77.イデアーレの勘
「あら?」
おかしい、と思ったのは、ほんの些細なことだった。
魔道具研究会の活動中、リリアンナが光の玉を作る練習をしていた時のことだ。
イデアーレは隣で別の研究をしながら、横目でリリアンナの魔力の流れを何となく確認していた。いつもの癖だ。魔道具師として、周りの魔力の動きを無意識に追ってしまう。
リリアンナの魔力は、いつも気持ちの良い流れ方をする。風みたいに、淀みなく、すっと伸びる。愛し子らしい、伸びやかな流れだ。
なのに今日は。
(……あれ)
ほんの一瞬、流れが詰まった。
糸がどこかで細くなっているような、微かな引っかかり。リリアンナ本人は気づいていない。光の玉はちゃんとできている。誰が見ても、いつも通りだ。
でも。
(気のせい、かな)
イデアーレは手元の作業に戻った。
それが最初だった。
二度目は、一週間後。
廊下でリリアンナとすれ違った時に、ふと感じた。
魔力の輪郭が、ほんの少しだけ、前より薄い。
本当に微かな差だ。体調のせいかもしれない。睡眠不足でもそうなる。授業が増えて疲れているだけかもしれない。
でも。
(二度、同じ感覚がした)
イデアーレは研究室に戻って、ノートを開いた。
魔力干渉のパターンを、書き出してみる。
外部からの干渉で、本人が気づかない程度に魔力の流れを細くする方法。理論上はできる。ただし、相当精巧な細工が必要で、継続的に接触できるものに仕込む必要がある。
接触できるもの。
毎日身につけているもの。
(……ブレスレット)
脳裏に、ソーニャがリリアンナに渡していたブレスレットが浮かんだ。
入学してひと月の頃だった。シュマール商会の試作品、と言っていた。魔力安定のブレスレット。その時、イデアーレも一応確認した。異常はなかった。
でも。
(あの時は、起動前だったとしたら)
起動前の魔道具は、仕込んだ術式が眠っている。魔力を通して初めて動き出す。リリアンナが着けた瞬間に魔力が通って、術式が起動したとしたら——あの時の確認では見抜けない。
イデアーレはノートを閉じた。
確かめなければ、と思った。
でも同時に、もう一つ思った。
(わたしだけで動くのは、よくない)
これは、リリアンナの身体に関わることだ。そしてソーニャに関わることでもある。一人で抱えて動けば、取り返しのつかない誤解を生む可能性がある。
誰かに話す必要がある。
マリーアか、フィスか。
でも、もし確信のない段階でリリアンナ本人に伝えたら、あの子は絶対に「ソーニャ様を疑わないで」と言うだろう。
(誰が一番、冷静に動ける?)
少し考えて、一人の顔が浮かんだ。
「イデア? 珍しいな、君から連絡をくれるなんて」
翌日、放課後の生徒会室。
書類の山に埋もれていたヒンターが、顔を上げて少し目を丸くした。
「少し、時間をもらいたくて。お仕事大丈夫?」
「もちろん。座って」
イデアーレが向かいの椅子に腰を下ろすと、ヒンターは書類を脇に寄せて、真っ直ぐにイデアーレを見た。
「何かあったか?」
「……まだ確信はないのだけれど」
イデアーレは、手元でペンを回しながら話し始めた。
リリアンナの魔力の変化に気づいたこと。二度、同じ感覚がしたこと。ブレスレットに仕込みがある可能性があること。
ヒンターは黙って聞いていた。
途中で遮らなかった。相槌も最小限だった。ただ、静かに聞いていた。
「……以上です。まだ推測の域をでないのだけれど」
「いや、十分だ」
ヒンターは少しだけ目を細めた。
「実は、俺も少し引っかかっていたことがある」
「ヒンターも?」
「シュマール嬢のことだ」
イデアーレが、ペンを止めた。
「先日、マリーたちと中庭でお茶をした時のことなんだが」ヒンターは少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。「彼女がマリーを見る目が、少しだけ、気になった」
「気になった、というのは」
「人を見ている目じゃなかった。物語の登場人物を、筋書き通りに動かそうとしている人間の目、とでも言えばいいか」
イデアーレは黙った。
ヒンターの言葉は、いつも少し詩的すぎて分かりにくい時がある。でも今回は、なんとなく分かった。
「確信はなかったから、誰にも言えずにいた。イデアがそれを言ってくれたことで、少し整理がついた」
「……繋がるわよね」
「ああ、繋がる」
ヒンターは立ち上がって、窓の外に目を向けた。
夕暮れが、校舎の影を長く伸ばしている。
「どう動く? まずブレスレットを調べるか」
「調べたい。でもリリーから取り上げると、気づかれるわ。彼女は絶対にソーニャさんを庇う」
