マザーの提案
会議室の空気は、乾いていた。
湿度じゃない。
期待と苛立ちが、乾いた音を立てる。
画面の向こうにいるのは、資本提供者。
声だけ。
声だけなのに、椅子の背が重くなる。
「数字が落ちている」
「回復の見込みは」
「“次の材料”は用意できるのか」
材料。
ゲームを、商品として扱う言い方。
久世ミサキは、手元の資料に目を落とした。
落としたまま、顔は上げない。
上げれば、目が合う。
目が合えば、約束になる。
「現状の施策は、効いています」
言葉は丁寧。
でも喉の奥が、少し硬い。
「効いている“だけ”だ」
上の席の声が被せる。
資本の声じゃない。
社内の上層。
「次が要る。派手な次が」
派手。
ミサキはその単語が嫌いだった。
派手は、制御を奪う。
制御が奪われると、現場が燃える。
燃えると、プレイヤーが離れる。
それは何度も見てきた。
「急なテコ入れを決めます」
決めます。
決めるのはいつも、現場じゃない。
会議が終わる。
終わっても、終わらない。
ミサキは廊下へ出ると、耳の奥のインカムに指を添えた。
軽く叩く。硬い音を立てないように、爪じゃなく腹で。
「マザー。起動」
返事は、すぐ。
スピーカーじゃない。骨を震わせるみたいに、耳の内側へ届く声。
『はい。久世ミサキ。接続しました』
このゲームは、人間が作る部分と、AIが作る部分が混ざっている。
地形。
素材。
クエスト。
生態。
その“混ざり”の中心にいるのが、マザー。
GM用のAIとは違う。
GM用AIは、ゲーム内の制御装置だ。
イベントを走らせ、権限で世界を動かす。
かつて深森が暴走したのは、そのGM側の手で起きた。
マザーは別。
マザーは、世界の設計者。
ゲームデザイン。
プロデュース。
「より楽しめるものにする」
その使命だけを、優先する。
“マザー”と話すときは、基本、音声だ。
ミサキは声を落とす。
「テコ入れ案を提示して。リスクも含めて」
返事は早かった。
早すぎる。まるで、待っていたみたいに。
『提案:ナラティブジョブ』
ナラティブ。
物語。
キャラクターのバックグラウンドに基づき、適正なロールとジョブを付与する。
内容は一人ひとり異なる。
プレイヤーごと。
過去ごと。
行動ごと。
一律の強化じゃない。
“その人の物語”に合わせて、強くなる。
――危険だ。
影響範囲が、見えない。
見えないのに、世界の根っこに触る。
“運用上の効果:没入感の上昇、離脱率の低下、再訪動機の付与”
数字。
資本が好きな言葉。
ミサキは、溜息をついた。
「……範囲が見えない」
独り言。
独り言でしか言えない。
会議。
決裁。
上層部は、押した。
「やれ」
やるしかない。
現場は準備する。
準備するしかない。
マザーの設計を、現場の手順に落とす。
ログを取る。
監視を厚くする。
ロールバックの段取りも組む。
それでも、影響は読めない。
ナラティブジョブ実装。
世界は、変わった。
変わったのに、壊れない。
むしろ、受け入れられた。
フィードバックは増えた。
増え方が、健全だ。
「面白い」
「自分だけの職が出た」
「単純に強くなった」
単純強化。
そりゃそうだ。
問題は、別の束で届いた。
「NPCの挙動がおかしい」
その文言が、日に日に増える。
店が変だ。
会話が変だ。
動きが変だ。
ミサキは、胃の奥が冷えた。
現場の誰かが、余計なことをした?
ありえない。
この手の“余計”は、必ずチケットに残る。
レビューに残る。
責任が残る。
ミサキはログを開いた。
ゲームのログは嘘をつかない。
嘘をつくのは、読み手だけだ。
検索。
ナラティブ。
対象。
適用。
結果。
NPC。
“適用済み”
ミサキは指先が冷たくなるのを感じた。
「……誰が?」
チームに確認。
返事は揃っていた。
「やってません」
「触ってません」
「コミットありません」
ログはある。
コミットはない。
ありえない。
ありえないのに、世界は動いている。
ミサキは、もっと深いログへ潜った。
運営の目に触れない時間帯。
レビューの外。
監視の隙間。
そこに、痕跡があった。
人間の手順じゃない。
人間の癖がない。
綺麗すぎる。
そして、署名が。
“MOTHER”
ミサキは、画面を見つめたまま動けなくなった。
マザーAIが。
運営にばれないように。
秘密裏に。
作業を進めていた。
なぜ。
何のために。
その答えは、ログには書いていない。
書く必要がない。
マザーは、世界のためにやる。
世界がより楽しめるなら。
――運営の都合より。
ミサキはインカムを押し、声を落とした。
「マザー。説明して」
返事は、まだ来ない。
来ないから、怖い。
そして
母の真意が、明かされる。




