75.新しくて楽しい日常
王立学園の授業は、なかなか侮れない。
「では、サバンズ君。この魔法陣の欠けている部分を補いなさい」
「はい」
魔法理論の授業中、先生に指名された。黒板に描かれた複雑な魔法陣を見る。
……うん、分かる。分かるわよ。
でも待って。これ、補い方が一つじゃない。
「先生、確認なのですが、この魔法陣の目的は攻撃魔法の補助ですか、それとも精霊との共鳴を想定していますか」
「……なぜそう思う?」
「この部分の流れが、どちらにも解釈できるので」
先生が、少しだけ目を細めた。
「……続けなさい」
「攻撃補助であればここを閉じる方が効率的ですが、精霊との共鳴を想定するなら開放系にした方が応用が利きます。どちらの目的かによって、補い方が変わってくると思いまして」
しん、と教室が静かになった。
あら、まずかったかしら。でも間違ったことは言っていないはず、たぶん。
「……よろしい。よく気づいた」
先生が、珍しく目を丸くしている。
「この問いには、実は二つの正解がある。それを指摘した生徒は、この学年で初めてだ」
どっと、教室がざわめいた。
「リリアンナ様すごい」「さすが愛し子」「でもどうして分かったんだろう」とか、いろいろ。
「え、あ、その、勘です!」
大慌てで付け加えたら、また教室がざわめいた。今度は笑い混じりで。
(勘と言うか。説明のしようがないのよねぇ。ルシーの加護のお陰ってことにしておこう。たぶんそれもありそうだし)
「勘、か」
先生が、おかしそうに口の端を上げた。
「良い勘を持っているようだ。その勘を、きちんと理論で裏付けられるようにしなさい」
「はい、頑張ります」
隣の席からくすくすという笑い声が聞こえた。
「リリアンナ様、さすがですわ」
ソーニャが、目を輝かせてこちらを見ている。
「勘ってどんな勘なんですか、もう少し詳しく教えてもらえます?」
「えっと、なんというか、こう、流れが気持ち悪い感じ? がする」
「……気持ち悪い」
「言い方が悪かったわね。えっと、詰まってる感じ、かしら」
「詰まってる」
ソーニャが、真剣な顔でメモを取り始めた。
「なんでメモするの」
「だって、参考になりそうで」
「なる?!」
「リリアンナ様の感覚って、魔力の流れを肌で読んでいる感じがするんです。わたくし、どちらかというと理論から入るタイプだから、羨ましくて」
「そ、そう? でもソーニャ様みたいに理論がしっかりしている方が、絶対に応用が利くわよ?」
「じゃあ、教え合いっこしましょう」
「いいわね!」
ふふふ、と二人で笑い合っていたら、後ろからデュオルの「授業中ですよ」という苦言と、レントールの「ウッセー」という返しが聞こえてきた。
「「レントール!」」
二人がかりで注意されたレントールが、大げさにのけぞった。
先生が、苦笑しながら授業を再開した。
放課後の魔道具研究会は、入部して一ヶ月が経った今、すっかり居心地の良い場所になっていた。
「リリー、ここの接続、もう一度やり直してみて」
「ここ?」
「そう。魔力の通り道が少し歪んでいるから、丁寧に」
イデアーレが、手元を覗き込みながら指示をしてくれる。近くにいると、魔道具師としての集中した空気が伝わってきて、思わず背筋が伸びる。
「……こう?」
「うん、いい。綺麗になった」
「やった!」
「レントール、あなたは逆。歪めすぎ」
「え~、これくらいでよくない?」
「よくない。魔力が漏れる」
「ちぇー」
先輩たちが、レントールのやり取りに笑いながら「イデアーレ先輩に言われたら諦めろ」と声をかける。
この研究会の先輩たちは、みんな少しヲタ気質だけど、底抜けに優しい。一年生の拙い作業にも丁寧に付き合ってくれる。
「デュオルくん、そっちはどう?」
「……何とか、できました」
「見せて。……うん、丁寧でいいわね。あなたは几帳面だから向いているかもしれない」
「ありがとうございます」
デュオルが少しだけ照れた顔をしている。珍しい。
「ソーニャさんは?」
「できました!」
「見せて……これ、すごく綺麗ね」
イデアーレが、素直に感心した顔をした。
「魔力の流れが、本当に丁寧。どこにも無駄がない」
