森に来る、お姉さま
森の午前は、静かだ。
静かなまま、やることがある。
薪を割る。
刃を拭く。
足場板の束を点検する。
昨日の湿気が、道具の角に残っていないかを見る。
モリはその手順を、いつも通りに回していた。
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ユキが入口で鼻を鳴らした。
短く。
低く。
警戒の音。
「……人か」
モリが言うと、ユキは耳を立てたまま外を見た。
森の中。
枝のきしむ音。
落ち葉を踏む音。
それが、妙に大きい。
わざとだ。
隠す気がない歩き方。
次の瞬間、影が現れた。
でかい。
肩幅が森の入口を狭く見せる。
鎧は軽い。
武闘家の装備。
それでも、無駄がない。
男は家の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
声が出る前に、礼が来る。
モリはそこで、少しだけ肩の力を抜いた。
「あ、すみません……いきなり来ちゃった」
声は明るい。
けれど、森の前ではちゃんと落とす。
息を吸って、声量を半分にする。
礼を崩さない。
「モリさん、ですよね? はじめまして。マコトです」
「……通称、お姉さまって呼ばれてます。恥ずかしいけど、もう定着しちゃって」
自分で言って、照れたように笑った。
それから、言い直すみたいに、背筋を伸ばす。
軽いのに、順番がある。
「えっと……一応、肩書きも言っておきます」
「クラフト系のイベントに、ちょこちょこ顔出してて。鍛冶とか木工とか、裁縫とか……そういうの、見るのが好きで」
マコトは自分の胸のあたりを指でトントンと叩いた。
そこにあるのは鎧じゃない。
たぶん“自信の置き場”だ。
「それで……この前のクラフト大会」
「優勝が“噛みたばこ”になったやつ。覚えてます?」
そこで、少しだけ歯切れが悪くなる。
悪くなるのに、逃げない。
「私、あの大会の“審査員”の一人でした。投票とは別枠で、審査員特別賞を出すほう」
「……で、その賞、私が選んだのが」
マコトは一度、モリの頬――化粧の線を見てから。
はっきり言った。
「モリさんの戦化粧です」
言った瞬間だけ、声の温度が上がる。
でも、森だから抑える。
抑えても、熱は漏れる。
「コメント短くて、すみません。あの場、長文読む人いなくて」
「でもね。あれ、ただ綺麗ってだけじゃない」
「“やる前の呼吸”が入ってる。準備の型が、顔に出てる」
褒める言葉は多い。
けれど、褒め方は妙に具体的だ。
「そういうの、私は好きです」
「派手な大作も好き。でも、生活とか戦いの“手順”が見えるやつ、もっと好き」
最後に、照れ隠しみたいに肩をすくめた。
「だから、こういうの……“型”とか“手順”とか、“静かに強い”やつ、好きなんです」
「見ると、放っておけなくなる」
自分で言って、最後にもう一回だけ、深く頭を下げた。
その“ちゃんと”と、その軽さが、嫌いになれなかった。
「何の用だ」
モリは淡々と聞いた。
問いは短く。
余計なものを足さない。
マコトはモリの顔――いや、顔そのものじゃない。
頬のあたり。
眉。
目元。
化粧の線を見た。
見る目が、真剣だ。
「……いい」
言った直後に、本人が首を振った。
「違う。いいじゃなくて、すっごい」
「めっちゃ綺麗。しかも“効く”感じする。分かる」
褒める時だけ、熱が上がる。
でも声は張らない。
森の礼儀は守ったまま。
褒め言葉がまっすぐすぎて、モリは返事に困った。
困ったが、否定もしない。
否定したら、嘘になる。
「化粧に興味があるのか」
モリが言うと、マコトは首を振った。
「化粧じゃないんです。……準備」
「戦う前に、顔が変わるでしょ。呼吸も変わる」
「あれ、型なんですよ。私、そういうの好きで……見逃せなくて」
モリは眉を動かさない。
でも、内心では少しだけ驚いていた。
ここまで“生活の手順”に触れてくる人間は、そういない。
大抵は結果だけを見る。
強い。
便利。
欲しい。
そういう方向へ行く。
マコトは違った。
欲しいと言う前に、礼を置く。
触れる前に、止まる。
「いきなり“教えて”って言うのは失礼だって分かってます」
「だから……見せてもらえません? 塗り方とか、手順とか」
お願いの形。
礼がある。
でも勢いはある。
押される。
押されるのに、不思議と嫌じゃない。
モリは一息吐いて、作業台の上を見た。
道具が並んでいる。
刃。
油。
布。
紐。
どれも、生活のためのものだ。
「見せるのはいい。だが、教えない」
モリが言うと、マコトはすぐに頷いた。
「うん、全然」
「見せてもらえるだけで、十分です。ほんとに」
即答。
食い下がらない。
そこがまた、嫌いになれない。
マコトはユキにも目を向けた。
銀狼の赤い筋――その兆しを、見逃さない。
「……この子も、型がある」
モリは答えない。
答えなくても、相手は勝手に察している。
察して、言いふらさないタイプだ。
森の風が一度、家の周りを回った。
葉擦れの音が戻る。
ユキの耳が少しだけ下がる。
警戒が一段落ちた。
モリは思った。
面倒が来た。
でも、嫌いになれない面倒だ。
この勢いを、森の中でどう扱うか。
それが次の手順になる。




