へ。影の線から外れる。


ドン、と。


音が遅れて来た。

地面が沈み、根が軋み、落ち葉が跳ねた。


樹豹牛――パンスバイソンが、着地した。


野牛の胴。

豹の斑。

横に広い角。

そして、蹄の裏にある吸盤状の肉球。


巨体なのに、着地の衝撃が“散って”いる。

地面を壊しすぎない。

壊さないから、次が速い。


パンスバイソンは頭を振った。

角が、森の狭さに合っていない。

横幅で、空間を削る。

削った空間が、そのまま“圧”になる。


ユキが、半歩だけ前。

真正面には立たない。

角の線に乗らない。

鼻先を低くして、匂いを読む。


アラシは、まだ見えない。

見えないまま、気配だけが周囲を回る。


モリは弓を引いた。

狙う場所は決まっている。


樹上に戻さない。


樹上に戻った瞬間、こいつの勝ち筋が増える。

落下の圧。枝移動。無音。

森そのものを足場にした三次元の狩り。


こちらが勝つには、地面の二次元に引きずり下ろしたまま、終わらせる。


――茨罠のルパリウス。


モリは“森を壊さない”範囲で、茨を呼ぶ。

止める罠じゃない。

導線を削る罠。

逃げ道の角度を変える罠。


発動。


土が、わずかに持ち上がった。

一気に生やさない。

森を痛ませる前に、線を引く。


茨が、地面を舐めるように伸びた。

輪ではない。

矢印みたいな形。

“こっちへ寄せる”線。


パンスバイソンの前足が一歩出る。

その蹄の裏が、茨の上を滑った。

滑る。

吸盤は“噛む”が、茨は“逃がす”。


噛み合わない。


巨体の重心が、わずかに外へ流れた。

その一瞬で、ユキが動く。


白い狼が、横から噛みつく。

噛みつく場所は皮じゃない。

関節の周辺。

筋の向き。

“曲がる場所”を狙う。


パンスバイソンが怒って、角を振る。

角の風圧だけで枝葉が飛ぶ。


ユキは引く。

粘らない。

噛んで、離して、また回る。

それがユキの手順だ。


次の瞬間、影が跳ねた。


アラシ。


黒い狼が、影から影へ――いや、影そのものから出たように見えた。

音がない。

気配だけが、急に“そこにいる”。


アラシはパンスバイソンの背へ乗らない。

背に乗れば、振り落とされる。

巨体の揺れは、落下に似ている。


アラシが狙うのは、足。

蹄の裏。

吸盤状の肉球の“端”。


噛みつく。

深く噛まない。

血を出さない。

でも、痛みと違和感だけを残す。

その違和感が、次の一歩を狂わせる。


狂った一歩は、茨に引っかかる。

茨に引っかかった足は、地面へ寄る。

寄った重心は、戻りにくい。


パンスバイソンは、賢い。


賢いから、次の手を選ぶ。


樹上だ。


巨体が、木に向かって走り出す。

走り出しが無音に近い。

蹄が吸う。

地面の音が消える。


走ったまま、幹へ前足をかける。

その瞬間、筋肉が“登る形”になる。

野牛の体が、山猫みたいにしなる。


――上へ行かせるな。


モリは矢を放った。


狙いは、肩。

止めない。

角度を変える。


矢が刺さった瞬間、パンスバイソンの肩が一度だけ落ちる。

落ちた重心は、登りの線を外れる。


外れた重心が、茨の線へ吸われる。


モリは二本目をつがえる。

撃たない。

撃たずに、走る。


弓を持ったまま、距離を詰めない。

詰めるのは狼だ。

詰めさせるのが、自分の役割だ。


「ユキ」


名前は、合図になる。


ユキが前へ出た。

真正面を取る。

でも角の線には入らない。

盾じゃない。

“前”を作る。


パンスバイソンが、ユキへ突こうとする。

ユキは半歩、ずらす。

戻らない。ずらす。

それだけで、角は空を切る。


空を切った角の横幅が、木の幹に当たった。


ゴン、と。


今度は、はっきり音が出た。

森が嫌がる音。


パンスバイソンの頭が、ほんの僅かに止まる。

止まったのは、痛みじゃない。

“想定外”だ。


その想定外に、アラシが噛みつく。


影から出る。

噛む。戻る。

一息で。


モリはその一瞬に、茨を“生やし直す”。


地面に一本。

木の根の間に一本。

全部、囲わない。

囲うと森が荒れる。

逃げ道を残しながら、角度を削る。