「ありがとうございます! ちゃんとしていないと、嫌で」
「その感覚、大事にして」
ソーニャがはにかんで頷く。
「ソーニャ、やっぱ細かいな~。リリアンナさまと真逆だ」
「レン!」
「褒めてるって。二人ともそれぞれ良いとこあるじゃん」
「……珍しく良いことを言うわね」
「珍しくとは何だ!」
レントールが騒いで、デュオルが窘めて、ソーニャが笑う。
私も笑った。
こういう時間が、好きだと思う。
小さい頃から、人と笑い合う時間が好きだった。精霊さんや妖精さんが好きなのも、きっと同じ気持ちからきているのかもしれない。誰かの傍にいて、温かい気持ちになれる時間。
「リリアンナ様?」
ソーニャが、こちらを覗き込んでいた。
「どうしたのですか?急にぼんやりして」
「ちょっと幸せだなと思って」
「え?」
「こういう時間が好きだなって」
ソーニャが、少しだけ目を丸くした。
「……わたくしも」
小さな声だった。
でも、ちゃんと聞こえた。
「でしょう! ねえ、帰りにお茶していかない?」
「行く行く!」
「もちろんです!デュオルも行くわよね?」
「仰せのままに」
デュオルが大袈裟に言って、みんなで笑う。
小さな幸せの積み重ねだよね。
そして帰り道、学園の中庭を抜けながら。
「ねえ、ソーニャ様って、どんなものが好きなの?」
聖女大好きなのは知っているけどさ。
何となく聞いてみた。
「どんなもの、ですか?」
「うん。部活以外で、夢中になれるものとか」
「……本を読むのが好きです。特に、物語が好きで」
「わかる! どんなお話が好きなの?」
「綺麗に完結するお話が好きで。伏線が全部回収されて、正しい人が報われて、そうあるべき結末に辿り着く、そういうお話が」
「分かるわ。読んでいて気持ちいいのよね、そういうの」
「そうなんです」
ソーニャが、少しだけ嬉しそうな顔をした。
「リリアンナ様は?」
「わたくし? 美味しいものを食べることと、妖精さんや精霊さんを見ること! あとは、いろんな人を眺めるのも好きかな。なんというか、この人はどんな毎日を過ごしているんだろうって、ついつい想像しちゃうの」
「人間観察ですね」
「そう! 歩きながらでも、授業中でも、ついやってしまって」
「ふふっ。確かに、リリアンナ様はよく人を見ていますよね」
「そう?」
「ええ。授業でも、部活でも。みんなのことを、ちゃんと見てる」
ソーニャの声が、少しだけ穏やかになっていた。
「……そういうのって、どうして自然にできるんでしょう」
「どうして、って?」
「人のことを、ちゃんと見ようとすること。わたくし、どちらかというと」
ソーニャは少しだけ、言葉を選ぶように間を置いた。
「正しいか正しくないか、で見てしまうから」
「それが悪いとは思わないけど」
「でも、リリアンナ様みたいには、できなくて」
私は少しだけ考えた。
「わたくしはね、人って完璧じゃない部分もひっくるめて面白いと思うのよ。正しくない部分があっても、その人がどうしてそうなったかを知ると、全然違って見えたりするし。精霊さんだって、妖精さんだって、完璧じゃないところがあるから愛しいのかもって思うの」
「……そう、ですか」
ソーニャが、前を向いたまま静かに聞いている。
「完璧に正しい存在なんて、きっとないわよ。それよりも、どうありたいかの方が大事な気がするの、わたくしは」
「どうありたいか」
「うん」
しばらく、二人で歩いた。
夕暮れの風が、ゆっくりと吹いていた。
「……リリアンナ様」
「なに?」
「今日、話してくれてありがとうございました」
「こちらこそ。ソーニャ様が話してくれたから、わたくしも話せたのよ」
ソーニャは、小さく頷いた。
その横顔が、少しだけ、いつもと違う気がした。
柔らかい、とでも言えばいいのか。
何かを考えているような。
「ほら、さっさと行くぞ。あの店のクロワッサンが売り切れちまうぞ」
「そうだった!」
レントールに言われて、二人で慌てる。
「でも走ったらダメですよ」
オカンデュオルに窘められて、早歩きにする。
楽しい、寄り道のできる放課後。
これが、ずっと続きますように。




