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霧を結ぶもの

沼地の奥のダンスホールは、相変わらず静かだった。


静かな場所は、集中できる。


集中できる場所は、長居したくなる。


モリは自分の中の順番を、守ることにした。


今日は釣り。


余計なことはしない。


――と思っていた。


ロッドを振る。


――ぽちゃん。


着水の小さな輪が、霧に溶けて消える。


モリはスピナーベイトをゆっくり巻いた。


ブレードの震えが、指先に戻る。


藻。


沈み。


その日の水の重さ。


釣りは、情報が手元に返ってくる。


だから落ち着く。


タクミとケンジも、同じ距離で竿を振っている。


三人とも、声を張らない。


「静かに、踏まない」


それだけ。


ここで増やすルールは、少ない方がいい。


妖精たちは踊っていた。


鈴の音。


光の輪。


水面の上の薄い床。


この場所は、舞台だ。


舞台は、踏まれると壊れる。


だから妖精は、最初から線を引いている。


釣りはいい。


でも、踊り場は荒らすな。


モリは二投目を終え、三投目の前で手を止めた。


妖精の動きが、いつもより揃っている。


鈴の音の間隔が、少しだけ均一だ。


前に見た、あの前兆。


光の輪が並びを変えて、円が線になる。


――通路。


「……来るか」


モリが呟くと、タクミとケンジも気配だけで分かった。


三人は岸に寄り、足音を殺して線の端へ近づいた。


妖精のリーダー格が、ちらりとこっちを見る。


怒ってはいない。


ただ、期待もしていない。


線の上。


冷たい。


沈まない。


三人で一歩。


――何も起きない。


霧が揺れるだけで、線はほどけて輪に戻った。


不発。


ケンジが小さく笑った。


「前より“それっぽい”のに……」


「足りないんだろ」


タクミが言う。


モリは頷き、岸へ戻った。


戻ると同時に、妖精たちの踊りが少しだけ荒くなる。


焦り。


ごまかし。


“本当はここで揃えたい”動き。


モリは気づいた。


妖精たちは、踊りの合間に何かを“結んで”いる。


霧の糸。


光の糸。


見えないはずのものを、指先で摘んで、繋いでいる。


そして、その指先には――小さな輪。


指輪。


あるいは、細い環。


妖精のリーダー格が、踊りながらこちらへ近づいた。


近づくが、境界は越えない。


「……まだ、たりない」


同じ言葉。


違うニュアンス。


今日は“何が”が少しだけ見えた。


モリは小さく息を吐いた。


「結ぶための道具だな」


妖精は一瞬だけ目を丸くして、すぐにそっぽを向いた。


肯定。


モリは釣りを続けた。


こういう場所は、焦っていじると壊れる。


だから、いつも通りに戻す。


一匹釣る。


ケンジが小さく喜ぶ。


タクミが静かに竿を畳む。


妖精の踊りが落ち着く。


帰り道。


霧の膜が薄くなり、足元の泥がいつもの森の土に戻る。


三人は並んで歩いた。


急がない。


急ぐと、足が鳴る。


足が鳴ると、妖精の踊りが乱れる。


ここで覚えた静けさは、森に戻っても役に立つ。


森の入口が見えたところで、モリは足を止めた。


「材料、集める」


タクミとケンジが同時に顔を上げる。


「今から?」


「今日のうちに。軽いから持てる。危ない所には行かない」


戦闘の準備じゃない。


生活の準備だ。


モリの頭の中では、材料がもう揃っていた。


軽い。


湿気に強い。


静音。


そして、霧を“結べる”だけのしなやかさ。


クモ糸。


樹脂。


苔。


森の徒歩圏で取れる。


分担は短く。


「タクミ、樹脂。乾いた樹の傷を探せ。削りすぎるな」


「了解」


「ケンジ、苔。湿りすぎてないやつ。根っこごと剥がすな」


「りょーかいっす」


モリはクモ糸。


巣を壊さず、外側だけ。


この手の素材は、荒らすと翌日から取れなくなる。


三人は森に散った。


といっても、見える範囲。


声を張らなくても合図が届く距離。


必要なのは、連携じゃなく“静かさ”だ。


モリは低い枝の間にある古い巣を見つけ、布をかけてから指で糸を巻いた。


白い。


細い。


切れやすい。


切れやすいから、扱い方が決まる。


引っ張らない。


撫でて取る。


少し離れたところで、タクミが樹を見上げていた。


斧はない。


剣は抜かない。


代わりに短いナイフで、樹皮の割れ目だけをなぞる。


樹脂が、糸みたいに伸びる。


「これか?」


モリは頷く。


「それ。薄く、何回も。塊にすると重い」


タクミは素直に手を止め、指先の樹脂を小瓶に落とした。


手つきが丁寧だ。


前で受けるやつは、こういう細かい作業が意外と上手い。


ケンジは湿った岩の陰にしゃがみ、苔を指で撫でていた。


「これ、湿りすぎっすね」


自分で弾いている。


「こっちの方が軽い」


乾きかけの苔を薄く剥がし、土が付かないように布で包む。


根を残す。


残せば、また生える。


ケンジはそういう“面倒を減らす”やり方が好きだ。


集まった素材は、どれも少量。


少量でいい。


大げさに作るものじゃない。


あくまで、結び目一つ分。


「……これで足りるか?」


タクミが聞く。


モリは首を振った。


「足りるかは分からない。けど、“足りない”が何なのかは、今はこれで確かめられる」


ケンジが笑った。


「検証っすね」


「生活の範囲でな」


モリは布包みを袋にしまい、三人で森の家へ戻った。


家に戻ると、モリはすぐに作業台に向かった。


釣り具の手入れより先に、頭の中の手順を落とす。


紐を撚る。


樹脂を薄く含ませる。


苔の粉を混ぜて、霧の“引っかかり”を作る。


乾かす。


結び目を作る。


ほどく時は一回で。


できあがった紐は、細い。


細いのに、切れない。


そして、触ると少しだけ冷たい。


霧の床と似た冷たさ。


モリはそれを丸め、布に包んだ。


「……次は、これを持って行く」


ユキが隣で鼻を鳴らす。


同意の音。


森の夜は静かだ。


静かなまま、次の手順が一つ増えた。

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