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フェアリーサークル

沼地の奥。


霧の中のダンスホールは、今日も静かだった。


光の輪がいくつも浮かび、鈴の音が小さく揃う。


派手な演出はない。


でも、見ていると落ち着く。


落ち着くからこそ、長居しそうになる。


モリはそこを、自分で自分に止めさせた。


「今日は釣りだけ。……あと、見るだけ」


タクミとケンジは頷いた。


「静かに、踏まない」


それが、ここでのルールだ。


増やさない。


守れる分だけにする。


モリは沼の縁に立ち、ロッドを振った。


足場は選ぶ。


泥の柔らかいところは避ける。


濡れた草の上も避ける。


一歩ずれるだけで、膝が沈む。


沈めば、投げが雑になる。


雑になれば、音が大きくなる。


今日は、静かに。


ルアーは軽い。


濁り水用のスピナーベイト。


ブレードが回り始めるのが早い。


本来なら、音と振動で寄せる。


モリは糸の張りを確かめて、ゆっくり振りかぶった。


――ぽちゃん。


着水音が、鈴の音に溶ける。


水面に小さな輪が広がり、霧に吸われて消える。


巻く。


一回転。


二回転。


ブレードが、かすかに水を切る。


手元に、細い震えが返ってくる。


藻に触れた。


そこだけ重くなる。


モリは竿を立て、少しだけ浮かせて、引っかけずに通した。


根掛かりはしない。


根掛かりをすると、音が出る。


音が出ると、妖精の踊りが止まる。


だから、引っかけない。


隣でタクミが竿を構える。


肩当ての話はまだしていない。


ただ、踏み込みが少しだけ軽くなっている。


本人が気づかない程度に。


「……沼の釣り、思ったより集中するな」


小声。


ケンジは笑って、ワームを選んでいた。


根掛かりしにくい。


それに、音が小さい。


こいつは、こういうところで変に賢い。


モリはルアーを回収し、次の一投に移った。


同じ場所へは落とさない。


音の癖がつく。


癖がつくと、妖精が嫌がる。


少しずつずらして、静かに試す。


――ぽちゃん。


鈴の音が一つ、揃った。


妖精たちは踊りを止めない。


水面の光の輪も、いつも通り、ゆっくり回った。


変化が起きたのは、三投目だった。


ルアーを回収し終えたタイミング。


妖精の踊りの足取りが、揃った。


鈴の音の間隔が、少しだけ均一になる。


――気のせいじゃない。


リズムが、できている。


その瞬間。


水面に浮かぶ光の輪が、ひとつ、ふたつと位置を変えた。


輪が回るんじゃない。


並びが変わる。


円が、線になる。


沼の上に、まっすぐな“通路”みたいな直線ができた。


「……え」


ケンジが、思わず声を出しかける。


モリが視線だけで止めた。


声は張らない。


ここは、静かに。


タクミも、盾を持つ癖で一歩出そうとして、止まった。


戦う場じゃない。


見つけたからといって、触る場でもない。


モリは、ただ見た。


線の端。


霧が、少しだけ薄くなる。


薄くなって、また戻る。


呼吸みたいに。


妖精たちは、踊りを止めない。


ただ、こちらをちらちら見る。


見られているのが分かる。


“気づいた?”


そんな目。


モリは釣り糸を指で止め、道具箱の端に小さな紙片――メモを置いた。


音を立てないように、鉛筆を走らせる。


・鈴の間隔が揃った時


・妖精の人数が一定の時


・着水音が重なった後


推測で十分。


答え合わせは、しない。


この場所の“秘密”は、守る方が楽だ。


妖精のリーダー格が、ふわりと近づいた。


近づくが、床の線の上には来ない。


境界を守っている。


「……それ、見えた?」


小さな声。


モリは頷いた。


「見えた。触らない」


妖精はほっとした顔をして、それから、うっかりみたいに言った。


「遠い床、つながること、あるよ」


モリは、そこで止めた。


「そうか」


それ以上は聞かない。


聞けば、説明させる。


説明させれば、責任が増える。


責任が増えれば、ここは壊れる。


妖精は、少しだけ不満そうに頬を膨らませた。


でもすぐに踊りに戻る。


鈴の音が、また揃う。


通路みたいな線は、ゆっくりほどけて、輪に戻った。


何事もなかったように。


「今の……」


ケンジが小声で言う。


モリは肩をすくめた。


「見えた。以上」


タクミが苦笑する。


「さすがに、気になるだろ」


「気になるのと、踏むのは別だ」


モリは淡々と言いながら、もう一度だけ水面の線を見た。


線は、まだほどけきっていない。


霧が薄くなったり、戻ったりしている。


――呼吸。


「一回だけ。三人で、端まで行ってみる」


モリが言うと、タクミとケンジは目を丸くした。


「踏むのか?」


「踏む。“触る”じゃなく“確かめる”。静かに」


三人は頷き合い、ゆっくり、光の線の端へ寄った。


妖精たちの鈴が、一瞬だけ乱れる。


それでも踊りは止まらない。


止めないからこそ、こちらも止めない。


線の上に足を置く。


冷たい。


水面のはずなのに、沈まない。


薄い板を踏んだ感触に近い。


「……浮いてる」


ケンジが息だけで言った。


タクミは盾を構えない。


構えたら音が出る。


ここは戦場じゃない。


三人で、線の“先”へ。


霧の薄い部分に近づく。


近づくほど、輪郭が固くなる。


――門っぽい。


モリは足を止めて、呼吸を合わせた。


「……せーの、で一歩」


頷き。


一歩。


何も起きない。


霧だけが、ふわ、と揺れて。


鈴の音も、踊りも、元に戻る。


通路は通路のまま。


門にはならない。


「……不発?」


ケンジが困った顔をした。


モリは頷いた。


「たぶん、何か足りない」


タクミが視線を落とす。


「条件か、道具か」


「どっちでもいい。今日はここまで」


三人は線から降り、元の岸へ戻った。


妖精のリーダー格が、ふわりと近づく。


怒ってはいない。


ただ、ちょっとだけ呆れた顔。


「……まだ、たりない」


それだけ言って、また踊りに戻った。


“何が”とは言わない。


言わないのが、この場所だ。


モリは竿を畳んだ。


釣果は十分。


欲張らない。


不発なら、不発でいい。


分かったのは――ここに“仕組み”があることだけ。


森の家に戻ると、焚き火を起こして湯を沸かした。


ユキが床に伏せ、耳だけをこちらへ向ける。


モリは今日のメモを道具箱にしまう。


次にやることは、まだ決めない。


決めすぎると、生活が仕事になる。


森は静かで、夜は短い。


その中で、できる分だけやる。


――輪がそろう条件も、“足りないもの”も、そのうちでいい。


モリはたんぽぽコーヒーを一口飲んで、息を吐いた。


明日は、森。


明後日も、たぶん森。


それでいい。

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