97.出発
その日の朝、サバンズ家の玄関先には、いつもより少しだけ、緊張した空気が漂っていた。
そう、これから私たちは、シュマール領にある祠へと向かう。
「マリー、リリー、これを持って行きなさい」
お母様が、そっと小さな包みを私たちの手に握らせる。
「傷薬と、お守りよ。魔法もあるけれど、念のため、ね。危ないことはしないで、と思うけど……難しいこともあるかもしれないけれど、でも、無茶はしないで」
引き留めるのを堪えた笑顔だ。
「うん、ありがとうございます、お母様」
「お義母様。ありがとうございます」
「マリーも、リリーも、無事に帰ってきてね」
お母様は、私たちを抱き締める。
いつもは騒がしいお父様も、エルランサをぎゅっと抱きながら涙を堪えているのがわかる。
エルランサが、「ねえたまたち、どこいくの?だいじなの?」との問いに、「そう、大事な……お仕事なんだ」と、必死に平静に答えていた。
「行って参ります」
私とマリーアは、深く一礼した。
隣国へ発つわけでもない、王都の外れへの、数日の旅。それでも両親にとっては、心配でたまらないのだろう。
(大丈夫、ちゃんと、帰ってくるから。エルだってこれからもっと可愛がるんだから!)
その想いを込めて、私はもう一度、両親に笑顔を向けた。
◇
同じ頃、王城の一室でも似たような光景が繰り広げられていた。
「サーフィス、無理はするなよ。それでも、聖女たちは頼むぞ」
陛下の言葉に、サーフィスは静かに頷いた。
「はい、父上。みなを守り……自分も、必ず無事に戻ります」
王妃は、サーフィスをしっかりと抱き締めた。
エレナも、母とデュオル、ソーニャ、そしてレントールに見送られていた。
「エレナ様……」
「大丈夫よ。大切な義妹を利用されたのだもの。しっかり話をつけてくるから、心配しないで」
そう、力強く微笑んで。
儚げな雰囲気なエレナだが、根は1本筋が通っているのだ。
イデアーレも大量の魔道具を持たされそうになったり、実家が遠くの辺境であるテンダーは家族へと手紙を託し、執事に必ず戻るように気合いを入れられ。
---皆で王城へ集い、そこからシュマール領の森へ出発するのだ。
「――皆、揃ったな」
陛下の声に姿勢を正す。
「此度の旅、大義である。魔王の封印に関わることゆえ、決して油断せぬように」
「はい」
陛下の傍らには、王妃様やヒンター、マークスの姿もあった。彼らは今回も王城の守りと、後方支援に専念することになっている。
魔王の件は、まだ国民へは知らせていないので、仰々しい見送りはない。陛下には謝られたけど、そこにちょっとホッとしてしまう、小市民な私。
『――数日ぶりくらいだが、みな、変わりないようだな』
不意に涼やかな声が響いた。
振り返ると、そこにはオベロン様と、ティターニア様の姿があった。もちろん、四大精霊のみんなも。そこだけが自然発光しているように輝いている。眼福だけど、眩しすぎる。
「ティターニア様!オベロン様!」
「なっ、精霊王と?!」と、慌てて陛下が礼を取ろうとするのを、オベロン様が止めた。
『人の王、挨拶は後だ。封印の件だ』
『昨日確認してみたの』
二人の表情は少し硬い。
『――やはり、緩んでいる。いや、緩んではおらぬのだ。ただ、周辺に強い影が現れて来ていた。どうやら、急速に』
オベロン様の言葉に、その場の空気が一段と引き締まった。
『時間は、あまりないかもしれぬ』
みんなで静かに頷く。
「だからこそ、今、行きます」
私は、オベロン様の目を真っ直ぐ見て、そう言った。オベロン様は目を細めて、どこか楽しそうに微笑んだ。
『頼もしいな。なぜだか……リリアンナ、そなたを見ていると……まあ、よい。……クリムを、頼む』
『お願いします。くれぐれも、ご無事で』
「任せてください!」
私が胸を張って答えると、ティターニア様はふっと柔らかく微笑み、私の頭を優しく撫でてくれた。
『わたくしとオベロンは、精霊の国を守る必要があって行けないけれど……私たちの分まで、ルシールたちが力を貸してくれるわ』
『お任せを』
ルシールが力強く微笑み、その傍らで、ウンディーネもサラも、イルスも……私たちを見つめて力強く頷いた。
「四大精霊様がついていてくれるなら、これ以上心強いことはないわね」
マリーアが微笑み、サーフィスも剣の柄に手を添えて頷く。
『――万が一の……最後の砦は、我らが、務める。すまぬな、共に、行ってやれずに』
オベロン様の声には、悔しさが滲んでいた。
「いいえ」
わたしは、静かに、首を振った。
「オベロン様たちが、後ろで支えてくださってるから。わたしたちも、安心して行けます」
その言葉に、ティターニア様はふっと、やわらかく微笑んだ。
『――行ってらっしゃい。皆』
「「「「「「はい」」」」」」
わたしたちは、深く頭を下げた。
そして、みんなで馬車に乗り込む。
窓の外、王城が少しずつ遠ざかっていく。
(ソーニャ様、デュオル様、レン様……)
三人は王城には来れなかったけど。きっと誰よりも、この旅の行方を案じてくれているはずだった。
(必ず、連れて帰るから)
……って、私、誰のことを思った?みんなとは、もちろん共に帰ってくるつもりだ。当然だ。
……連れて、帰ってくるのは…………。
一人の、宵闇の髪をした彼が、頭を過る。
(……うん、ちょっと、幼稚園児を迎える気持ちになってるかな。前世のオバチャン気質が出てるんだよね、あんな話を聞いたから)
きっとそうだ。
なんて、私のあれこれはさておき。
馬車は王都の街並みを後にして、シュマール領へと続く街道へとその車輪を進めていったのであった。