「そうだな」
「眠っている間に確認できれば一番いいんだけど、それも難しくて」
「待て」
ヒンターが、ふと顔を向けた。
「次の魔道具部の活動日はいつだ?」
「明後日よ」
「その日、リリーに新しいブレスレットを作らせることはできるか。理由をつけて、今のものを外させる流れで」
イデアーレは少し考えた。
「……できるわ。初級の魔力調整の実習として、ブレスレット型の魔道具を作る課題を出せば、自然に外すことになる。比べてみたいって言えば、今のも一緒に持ってきてくれるはずで」
「その隙に確認できるか」
「できる。五分もあれば」
ヒンターが、小さく頷いた。
「君に頼んでいいか」
「はい」
「確認できたら、まず俺に報告してくれ。その後の動きはみんなで決める」
「分かったわ」
イデアーレは立ち上がって、それからふと聞いた。
「リリーに、いつ話す?」
ヒンターは少しだけ、遠い目をした。
「確証が取れてから、だ。あの子に中途半端なことは言えない。シュマール嬢のことを信じているのだろう?」
「……そうね」
「それが、あの子の良いところでもあり、今回に限っては、少し困るところでもある」
ヒンターは苦く笑った。
イデアーレも、同じ気持ちだった。
魔道具部の活動日。
「みんな今日はブレスレット型の魔道具を作ってみましょう。魔力調整の初級実習として、ちょうど良い課題だから」
イデアーレが課題を告げると、部員たちが一斉に動き始めた。
「わあ、ブレスレット? 可愛い!」
リリアンナが目を輝かせる。
「今つけてるのと比べてみたいから、外しておいてもらえる? 今日の作業中は邪魔になるかもしれないし」
「あ、そうね。じゃあここに置いておくわ」
リリアンナは何の疑いもなく、ブレスレットを外してテーブルの端に置いた。
イデアーレは手元の作業をしながら、それを視界の端に入れていた。
十分後。
「ちょっとごめんね、参考にしていい?」
「もちろん!」
自然な流れで手に取って作業台の裏側へ移動し、ごく短い時間だけ、魔力を通して確認した。
表面上の術式は、確かに「魔力安定」のものだ。
でも、その下に、もう一層。
(……やっぱり)
細い、本当に細い干渉の糸が、何本も編み込まれていた。単体では機能しない。着用者の魔力が日々通り続けることで、少しずつ活性化する仕組みだ。
精巧だった。
シュマール商会の技術力で作られたとしても、これは通常の魔道具師には難しい。誰かが特別な知識で設計している。
イデアーレは何も表情に出さないまま、ブレスレットをテーブルに戻した。
「ありがとう、参考になった」
「役に立てて良かった! ねえ、イデア、これどうやったら光る素材と組み合わせられるの?」
「教えてあげる。来て?」
「やった!」
リリアンナが、嬉しそうについてくる。
その手首に、もうブレスレットはない。
イデアーレは内心で、小さく息を吐いた。
このまま活動が終われば、リリアンナはブレスレットをまた手首に通すだろう。
それを止める理由を、今日中に作らなければいけない。
「イデア、どうかした? なんか顔が難しいよ」
「……ちょっと計算が合わなくて」
「魔道具の?」
「うん」
リリアンナが、心配そうに覗き込んでくる。
(ごめんね、リリアンナ)
まだ、言えない。
でも、必ず言う。
ちゃんと確かめてから、必ず。
「大丈夫。もう少しで解けそうだから」
「そっか! 困ったことがあったら言ってね」
「ありがとう」
リリアンナが、また作業に戻っていく。
イデアーレは手元の道具を整えながら、窓の外に目をやった。
今頃ヒンターは、生徒会室にいるだろう。
報告を待っている。
(やっぱり、繋がっていた。私だって、彼女を信じたかったのに。でも)
静かに、しかしはっきりと、覚悟を決めた。
活動終了後、リリアンナがブレスレットに手を伸ばした瞬間。
「あ、それなんだけど」
イデアーレが、自然に声をかけた。
「今日作ったのと比較実験をしたいから、しばらく預からせてもらえる? 一週間くらい」
「え、そうなの? もちろんいいけど」
「ありがとう。研究のためだから」
「イデアの研究なら喜んで!」
リリアンナは笑顔で頷いて、今日作ったばかりのブレスレットを代わりに手首に通した。
「うん、これも可愛いし。でもイデア、そのブレスレット、お揃いのだから大事にしてね。イデアだから大丈夫なのは分かっているんだけど」
「もちろんよ。……大事に扱うわ」
「うん!」
眩しい、リリーの笑顔。
その笑顔を見ながら、イデアーレは思った。
絶対に、守る。
これはわたしにできることだから。




