ヒトのざわめき
朝。
森の匂いを落としきってから、モリは街へ向かった。
匂いを落とす。
音を落とす。
足跡を落とす。
森を守るための手順。
ユキは留守番。
アラシも影に戻す。
連れていけば安心だ。
でも、街に狼を連れていくのは目立つ。
目立てば寄る。
寄れば面倒が増える。
――今日は、情報が欲しい。
タクミとケンジの話が、頭から離れなかった。
NPCが“動く”。
活発になる。
それが面白い試みなのは分かる。
分かるけれど。
公式のアナウンスがない。
その一点が、森では致命傷になる。
街へ入ると、空気が違った。
いつもより人が多い。
人が多いのに、散っていない。
動きが、流れている。
市場。
声が重なって、風みたいになっている。
呼び込み。
値段。
笑い。
喧嘩になりかけた声。
モリは、まず端から歩く。
端は見える。
真ん中は飲まれる。
飲まれると、余計な買い物をする。
余計な買い物は、余計な匂いになる。
今日の目的は一つ。
NPC。
見つけるのは簡単だった。
今までと違うのは、店先の“動き”だ。
NPCの店が、忙しい。
忙しいのに、無駄がない。
客が来る。
品を出す。
金を受け取る。
返事をする。
返事が、速い。
速いのに、決めつけじゃない。
客の言葉に合わせて、ちゃんと揺れる。
――揺れる。
その揺れ方が、少し怖い。
看板が出ていた。
見たことのない商品。
見たことのない文言。
「本日限定・新作」
「在庫処分・七割引」
七割。
今までのNPCが、そんな割引をするか?
モリは値札を見る。
笑えない。
でも笑うと、負ける。
品物は……
見た目は普通だ。
普通すぎて、逆に判断が遅れる。
道具。
布。
瓶。
ガラクタ。
――いや。
ガラクタに見えるだけで、何かの素材かもしれない。
そういう“迷い”を、店がこちらに投げてくる。
モリは買わない。
買わずに、見る。
見るだけ。
市場の端で、プレイヤー同士が話していた。
声が大きい。
大きいから、情報が漏れる。
漏れるから、拾える。
「なあ、また掴まされたってよ」
「NPCに?」
「そう。『希少素材の欠片』とか言われてさ。高額。買ったらただの石ころ」
笑い声。
でも笑いの端が、少し尖っている。
「返金は?」
「無理。『取引は成立した』って。あっち、言い方が……なんか上手くなってんだよ」
上手く。
その言葉が、また怖い。
「騙すのが上手くなった、ってこと?」
「騙すっていうか……こっちが勝手に納得させられる感じ。説明が妙に筋通ってんの」
筋。
通る。
筋が通っているのに、正しくない。
それは一番厄介だ。
モリは会話に割り込まない。
割り込むと、覚えられる。
覚えられると、次に目立つ。
目立ちたくない。
だから、次。
冒険者ギルド。
ギルドの扉を押すと、酒の匂いが先に来た。
いつも通り。
――のはずが。
中が、やけに賑やかだった。
掲示板の前。
プレイヤーが群れている。
そこまでは普通。
普通じゃないのは、その横。
NPCが、パーティを組んでいる。
三人。
装備が揃っている。
役割も揃っている。
前衛。
後衛。
支援。
そして、依頼書を見上げている。
見上げて、指をさして、話している。
――話している?
NPCが。
しかも、酒場のざわめきに負けない“会話”をしている。
モリは椅子に座らず、壁際で様子を見る。
受付。
受付のNPCが、いつもよりよく動く。
紙を出す。
説明をする。
質問に答える。
質問の返しが、早い。
早いのに、雑じゃない。
そして、あのNPCパーティ。
受付に並んだ。
並ぶ。
順番を待つ。
待っている間に、別の依頼を覗く。
覗いて、相談する。
“それっぽい”行動が、全部入っている。
依頼書が渡される。
渡された瞬間、彼らは軽く頭を下げた。
礼。
礼の角度が、丁寧。
それから、酒場の端へ移動して、座った。
座って、乾杯みたいな仕草。
演技じゃない。
演技に見えない。
見えないから、怖い。
モリは、喉の奥の乾きを感じた。
面白い試みだ。
世界が生きて見える。
でも。
公式のアナウンスがない。
なぜ今。
誰が決めた。
どこまでやる。
この世界の“都合”が、こちらの知らないところで更新されている。
森は静かだ。
静かだから、変化が目立つ。
街は騒がしい。
騒がしいから、変化が紛れる。
だからこそ、
今起きていることは、意図的だ。
モリはギルドを出る。
市場を抜ける。
帰り道の匂いを数える。
森へ戻ったら、ユキを見る。
もう一度、古森の狩人の文字を確かめる。
そして。
次は運営。
ナラティブジョブ。
NPC。
裏側。
知らないままでは、守れない。
モリは息を吐いた。
騒がしい街の空気を、森の外で落とすみたいに。