逃げ道が残るから、相手はそこへ行く。

行く先が、こちらの“門”だ。


パンスバイソンが門へ向かう。

向かった瞬間、ユキが追う。

追いすぎない。

背を見せない距離。

一撃で触れて離れる距離。


アラシは横。

影の縁。

常に“次”の影を作る位置。


モリは、最後の一本を撃った。


狙いは、腹。

致命じゃない。

でも、痛みが出る場所。


矢が刺さり、巨体が大きく息を吐いた。

吐いた息が熱い。

熱い息が、葉を揺らす。


その揺れの中で、幹がまた鳴った。


ミシ。


自分で登ろうとした木だ。

登れない。

登れないまま、重さだけがかかる。


パンスバイソンが、膝を折った。

折れたというより、落ちた。


巨体が地面へ沈む。

沈んだ瞬間、森の音が戻る。

鳥が一羽、遠くで鳴いた。


ユキが、喉の奥で低く鳴る。

勝った、ではない。

終わった、の音だ。


アラシは影の中で、目だけ瞬いた。

血の匂いを増やしすぎない。

仕事が終わったら、戻る。


モリは息を吐いた。


勝ち方が、派手じゃない。

でも、きつい。


三次元の相手を、二次元へ落とし続ける。

戻そうとする相手を、戻らせない。

その“戻らせない”の積み重ねが、戦いだ。


モリは刃物を取り出し、解体の手順へ切り替えた。


まず血を抜く。

次に皮を開く。

脂の層を傷つけない。


幻のバラ肉。


木登りで鍛えられた腹筋と、野牛の脂が層になった厚い三枚肉。

触っただけで分かる。

重い。

重いのに、張りがある。


ユキが鼻を鳴らした。

“食える”の音。


「……少し待て」


モリが短く言うと、ユキは素直に伏せた。

アラシは影に戻る。

戻る場所があるのが、強い。


切り分けた肉を、モリは布で包み、縄で縛った。

担ぐ。

重い。

だが、重さは“成果”だ。


帰路は、速くしない。

速くすると匂いが伸びる。

匂いが伸びると、人が寄る。獣も寄る。


ユキが前。

アラシが影。

モリが真ん中。

三つの呼吸が揃ったまま、森を抜けた。


拠点へ戻ると、空気が変わった。


湯気の匂い。

木の匂い。

汗の匂い。

そして、人の声。


「……戻った」


それだけで、誰かが顔を上げる。

顔が上がる。目が上がる。

その“上がり方”が、飢えじゃなく期待だ。


マコトが最初に見つけた。


「え、うそ。でっか……!」


声は出る。

でも、すぐ落とす。

落としてから、笑う。


「やば。今日、祭りじゃん」


ケンジが近寄って、肉の包みを覗いて、息を呑んだ。


「うわ、脂……これ、焼いたら反則っす」


タクミは包みの縄を見て、すぐに手を出した。


「手伝う。運ぶやつ、俺やる」


言い方が短い。

短いのに、嬉しさが漏れている。


共存派の人間が集まる。

被災したNPCが集まる。

復興を手伝っていたプレイヤーが寄ってくる。

騎士団の兵士が、仕事の顔のまま近づいてくる。


「……それ、森のやつか」


兵士が言う。

噂を知っている声。

でも責める声じゃない。


「ああ」


モリが短く返すと、兵士は頷いた。


「助かる。

……俺らも、次は追う」


次は追う。

その言葉が、コンテンツになる匂いを持っていた。

狩りが、仕事になって、仕事が遊びになる。

その境目。


ベイル・キーパーズも、外側の見張りから戻ってくる。

カイトが肉を見て、短く言った。


「……良い。今日は燃やす側だ」


燃やす。

でも、街を燃やすんじゃない。

火を起こす。肉を焼く。笑いを起こす。


アズールも来た。


簡素な鎧のまま。

“王”の衣装じゃない。

仕事の人間の姿。


アズールは肉の量を見て、目を細めた。

その目の細まりは、命令の細まりじゃない。

嬉しさの細まりだ。


「……今日がある、か」


小さく呟く。

自分に言っている。


モリは答えない。

答えないまま、火を見た。

火を見ると、落ち着く。


炭が起きる。

鉄板が置かれる。

岩塩が出る。

森の香草が刻まれる。


パンスバイソンの腹肉は、ぶつ切りにされる。

厚い。

厚いのに、脂が白い。

白い脂が、すでに溶けそうな顔をしている。


「焼くよー! 火、危ないから線、守ってね!」


