92.精霊の国へ行こう!その5
『クリムが、姿を消してから。わたくしたちは、来る日も来る日も、彼を探し続けたわ』
ティターニア様の声が、静かに、続いていく。
◇
そんな間にも、魔の力は日に日に強くなっていった。
まるで、クリムの感情に呼応するように。彼が守りたかったはずの妖精や、人を、喰い散らかし、取り込みながら。クリムが闇に落ちて、魔物がそれを覚えてしまったのだ。
やがて、ようやく見つけたクリムには、以前のような静かな佇まいは、もう、見る影もなかった。
『クリム、お願い。話を聞いて』
ティターニアが、幾度となくそう呼びかけても、返ってくるのは沈黙だけだった。
『――もう、遅い』
何度も声をかけ、ようやく返ってきたその声は、以前とはまるで別人のように冷たいものだった。
『……何が、遅いの』
『……僕はもう、お前たちの側にいる資格を、失った』
『そんなこと――』
『ないと言える?……本当に、誰にでも…………甘いよね……』
『……ねえ、どうしたら、元のクリムに戻ってくれるの。わたくしに、できることなら』
『ふっ、あはは!君がそれを言うの?じゃあずっとそばにいてよ』
『いると約束したわ!オベロンだって……!』
ティターニアが必死で返した言葉に、クリムは冷たい、でもどこか困ったような--顔をして、また飛び去ってしまった。
『せっかく会えたのに、また、何も話せなかった……』
『ティティ……。仕方ないよ、また探して説得しよう。勇者と聖女にも声をかけないか?』
隣人たる人々を導くために女神様が選んだ二人。オベロンと波長が合うオルソンにオベロンの血を与え、聖女アリスには女神から癒しと浄化の力が与えられていた。
---それは、クリムによって強化されてしまった魔物への対応のためもあり---女神様の賭けだったのかもしれない。クリムだって、女神様のかわいい子どもなのだから。
「見つけた!クリム、今日こそ話をしましょう」
『今度はアリスか。この前はオルソンも騒いでいたな……次々と、くどい。話すことなどない』
「だって!ティティはあなたを突き放したかった訳じゃないのよ?」
『---知らない。もう僕は力でしか……そんな奴は、嫌なんだろうから』
「ちがう!ティティはそんなつもりで言ったんじゃないわ!」
『……お前たちは、力を振るうのはだめだと言う。だが、お前たちが魔物にしていることは何だ?お前はそんなにキレイな人間か?……オルソンが別の人間を選んでも、キレイでいられるか?』
「……っ、それは、でも。……努力、するもの」
『ははっ、そう。やっぱりお前たち光属性には、うんざりだよ』
それが、クリムと、それでも穏やかに話せた、最後、だったと思う。
クリムは、日に日にクリムではない何かに変わっていった。魔物が従うようになり、魔王と言い出したのは誰だったのだろう。
勇者オルソンと聖女は、狂い始めたクリムの前に立ちはだかった。
世界を護るため。そして、暴走する友人であるクリムを救う、最後の手段として。
『クリム、もうやめろ!』
オルソンが剣を構え、聖女がその傍らで浄化の光を纏う。
だが、かつての穏やかな闇の精霊は、もうそこにはいなかった。漆黒の魔力を纏ったクリムは、冷ややかに、どこか狂気を帯びた笑みを浮かべる。
『僕を止めるのか、オルソン。お前もだ……君たちも結局、ニアの言いなりになって僕を排除しに来たんだな』
『違う! お前を救うために――』
『救う? ふざけるな』
クリムの魔力が爆発する。圧倒的な力の差に、勇者と聖女がじりじりと後退させられる。
その時だった。
『――そこまでよ、クリム』
静かな、けれど毅然とした声が響いた。
空間が割れ、そこから現れたのは――ティターニアだった。オベロンを背に控えさせ、彼女は自ら、かつての友の前に立ったのだ。
クリムの瞳が、狂喜の色に染まる。
『ニア……! 来てくれたのか。僕のために、ここに……!』
『あなたを、これ以上狂わせないために来たわ』
ティターニアのまっすぐな瞳を見て、クリムの表情が急激に歪んだ。
『――まただ。また、その目を向ける』
『クリム』
『僕を救う聖母気取りで、正論を吐きに来たんだろう? 僕がどれだけ君を求めているか分かっていながら、その隣にはいつもオベロンがいる。……ねえ、ニア』
クリムは歪んだ笑みを浮かべ、すうっとティターニアに歩み寄る。その圧倒的な闇のプレッシャーに、勇者たちも迂闊に手を出せない。
『今すぐ、オベロンを殺して、僕のところに来てよ。そうすれば、この世界を壊すのはやめてあげる。君が望むなら、この世界を綺麗に残して、二人だけの楽園を作ってあげるよ』
