81.ウンディーネとみんなの誓い
声を殺して泣くエレナの隣で、デュオルはきつく拳を握り締め、レントールもまた、奥歯を噛み締めて俯いていた。
静まり返る魔道具研究室に、三人の無念と深い悲しみが満ちていく。
「……エレナ様」
イデアーレが痛ましそうに声をかけようとした、その時だった。
ジャバァァァン!!と、室内で突如として湖にでも飛び込んだような盛大な水音が響き渡った。
「うおっ!? なんだ!?」
レントールが飛び起き、マークスが「え、水漏れ!?」と周囲を見回す。
エレナの流した涙が宙でピタッと止まったかと思うと、それがみるみる膨れ上がり、部屋の真ん中に巨大な水の質量が出現した。
『あ〜〜〜〜っ! 美味しい! 美味しすぎるわこの涙! 味わい深さが五臓六腑に染み渡るーーー!!』
脳裏に直接響いてきたのは、威厳の「い」の字もない、大興奮した女性?の絶叫だった。
次の瞬間、水が弾けて現れたのは、透き通るような水のドレスを纏った絶世の美女──あ、これイルスたちと同じ輝き……とみんな気づいた―――はずなのに、なぜか両手で自分の頬を包み込んで「尊い……」と身悶えしている、水の精霊「ウンディーネ」だった。
『わっ、ウンディーネ!!』
イルスの声に、「あ、やっぱり?」と全員が思ったその背後で、イルスは『あちゃー、出てきちゃったよこの人……』と、あからさまに額を押さえて『やれやれ』とため息を吐いた。
ウンディーネは驚きに涙も引っ込んだエレナの前にスライディングするような勢いで詰め寄ると、その手をガシッと握りしめた。イルスのことはガン無視だ。
『見つけたわ! 過去の間違いをめちゃくちゃ反省して! 誰かのためにひたむきに努力を重ねてきた、健気で高潔な魂! そしてこの、裏切られてなお憎しみじゃなく哀しみの涙を流しちゃう美しさ! もう最高! 私の性癖ド真ん中よ!!』
「へ? あ、あの……?」
精霊にも性癖とかあるんだ、とかちょっとみんな思考がずれつつも、ポカンとするエレナを見守るしかない。
そんなエレナを置き去りにして、ウンディーネのテンションは最高潮に達する。
『もう一人で泣くことなんてないわ、エレナ! 私はあなたを全面肯定・全面支持するわ! 私の加護(メガ盛り)を授けちゃうんだから! あなたの流す涙は、これからはすべて聖水クラスの癒やしの力になるわよ! よーし、これから毎日一緒に頑張りましょうねぇぇぇ!!』
ドッパァァァン!と、嬉しさのあまり部屋の中で謎の水しぶき(※イルスの結界でギリギリセーフ)を上げながら、ウンディーネは光の粒子をエレナに振りかけた。
静まり返る室内。
にこにこと佇むウンディーネを、エレナは呆然と見つめていた。うん、気持ちは分かる、と、またみんなで思った。
「……エレナ嬢、大丈夫か?」
ヒンターが恐る恐る声をかける。エレナは、「はっ?はいっ?!」と、まだこちらに戻れてはいなさそうだ。
『大丈夫かって失礼ねぇ!精霊の祝福に向かって』
「いや、あの、僕たちが見たことのあるものと少し、いやだいぶ違うような」
『マークの言いたいことは分かるよ。この人、人間好きでね。それはいいんだけど、こう……』
イルスが額を押さえながら言うと、ウンディーネは『何よう!文句あるの?』と、喧嘩腰だ。
『やりすぎるんだよ!それで人間によく引かれてるだろ?』
『知識ヲタの自由人が失礼ねぇ!ほっときなさいよ!』
「あ、あの!お二人とも!まずはエレナ様を」
このまま言い合いが続きそうな二人を、愛し子であるイデアーレが止めた。よかった。
『……エレナ、迷惑だったかしら……?』
ウンディーネはちょっとしゅんとして、そっとエレナの頬に手を添えた。
エレナはハッとし、慌てて応える。
「とんでもないことでございます!ただ、わたくしなど……と」
ウンディーネが、エレナの頬をうにっと軽くつねる。
『それ、聖女にダメって叱られたでしょ?』
エレナが目を見開く。
『見ていたのよ、見ていたわ、ずっと。それであなたが良かったの。あなたを、選んだの』
エレナの止まっていた涙が、また溢れ出す。
「わた、わたくし……あり、がとうございます……」