マコトが言う。

注意が明るい。

だから守れる。


被災者のNPCが、少し離れたところで手を合わせた。

祈る形。

でも宗教じゃない。

食事の前の手順だ。


プレイヤーの誰かが、木皿を配る。

配り方が慣れていない。

でも、慣れていないからこそ丁寧だ。


騎士団の兵士が、薪を運ぶ。

運ぶのは仕事の延長。

でも、顔が少しだけ柔らかい。


魔族の若い者が、香草を見て言った。


「……その草、苦い」


モリが短く返す。


「脂を切る」


若い魔族は一瞬だけ眉を寄せてから、笑った。


「……なるほど」


なるほど。

その一言が、交流だった。


ユキは火の少し外。

焦げる匂いが嫌いだから、距離を取る。

でも、目は肉を見ている。


アラシは影の縁。

光の輪から半歩外。

でも、そこが一番安心できる場所になっている。


「二匹とも、働いた?」


マコトがしゃがんで聞く。

ユキが尻尾を一度だけ打つ。

アラシの目が瞬く。


「えらい。あとで、ちゃんと分ける」


分ける。

それが、今日の合言葉だった。


肉が焼ける。


脂が落ちる。

落ちた脂が揚げ焼きになって、肉の縁がカリッと鳴る。


香草が焦げる手前で香りを上げる。

岩塩が、肉の汁を引き上げる。


焼けた瞬間、周囲の声が一段だけ小さくなる。

小さくなるのは、静かになったからじゃない。

“待っていた”からだ。


タクミが最初の一枚を受け取って、噛んだ。


「……やば」


声は大きくならない。

でも、目がでかい。


ケンジが続けて食べて、笑った。


「これ、後味軽いっすね……山猫っぽいのに、牛のコク……反則っす」


言い方が長い。

長いのに、止まらない。

止まらないのが、本気だ。


被災者のNPCが、皿を持つ手を震わせた。

震えは怖さじゃない。

食べられることの震えだ。


「……ありがとう」


短い礼が、また落ちる。

落ちた礼を、誰かが拾う。


「こっちも助かった。並んでくれて」


返す声がある。

返す声があるから、場が片方に傾かない。


ベイル・キーパーズの一人が、魔族の巡察と肉を交換していた。

言葉は少ない。

少ないけれど、皿が行き来する。

皿が行き来するのが、講和の形だ。


アズールは火の近くに立たない。

立たないまま、全体を見る。

王の癖。

でも、今日はその癖が優しい。


「……笑っているな」


アズールがぽつりと言った。

誰へでもない。

でも、聞こえる距離。


モリは火を見たまま、短く返す。


「腹が満ちれば、声は荒れにくい」


アズールは頷いた。


「それも、手順か」


「手順」


短く返す。

短く返せる場がある。

それが、今日の勝利だ。


肉はまだある。

列を作らない。

勝手に取りに行かせない。

でも、足りる。

足りるように回す。


誰かが笑って、誰かが皿を渡して、誰かが火から少し離れて水を飲む。

全部、生活の動きだ。


モリはその動きの中に、戦いの余韻をしまった。


今日の戦いは、森の中で終わった。

でも、終わらせたものは肉だけじゃない。

“足りない”の空気が、一段だけ薄くなった。


ユキが伏せたまま、目を細める。

アラシが影の縁で、呼吸を揃える。


火の前で、人間と魔族とプレイヤーとNPCが、同じ匂いを吸っている。


それは派手な勝利じゃない。


でも、確かに――楽しい。


モリは一切れだけ肉を取り、噛んだ。


コクが強い。

脂が重い。

なのに、後味が軽い。


“いくらでも食べられる”というのは、たぶん本当だ。


そして本当にいくらでも食べそうな顔をして、マコトが笑った。


「ねえ、これさ。次も狩れる? “イベント”にしようよ」


モリは答えない。

答えない代わりに、火の線を見た。


火は、制御できる。

制御できる範囲なら、悪くない。


――その時。


森の外側から、誰かの声が少しだけ荒れて届いた。

小さな揉め事の匂い。


でも、今日はまだ火が勝っている。


モリはもう一切れ肉を噛んで、次の段取りを心の奥で組み始めた。

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