95.届いた声
精霊の国から戻って、数日。
日常は、何事もなかったかのように続いている。授業も、クラブ活動も、いつも通り。けれどわたしの中では、多くのことが静かに渦を巻いていた。
(クリム様……)
千年前の、あの悲劇。その意味を知った今、「クリム」という名前を聞くたびに、胸の奥がじくじくと痛んだ。
そしてその痛みは、そのままソーニャへの想いにも繋がっていた。
---ソーニャには、まだ会えていない。
(あの子もきっと、似たようなものを抱えているんだと思う)
前世の記憶。もしかすると、愛されたいという、切実な願いがあったのかもしれない。それが、歪んだ形で暴走してしまった。クリムとソーニャ。二人の姿が、わたしの中で少しずつ重なっていった。
押し付けがましくはしたくない。けど、ずっとこのままでもいられない。
デュオルも、毎日門前払いと聞いた。きっと私が行っても同じだ。
「どうするか……。会わないと、話もできないし……。あっ!これはどうだろう?!」
前世と合わせてウン十年、閃きましたよ!
『……で?これがリリーの閃きとやらか?』
「そう!精霊さん飛べるもんね!もっと早く気付けばよかったよ!」
そう、ルシールに抱っこしてもらい、ソーニャの部屋に直撃だ!ルシールは微妙な顔をしているが、知ったことではないのだ、なにせ緊急事態ですからね!
「これは、不法侵入では……」
「うおっ、精霊様、すげえ!」
イルスに抱えられて付いてきてるくせに、うるさいな、デュオル。レントールはサラに抱えられて、はしゃいでいる。
再度私が一人でソーニャの元へ向かうことに反対だったみんなも、四大精霊とエレナたちと一緒なので許可が降りた。ふっふっふ。
「ウンディーネ様、わたくしまですみません」
『いいのよ~!しっかし、リリーは面白いわね!』
「みんなありがとう。やっぱり当事者は揃った方がいいと思って、と、リリス?」
『おや、どうした?このようなところまで……』
ルシールも聞いていなかったようで、少し驚いたように声をかけた。
『うん、あの、あのね。クリムのところへいくのよね?よね?……わたしも、ちょっとおはなし、したいの』
『まだ関わっているかは定かではないが……それにお話とは……お主らは……危険だろう』
『大丈夫なの!お願い、シルフさま』
『しかし……』
「連れて行こうよ、ルシー。リリスにもきっと何かがあるんだよ」
リリスはクリムを怖くないと言っていた。きっと何か想いがあるのだろう。
「ずっとわたしの肩にいてもらうから。ね?」
『……仕方ない。気をつけるのだぞ』
『わあい!ありがとう、シルフさま!リリーも!』
くるくると飛んで喜ぶリリスが今日もかわいい。
ルシールの風に包まれ、私たちは音もなくソーニャの屋敷の二階、部屋のベランダへと着地した。
「失礼しまーす……っと」
解錠をルシールに頼み、窓をそっと開けて部屋に滑り込む。よい子は真似してはいけません。
そして静かにお邪魔すると、ベッドの端で膝を抱えて丸くなっていたソーニャが、びくりと肩を震わせて顔を上げた。
「……リリアンナ、様……?」
驚きと恐怖で目を見開くソーニャのすぐ傍で、黒い靄のような影がさっと身を引くのが見えた。黒い……犬?あれ、私どこかで見たような、見ていないような。
『っ……眩しいな』
その犬の姿が不鮮明に揺らぐ。
「クロ……?」
『……邪魔が入ったみたいだね。また来るよ、ソーニャ』
それだけ言い残すと、クロの気配はまるで煙のように消えてしまった。
「待って!一人にしないって……!」
部屋に残されたのは、呆然とするソーニャと、息を呑む私たちだ。
「ソーニャ様!」
私は駆け寄り、彼女の前にしゃがみ込んだ。
デュオルとレントール、エレナも急いで駆け寄る。
「ソーニャ……! 無事か!?」
「デュオル様……どうして、ここに……」
ソーニャは、次々と部屋に入ってくる私たちを見て、混乱したように目をパチクリとさせている。不法侵入とはいえ、ここまでされては逃げられないと思ったのか、彼女の目にみるみる涙が浮かんできた。
