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樹豹牛パンスバイソン

共存派の復興は、うまく回り始めていた。


回り始めたからこそ、足りないものが目に付く。


列の白線は引き直せる。

桶は洗えば戻る。

札は押し直せば済む。


でも――肉は、増えない。


炊き出しの鍋の底は、今日も見えていた。

湯はある。

塩もある。

香草もある。


肉が、少ない。


並ぶ者の目が、肉の切れ端を追う。

追うけれど、奪い合いにはならない。

ならないように、手順が効いている。


効いているからこそ、逆に残酷だ。

“ちゃんとしているのに足りない”という形になる。


モリは鍋の脇で、一度だけ息を吐いた。

呼吸を整える息だ。

迷いを切る息だ。


――ここは、一肌脱ぐ。


前に出続けないために人を呼んだ。

手順を回すために役割を割った。


それでも、肉は誰も増やせない。

増やせるのは、狩りに出る者だけだ。


「……俺が行く」


声は大きくしない。

宣言もしない。

ただ、決める。


タクミが顔を上げた。

鍋を見て、モリを見て、すぐ分かった顔だ。


「森?」


「森」


ケンジが鍋の湯気を見ながら、苦笑する。


「うわ。肉、増えるやつっすね」


マコトが手を止めた。

止めたのに、引き止めない。

引き止めないのが、手順を分かっている。


「……危なくない?」


「危ない」


モリは正直に言ってから、続けた。


「でも、今のままだと――腹が減る」


その言い方が、妙に現場に効いた。

英雄の言葉じゃない。

生活の言葉だ。


マコトは唇を結んでから、いつもの熱を少しだけ落として言う。


「分かった。じゃ、帰ってきたら、ちゃんと“配る”ところまでやろう」


配るところまで。

その言い方が、復興の言い方だった。


ベイル・キーパーズの一人が、外側の見張りから戻ってきて、カイトに短く耳打ちする。

カイトは頷くだけで返した。

言葉は少ないが、現場の線は崩さない。


「……行け。戻る道は押さえる」


あの言い方。

命令じゃない。

でも、逃げ場がない。


モリは頷いて、森へ向けて歩き出した。


街の外に出ると、空気が少しだけ軽くなる。

軽くなるのに、緊張は増える。

生活圏の外は、今も“外”だ。


道の途中、検問の脇で兵士が二人、炊き出しの列を眺めていた。


「……肉、薄いな」


「仕方ねえ。今は物流が死んでる」


「森のほうで、でけえ獣が出たって噂もある。

狩りに行くなら気をつけろって――」


「ああ。木が揺れるやつだろ。

上から来るって話」


その会話は、モリの耳には入らない。

入らない距離で、兵士は話していた。


森の入口に入ると、匂いが変わる。

湿った土。

樹皮の苦味。

古い葉の甘さ。


モリは息を吸い、吐き、足音を落とした。


ユキが先に匂いを読む。

銀の毛並みが、薄い木漏れ日を拾って揺れる。

鼻先が少しだけ上がって、耳が立つ。


アラシは半歩後ろ。

黒い影が、影の縁を選んで滑るように進む。

音を立てないのは、技じゃない。

それが、あいつの“性格”だ。


二匹がいるぶん、森はよく見える。

そして逆に、モリは余計なことを考えなくて済む。

狩りの手順だけに戻れる。


弓を背負い直す。

足場を選ぶ。

枝を踏まない。

踏むなら、踏む順番がある。


森は、手順を間違えるとすぐに音が出る。

音が出ると、相手の手順に捕まる。


しばらく歩いて、モリは異常に気づいた。


静かすぎる。


鳥が鳴かない。

小獣の走る音がしない。

虫の羽音が薄い。


“空いている”のではない。

“避けている”。


モリは木の幹に手を当てた。

樹皮のざらつきの向こう、微かに震えが伝わる。


ミシ。


遠い音。

太い幹が、悲鳴を上げる音。


モリは顔を上げない。

上を見た瞬間に、首が固まる。

固まった首は、死ぬ。


代わりに、影を見る。

葉の隙間に落ちる影の形。

揺れ方。

重さの移動。


影が、獣の形をしている。


木の上。

巨体が、いる。


――樹豹牛。パンスバイソン。


モリは名前を口にしない。

口にすると、世界が確定してしまう。

確定すると、焦りが出る。

焦りは音になる。


まず見る。


体つきは野牛。

肩が高い。

背中が厚い。


なのに、四肢に黒い斑点模様。

豹みたいな斑が、筋肉の線に沿って動く。


角は横に広い。

攻撃のためじゃない。

樹上でバランスを取るための“横幅”だ。


そして――蹄の裏。


吸盤みたいな肉球。

巨体なのに、木を登れる理由がそこにある。


音が、しない。


それがいちばん怖い。


モリは一歩だけ後ろへ下がった。

戻るんじゃない。ずらす。

木の真下から外れる。

枝の影の“落ちる線”から外れる。


ミシミシ、と、また幹が鳴る。


鳴るのに、葉が揺れない。

揺れないのに、重さが移動している。


“上から来る”。


モリの背中に、冷たい汗が一筋走った。


弓を握る指が、勝手に強くなる。

強くなるのを、すぐ緩める。

力むと、引きが狂う。


――まだ撃たない。


樹上にいる限り、こいつは強い。

樹上にいる限り、こちらの矢は届きにくい。

樹上にいる限り、落下の圧が武器になる。


引きずり下ろす。

地面に落とす。

巨体の鈍さに勝つ。


攻略の鍵は、そこだ。


モリはゆっくりと息を吐き、足元の土を確かめた。

ぬかるみはない。

根が走っている。

動ける。


森の香草の匂いがする。

岩塩を包み焼きにするなら、ここで摘める。


――炊き出しの鍋に、肉を落とす。

脂が溶けて、湯気が変わる。

列の目が、変わる。


そんな想像が、一瞬だけモリを前へ押した。


次の瞬間。


影が、膨らんだ。


音が、ない。

でも、空気が重くなる。


モリは理解した。


こいつは――落ちてくる。


「……来る」


声は、喉の奥だけで出す。

言ったのは自分のためだ。


モリは地面を蹴った。

真後ろへ下がらない。

横へ、ずらす。

影の落ちる線から、外れる。


そして、見上げずに構える。


獲物は現れた。


ここから先は、戦いになる。


モリは矢を一本つがえたまま、樹の影にいる巨体と向き合った。

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