99.静寂の森
シュマール領に馬車が到着したのは、出発から二日目の夕暮れ時だった。
「――ここが、シュマール様の別邸ね」
大商会ながら質素で、でも手入れの行き届いた屋敷が、私たちを迎えてくれた。
「みなさん、ようこそいらっしゃいました」
出迎えてくれたのは、ソーニャのご両親だった。優しげな雰囲気が、彼女と似ている。
--ちなみに、ソーニャの件は、ご両親には伝えていない。魔王は秘匿事項であるし、精霊たちが両親が関わりのないことを証明してくれたからだ。
なので今回の訪問は、愛し子たちの巡回的な扱いにしてある。
「今夜は、こちらでゆっくりお休みください」
「……ここ数日、森の魔物が活発化しているようです。どうか、本日は英気を養ってくだされ。足りないものなどありましたら、何でも仰ってください!」
しっかり、温かなご両親だ。ソーニャはどこかで素直に受け止められなかったのかな。とか思いながら。
その温かいもてなしに、みんな静かに頭を下げた。
翌日。
その森はシュマール家の別邸から、歩いて10分くらいだった。子どもの頃のソーニャが行けたのだから、そんなものだろうな。
「---入るぞ」
サーフィスの声にみんなで頷き、中へと歩を進める。
「思ったよりというか、通りというか。深い感じのある森だな」
サーフィスが剣の柄に手をかけ、警戒したように周囲を見回しながら話す。
「そうね。……瘴気が濃いわ。みんな、気をつけて。少し浄化を……」
と、マリーアがいいかけたところで、ガサッ、と鬱蒼とした木々の奥から、荒々しい足音が響いてきた。直後、赤く血走った目を剥いた野生の魔物が、何匹も唸り声を上げながら飛び出してくる。
「うわっ、いきなりお出ましか!サラ!」
『おう』
テンダーの声に応えて、サラが剣に炎を付与し、テンダーが一気に斬りかかる。「グアァッ」と、何体かが一瞬で吹っ飛ぶ。
『もう、せっかくの快適な馬車の余韻が台無しじゃない!』
ウンディーネがふわりと宙に浮き上がり、水のエレメントを纏った鋭い刃を風に舞わせて、魔物を足止めする。
『エレナ!今のうちに浄化の水魔法を撃って!』
「はい!」
クリムが放つ負の魔力に当てられたのか、この森の魔物たちはいつも以上に凶暴化しているようで、次々と私たちに襲いかかってくる。
「引くな!陣形を、崩すな!」
サーフィスが鮮やかな剣捌きで次々と無力化していきながら、鋭く指示を飛ばす。
「リリー、イデア、後方支援を!」
「「任せて!」」
イデアーレの魔道具からは、光の矢が次々と放たれる。イルスと共同で仕上げたらしい。
私は、ルシールに抱き抱えられながら、魔物たちの前に風の障壁を作る。
「テンダー!」
「分かってる!」
サラの力を借りたテンダーの炎が、魔物の群れを一気に薙ぎ払った。
マリーアは聖なる光でみんなを包み込みながら、魔物と周囲の瘴気を祓っている。
戦いは激しかった。けれどみんなと連携できている。何度も共に乗り越えてきた絆が、そこには確かにあった。
「――これで、最後!」
サーフィスの一振りで、最後の魔物が崩れ落ちる。
「……皆、大丈夫か」
肩で息をしながら、サーフィスが周りを見渡した。
「うん、大丈夫」
「わたしも」
「問題、ない」
それぞれの無事を確認し合う。
「みんなに回復魔法をかけておくわ。シールドも。気をつけて、奥へ進みましょう」
マリーアの言葉に頷き、私たちは警戒心を高くして、さらに森の奥へと向かう。
けれど――。
森の深く、目的地である「祠」へと近づくにつれて、奇妙な変化が起きた。
さっきまであれほど暴れていた魔物たちの気配が、嘘のようにピタリと消え失せたのだ。
いや、もしかして魔物がいないのではなく。
――きっと、逃げ出しているのだ。
野生の本能が警告しているのだろう。この先の深部にいる「何か」があまりにも強大で、異質で、触れてはならないものだと知っているかのように、鳥のさえずりすら聞こえない、不気味なほどの静寂が私たちを包み込んでいた。
「……気配が、変わったわね」
マリーアが足を止め、小さく呟いた。
空気がひんやりと冷たくなり、肌を刺すようなプレッシャーが漂う。それは物理的な暴力の気配ではなく、ただ途方もなく深く、冷たい「孤独」の気配だった。
「ここから先は、魔物を斬る場所じゃないよね……たぶん」
私は息を整え、皆の顔を見回した。
サーフィスも、エレナも、テンダーも、イデアーレも、そして傍らに控えるルシールたち精霊も、皆しっかりと頷き返してくれる。
木々の隙間から、古びた石造りの建物が見えてきた。
月の模様が彫られた、小さな祠。
「――あそこ、ね」
わたしは、静かにそう告げた。
みんな無言のまま頷く。
一歩、また一歩と、祠へ向かって歩みを進める。
心臓が大きく、脈打っていた。恐れなのか、それとも、別の何かなのか。自分でもよく分からなかった。
(クリム様――)
もうすぐ、会える。
その予感に、胸の奥が静かに震えていた。
祠の前にたどり着いた、その時。
中からゆっくりと、闇色の気配が滲み出してくるのを――私たちは、はっきりと感じ取った。




