76.誰かが見せた夢
最近、夢を見る。
不思議な夢だ。
自分が自分でないような、でもどこか懐かしいような、長い長い夢。
目が覚めると内容を思い出せないのに、胸の奥だけに何かが残っている。温かいような、切ないような。うまく言葉にできない何かが。
「リリー、顔色が悪いわよ」
朝の食卓で、マリーアに言われた。
「そう? 夢見が悪くて」
「どんな夢?」
「……覚えていないんだけど、なんか、寂しい感じ」
マリーアが、少しだけ眉を寄せた。
「ちゃんと眠れてる?」
「眠れてはいるの。ただ、夢のせいで疲れが取れないというか」
「ルシーに相談してみる?」
「そこまでじゃないと思うけど……もう少し様子を見るわ」
エルが「ねえたま、だいじょぶ?」と心配そうな顔でこちらを見てくるのを「大丈夫よ、ありがとうエル」となだめながら、私はお茶を一口飲んだ。
寂しい夢。
そうとしか、言えない。
その夜も、夢を見た。
懐かしいような、でもどこか、寂しい、夢。
まだまだ精霊さんや妖精さんが、たくさんたくさんいる頃の夢。
いつも現れるのは、穏やかな宵闇のような人。
いつも、夜になると、彼は決まったところに行く。
星明かりだけが落ちる場所に、ふわりと闇の気配を持つ彼は、花々の眠る夜の庭で、泣いている子に声をかける。綺麗な、綺麗な女の子。
『ニア、今日も来たよ』
彼は必ず、そう言った。
彼は闇の精霊と、なんとなく分かった。でも全然怖く感じない。光があれば影がある。夜があるから昼が際立つ。それが、当たり前に受け入れられている世界。
彼は夜星を集めて、眠れない妖精たちに配って歩く、静かで不器用な精霊だった。
『泣いてる?』
『……見てたの』
『ごめん、通りかかっただけだよ。でも、泣いてる人を置いていけなくて』
そう言って、女の子の話を聞く。
女神様に叱られてうまくいかないこと、不甲斐ないこと……好きな人に好きと伝えられないこと。
彼はずっと、黙って聞いていた。
『彼はいい精霊だと思う。ニアのことを大切にするよ、きっと』
『……クリムは、いつもそうやって人の話ばかり聞くの?』
『そうかな。でも、聞くのは好きだよ。特に、ニアの話は』
星明かりの下で、少しだけ困ったように笑って。闇の精霊なのに、その目だけが星みたいに光っていた。
それから、どれだけ経ったのか。
ニアと彼が仲良く寄り添って。二人を包む光が日に日に強くなる。
いつもの夜の庭に、ニアがいることが減っていく。彼は……クリムは理解はしていた。ニアが、好きな人と番えたことに。
けど、心が追い付かなくて。
自分でもどうしていいか分からなくて。
……ニアが近くにいないことが、寂しすぎて。
純粋すぎる闇は、さらに深い闇に飲まれていく。
夢の中の私は、いつもここで息を飲む。
声をかけたい。でもかけられない。これは夢で、私は見ているだけで、彼には届かない。
なのに今夜は、違った。
クリムが、ふと、こちらを振り返った。
まるで、誰かの気配に気づいたように。
目が合った、気がした。
その目は、星みたいに光っていた。でも、光の奥に、深い深い暗闇があった。
そして声が、聞こえてきた。
夢の中なのに、はっきりと。
——なんでなの? ずっと一緒にいてくれるって言っていたのに。
あいつを傷つけたのは、君を泣かせたからで。……そうじゃないって、何?
傷つけられたらやり返さないと、ずっとずっとやられるだけじゃないか。
何が違うの? 間違ってるの? だからもう僕とはいられないって言うの?
……もう、僕は要らないと言うこと?
…………そう……やっぱり、僕は………………
「クリム」
気づいたら、声が出ていた。
夢の中で、名前を呼んでいた。
クリムが、また振り返る。
今度ははっきりと、こちらを見た。
その目が、ひどく驚いているように見えた。
まるで、千年の間、誰にも名前を呼ばれていなかった人みたいに。
目が覚めた。
天蓋が見えた。自分の部屋だ。
心臓が、少しだけ速く打っている。
「……クリム」
もう一度、名前を言ってみた。
今度は声に出して。
夢の中の彼の目が、まぶたの裏に残っていた。
星みたいに光っていたけれど、その奥にあった深い闇。
あれは、長い長い孤独の色だと思った。
誰にも届かなかった言葉が、全部そこに溜まっていたみたいな。
「……要らなくなんか、ないのに」
誰に言うでもなく、呟いた。
夜の静寂の中に、その言葉が溶けた。
窓の外で、星がひとつ、瞬いた。
ブレスレットが月の光を受けて、静かに輝いている。
(また会った時に、ちゃんと伝えよう)
そう思いながら、もう一度目を閉じた。
今度は、夢を見なかった。