『……そんなこと、できるわけないでしょう。お願い、クリム。その執着を手放して。でないと……』
ティターニアが、わずかに目を伏せて言った。
その瞬間、クリムの顔から、完全に光が消えた。
『……そうか。やっぱり、僕の願いは、何一つ聞き入れてくれないんだね』
絶望と狂気が、一つの形に収斂していく。
クリムの周囲の空間がぐにゃりと歪み、世界そのものを飲み込まんとするほどの巨大な闇が渦巻いた。
『なら、いいさ。この世界も、君たちも、全部壊して、僕の記憶のなかに閉じ込めてあげる。誰も僕を置いていけないように――!』
その瞬間、勇者オルソンと聖女、そしてティターニアたちの持てるすべての魔力が解放された。
世界を消し飛ばしかねないほどの激しい衝突。光と闇が世界を引き裂くような激闘の末、ついにクリムの動きが封じられ、聖女の秘術と精霊王たちの魔力によって、彼は深層へと縫い留められていく。
意識が遠ざかる中、完全に封印されようとするクリムの前に、ティターニアが歩み寄った。
彼女の頬には、一筋の涙が伝っていた。
『……ごめんなさい、クリム』
その涙を見て、クリムは冷たく、けれどどこか諦めたような、底知れぬ執着の笑みを浮かべた。
『……謝らないでよ、ニア。そんな顔をされると、また、囚われてしまうから』
闇に沈みゆく身体のまま、クリムは歪んだ愛おしさを込めて呟いた。
『――いいよ。千年間、眠っていてあげる』
『……え?』
『千年後だ。僕の記憶が薄れ、この世界がまた新しいサイクルを迎える頃……今度こそ、誰も邪魔しない場所で、君を迎えに行く。それまで……待っていてよ、ニア』
それが、クリムが残した最後の言葉だった。
世界を揺るがした闇の精霊は、長い長い眠り(封印)へと落ちていったのだった。
◇
――視界が戻る。
精霊の国の冷たい空気が、私たちの肌を現実へと引き戻した。
ティターニア様は、静かにうつむいていた。オベロン様が、無言でその背中に手を当てている。
――千年後。
その言葉が、私の頭の中で、カチリと音を立てて噛み合った。
(今が、まさにその「千年後」……!)
だから今、クリムの残滓が目覚め、ソーニャを利用して目覚めようとしているのか。
みんなが息を呑み、沈黙に包まれる中。
私は大きく息を吸い込み、一歩、ティターニア様の前に進み出た。
「……つまり、ですね」
でもまあ、つまるところ、あれだよね?
私の声に、ティターニア様も、オベロン様も、そして後ろにいるみんなも、びくりと肩を揺らしてこちらを見た。
「リリー!?」
マリーアが青ざめて私の袖を引っ張るけれど、もう止まらない。前世で理不尽なプロジェクトの尻拭いをさせられていた時の「説教スイッチ」が、完全にカチリと入ってしまっていた。
「クリム様が拗らせたのは、確かに最終的に暴走しすぎた彼が悪いですが!」
私は両手を腰に当て、ティターニア様をまっすぐに見据えた。
「『千年後、迎えに行く』なんて重すぎる爆弾発言を残させておいて、いざ現代になって復活してきたら『どうしよう』って怯えているだけなのは、フェアじゃありません! 元凶を作ったお二人も、少しは反省してください!」
『なっ……!?』
オベロン様が鋭い威圧感を放ってきたけれど、今の私は怯まない。
「だいたい、彼が欲しかったのは『みんなの愛』じゃなくて『自分だけの特別』だったのに、それを最後まで『大切なお友達』でごまかし続けたから、あんな歪み方をしたんじゃないですか! 優しい言葉って時に一番残酷な凶器になるんですよ?!ティターニア様、ご自分でも仰っていましたけど、完全に気付かない振りをしてごまかしてましたよね?!」
私のズバッとしたお説教に、精霊の国の空気が完全に凍りついた。
サラやイルスたちは「あーあ、言っちゃったよこの子……」という顔で頭を抱えている。ウンディーネはちょっと楽しそうだ。愛し子仲間は仕方ないよね、リリーだからという顔をしている。
『リリー。それもあるかもしれぬが、魔王、いやクリムの執念も……』
「ルシー。恋情は拗れるとそうなるのよ。だからって、クリム様もダメよ?ダメなんだけど、彼だけがわがままでだった訳ではないわ。みんな、なのよ。……まあ、彼がかまってちゃんなのは正解だったか……?ともかく、思い込みは反省ね~!」
パン、と手を叩いてにっこりすると、場が一瞬シン、となる。あれ、どうやらまたやらかしたらしい。
けれど、しばらく沈黙した後――ティターニア様は、ふっと、驚いたように目を見張り、そして、まるで長年の呪縛が解けたかのように、力なく、けれどどこか晴れやかな笑みをこぼしたのだった。