「どうしてって、婚約者だろう?心配するに決まっている」
「こんやく、しゃ、なのに……ごめんなさい……ごめんなさい、わたし、あんなことを……! 私、あなたたちを裏切って、あんなことを……これから私、どうなるの? 処刑される? 家を取り潰されて、一生牢屋に……!?」
パニックを起こしかけ、頭を抱えてブルブルと震えるソーニャ。
そんな彼女を見て、真っ先に動いたのはレントールだった。
「ソーニャ」
落ち着いた声で名前を呼びながら、レントールはソーニャの前にしゃがみ込む。
「……レン……」
「俺たちは、お前を罰するために来たわけじゃないぜ?ただ、お前が一人で抱え込んで、変な奴にいいように使われてないかとかが、どうしても気になってな」
「だって、私……もう取り返しがつかないことを……」
「取り返せるかどうかは、これからだろ」
レントールがフッと柔らかく笑うと、続いて私がポンと手を叩いた。
「そうよ! やらかした分の反省はあとでたっぷりしてもらうし、めちゃくちゃ美味しいお菓子を奢らせるけど、断罪なんてさせないわ。ね、デュオル様?」
「ああ。君が無事で戻ってきてくれるなら、僕は何度だって迎えに来る」
デュオルのまっすぐな瞳に、ソーニャの潤んだ瞳が大きく揺らぐ。
怯えきっていた彼女の肩の力が、ふっと抜け、その目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……怖かったの……。誰にも言えなくて、どうしたらいいか分からなくて……本当は、分かっていたの……これは正しいことではないって。でも、正しい話ではないと自分も消えそうで、だから……でもそれも、自分の、ため……」
消えそう、か。前世を思い出した弊害もあるのかな。詳しくは分からないけれど、いつか、彼女の傷も聞いてあげられますように。
エレナはそっと近づいて、彼女の背中を優しくさすってあげている。
「エレナ様、わたし……ごめんなさい、ごめんなさい……!ひどい、ことを」
「……そうね。悲しくなかった、とは言わないわ。でも、あの時あなたに救われたのも確かなの」
「……エレナ、様」
「……わたくしも、間違えたの。今度は一緒にやり直しましょう?」
その女神のような優しさに、ソーニャは子どものように泣きじゃくり、エレナは彼女をそっと抱き締めていた。
ソーニャが泣き止むまで、精霊さんたちも優しく見守ってくれていた。
そしてソーニャが少し落ち着いた頃、私たちは椅子に腰掛け、彼女の話を聞くことにした。
「ねえ、ソーニャ。その……クロっていった?あの子と出会ったのって、いつなの?」
私の問いに、ソーニャは申し訳なさそうに視線を落とした。
「……領地にある、シュマール家の別邸の裏庭です」
そしてソーニャは、今までの全てを話してくれた。
『そのクロとやらは、自分は闇の精霊で、魔王を復活させたいと?』
「はい、そう言ってました」
ルシールの言葉に、しっかりと頷くソーニャ。
『微妙なとこだよね。確かに封印場所とは違うし』
『封印、あと少しとか言ってたみたいだけど、緩んでないわよね?』
『また幻覚かの……?確認が必要かもしれぬ』
イルスたちもそれぞれに呟く。
「森の祠、ねえ……」
私が腕を組んで考え込んでいると、ふいに、私の肩のあたりからパタパタと小さな羽音がした。
『――ねえ、それって、もしかして』
ひょっこりと顔を出したのは、花の妖精・リリスだった。
彼女はきょとんとした顔で、ソーニャを見つめる。
『その祠って、古い石造りで、窓のところに月の模様が彫ってあるところ?』
「え……? はい、そうです!……え、どうして知ってるのですか?」
ソーニャが驚いて聞き返すと、リリスは少し悲しげに微笑んで。
『やっぱりそうだったんだ……。そこはね、昔、クリムのために――私たちが、みんなで作った祠なの』
「……え?」
部屋にいた全員が、絶句してリリスを見た。
『奴を……クリムを封印後に、理解しつつも悲しんでおった妖精はたくさんいたのだよ。わたしたちに隠れて偲んでおったな』
私は、オベロン様の言葉を思い出していた。