ウンディーネはそんなエレナをそっと抱きしめる。
ようやく落ち着いた美しい光景に、周りはようやくほっと息をつく。
『まったく、最初から落ち着いて出てくればいいのに……愛し子認識すると盛り上がっちゃうんだよ、あの人。嬉しいのは分かるんだけどさ』
「でも、とても優しくて素敵な精霊さんだわ」
『まあ、ね。でもこれでみんなへの証明は強くなったんじゃない?精霊も妖精も嘘が嫌いだから僕の証明でもいいだろうけど、ウンディーネの愛し子なら文句ナシでしょ?デュオルとレントールもこの件は巻き込まれただけだよ』
イルスの言葉に、張り詰めていた部屋の空気がようやくふっと緩む。
エレナを優しく抱きしめるウンディーネの光は、まるで彼女のこれまでの苦悩をすべて洗い流すかのように温かかった。
だが、安堵が広がると同時に、誰もが気づいてしまう。
エレナの潔白が証明されたということは、すなわち──ソーニャの「黒」が、完全に確定してしまったということだ。
「……信じられない、な」
ぽつり、と呟いたのはレントールだった。普段の軽薄な調子を完全に消し、痛ましそうに前髪をかき上げる。
「あいつ、堅苦しくてうるさいくせに、どこか抜けてて……周りを明るくするような奴だったじゃん。なんで、リリアンナさまを呪うなんて真似……」
「……僕が」
その声は、ひどく掠れていた。
一同の視線が、床を見つめたまま動かないデュオルに集まる。
彼の手のひらからは、あまりいきまんだせいで、じわりと血が連なっていた。
「僕が、自己肯定感が低くて、いつも優秀な兄や周囲と比べて塞ぎ込んでいた時……、僕のそんな不甲斐ないところも『デュオル様のそういう真面目で優しいところが大好きです』って、手を握って笑ってくれたのが……ソーニャだったんです」
デュオルの脳裏に、かつて自分を闇から救い出してくれた、婚約者の暖かな笑顔がよみがえる。
「あんなに、あんなに優しくて明るい子が、自分の意志で人を呪うなんて……どうしても思えない。いや、思いたくないんです。……何か、理由があるはずで」
「デュオル……」
エレナが、自分の胸に手を当てながら弟を見つめる。
彼女自身、間違いを犯し、そこから這い上がってきたからこそ分かる。人は、ふとしたきっかけで掛け違えたボタンのように、暗闇に落ちてしまうことがあるのだと。
「私も、そう思うわ」
エレナは涙の痕が残る顔で、しかし凛とした笑顔を弟に向けた。
「私だって、たくさん間違えてリリー様やみんなに迷惑をかけた。でも、みんなが見捨てずにいてくれたから、今こうしてウンディーネ様に選んでもらえる私になれたの。……ソーニャは私の可愛い妹のような存在よ。もし、何かに憑りつかれたり、脅されたりしているなら……全力で引っ叩いてでも、こっち側に引き戻してあげるわ」
「姉さん……」
ヒンターが、うん、と頷いて三人を見つめる。その瞳には、彼らを憐れむのではなく、共に戦う仲間としての強い光が宿っていた。
「そうだね。イデアの解析通り、あれは魔王の残滓が絡んでいる。シュマール嬢が自ら望んで手を染めたのか、それともあの残滓に心を蝕まれて操られているのかは、まだ分からない。だからこそ──」
ヒンターはデュオルとレントールの肩に、ぽんと手を置いた。
「すべてを暴こう。彼女が犯した罪は正しく償わせる。だけど、もし彼女がその闇の奥で助けを求めているなら……僕たちで、その手を掴みに行こう。リリーだって、きっとそれを望むはずだ」
「……ああ」
マークスも深く頷き、いつもの頼もしい笑顔を見せる。
「リリーなら、絶対に『何やってんのよバカ!』って言いながら、ソーニャちゃんを助けようとするもんね」
その言葉に、デュオルは初めて小さく、救われたような笑みをこぼした。
「ありがとうこざいます、皆さん。……僕は、彼女の婚約者として、絶対に逃げない」
大切な人を守るため。そして、闇に落ちかけたかつての「大切な仲間」を救い出すため。
精霊の光に照らされた魔道具研究室で、少年少女たちは静かに、しかしどこまでも固い決意を交わし合うのだった。
やっとウンディーネを出せた~!




