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森の線を引く

森の朝は、手順で始まる。


水。

薪。

火。

湯。


終われば終わる。


そういう暮らしに戻って、もうだいぶ経つ。


……なのに最近は、終わっても終わらない感じがする。


水を汲みに行く道の途中で、目に入るものが変わった。

昨日まで無かった白い木杭。

赤い布の結び目。

地面に落ちた木屑。


音も増えた。

遠くで金槌が乾いた音を立てる。

木を引きずる音が、葉擦れとは違うリズムで続く。

短い掛け声が、風に乗って切れて届く。


全部が“生活の外”にあるはずなのに、匂いだけは生活圏まで来る。


新しい木の匂い。

汗の匂い。

土を掘り返した匂い。

それに、鉄の匂い。


森は、変わり始めていた。


モリは干し台を見て、魚を裏返して、息を吐いた。


嫌いだ。


嫌いなのは、変化そのものじゃない。

変化に“勢い”が付くところだ。


勢いが付くと、線が踏まれる。

踏まれると、戻らない。


線は、森の生活そのものだ。

火を起こす場所。

匂いを残さない場所。

獣が通る場所。

人が通っていい場所。


それを説明するのは難しい。

難しいから、いつも後回しになる。

後回しになると、勢いが先に来る。


ユキが耳を立てた。

アラシは影の縁で、目だけを動かす。


二匹とも、同じ匂いを嗅いでいる。

森の外の匂い。

森に“人が増える”匂い。


ユキは落ち着かないわけではない。

ただ、視線がいつもより外へ向く。

アラシは逆に、影の濃い場所へ寄る。

どちらも、生活圏が薄くなるのを本能で嫌がっている。


その日の昼前。

森の住人が二人、拠点の近くまで来た。


狩人。

サバイバル組。


装備は軽いが、目が硬い。

森で生き残る目だ。


言葉は短い。

短い言葉は、圧になる。


「モリ。どうする」


どうする、の中身は一つじゃない。

開拓を止めるのか。

受け入れるのか。

移るのか。

戦うのか。


モリは答えない。

答えると、寄りかかられる。

寄りかかられると、中心になる。

中心は燃える。


「まだ決めない」


モリがそう言うと、狩人は眉をひそめた。


「時間がない」


時間がないのは、森側の事情だ。

森の事情はいつも、遅れて表に出る。

出た時には、もう戻せない。


狩人が一歩だけ近づいて、声を落とした。


「あいつらは“善意”で踏む。

踏んだ後に謝る。

謝っても、森は戻らねえ」


正しい。

正しいから、胸の奥が重くなる。


その直後。

今度は開拓組が来た。


声が多い。

目が明るい。


熱に浮かされたみたいな明るさだ。


「モリさん! ここ、避けたい場所あります?」

「危ない所、地図に落としたいんです!」


手には紙束。

炭の線。

簡易な地図。

まだ薄いのに、もう“決めた”つもりで動いている。


善意は軽い。

軽いから速い。


速いから、止まらない。


森側と開拓側。

推進力が違う。


どちらも正しい。


だから、このままだと燃える。


モリは一度だけ、手を止めた。

湯を沸かす鍋の縁から指を離す。

火の音が少しだけ大きく聞こえる。


昔なら、ここで正義を押し通していた。


運営の頃のモリは、そうだった。

正しいと思う線を引いて、引いた線の外を切って、燃える前に終わらせる。

終わらせれば回るから。


でも、今は違う。


森で暮らすと、顔が見える。

顔が見えると、切れない。

切れないから、工夫が要る。


工夫。


それを考えている自分に、モリは少しだけ驚いている。


年を食っても、変われる。

正義で殴らなくても、手順で守れる。


それが、少しだけ嬉しい。


モリは開拓組の方を見て、短く言った。


「生活圏の申告を作れ」


開拓組が目を瞬かせる。


「生活圏……?」


モリは地面に棒で線を引く。

線は一本じゃない。

二本、三本。

曲がる。

途切れる。

森の線は、地図みたいに綺麗じゃない。


「ここからここは、人が住んでる。

ここは獣道。

ここは火を使う場所。

ここは匂いが残る」


言葉にすると、急に現実になる。

現実になると、相手の目が少しだけ真面目になる。


線は、地図になる。

地図は、手順になる。


森側にも聞こえるように言う。


「申告すれば、開拓側は“踏まない”で済む。

踏まなければ事故が減る。

事故が減れば、作業が止まらない」


ここで、“開拓側のメリット”を置く。

正しさじゃなく、実務。

実務なら、熱に飲まれていても耳に入る。


モリは一拍だけ置いて、続けた。


「それと、盗賊対策にもなる。

生活圏が申告されてれば、どこが“住んでる場所”かが分かる。

分かれば、レッドネームが入り込んだ時に言い逃れができない。

騎士団も動きやすい」


開拓組の一人が、紙束を抱え直した。


「確かに……事故が起きたら、こっちも困る。

怪我したら作業が止まるし、騎士団も呼ばれる。

それに、盗賊が出たら作業どころじゃない」


森側の狩人が、鼻で息を吐いた。


「申告したら、守られるのか」


モリは首を振る。


「守られるのは“今だけ”だ。

時限だ。

でも、今を作れたら、次が考えられる」


時限。

それがモリの現実だ。


永遠の安全はない。

でも、今日の安全は作れる。


開拓側は紙を出した。

簡易地図。

申告欄。

書く場所。

書いたら残る場所。


森側は渋い顔のまま、でも一歩だけ寄った。

寄って、地図の上に指を置く。

指が置かれた場所は、生活だ。


燃える前に、手が動く。

それだけで、今日は十分だ。


モリは最後に、運営へ渡す一言をまとめる。


個人生活圏の申告と保護の手順。

特別扱いじゃなく、事故防止の仕組み。

盗賊対策にもなる。

期限つきでいい。


少しだけ。


少しだけでも、共存の道は開ける。

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