91.精霊の国へ行こう!その4
始めは、小さな恋心。
『――クリム、聞いて。今日ね、オベロンが』
その日の夜も、ティターニアは星空の良く見える庭で、彼--クリムにそんなふうに切り出した。
『また、オベロンの話か』
『だって、聞いてほしいんだもの』
その頬は、いつも、ほんのりと赤らんでいた。
まったく、この間は何もかもうまくいかないと泣いていたのに……とか思いつつも、そんなことは顔に出さずに、いつも話を聞いてくれる人。
『今日、魔法の制御の練習後に水を差し出してくれたの。何でもないことのはずなのに、なんでだろう、すごく、どきどきしちゃって』
『……それは、良かったね』
クリムはそう答えながら、視線を少し逸らした。
『ニアが幸せそうで、よかった』
と、微笑みながら。
そう、ティターニアは、彼の優しさに甘えていたのだ。彼も同じく、自分に友情を感じていてくれていると、彼の優しさは、誰に対してもであると、思い込んで。
後で聞いた。オベロンも似たようなことをクリムに話していて。
『クリム。お前は、あれだよな。恋愛とか、そういうのに、疎そうだよな』
『急に何』
『いや……その、ティターニアの、ティティの気持ちが、いまいち、読めなくてな』
珍しく歯切れの悪いオベロンに、クリムは思わず笑ってしまった。
『お前、ニアと話す時、いつも無駄に格好つけてるだろう。素直に言えばいいだけだよ』
『言えたら、苦労しない』
『……くく』
そのじれったいやり取りを、クリムが複雑な気持ちで見守っているなんて、思いもせず。
でも、彼が二人のことを応援してくれていた気持ちに偽りはなくて。……だからこそあとあと拗れたのだ。
◇
ある夜、星空の下で、ティターニアがクリムにそっと打ち明けた。
『クリム。わたくし……勇気を出してみようと、思うの』
『勇気?』
『オベロンに、ちゃんと、気持ちを、伝えてみる』
その瞳は真剣で、そして、少しだけ不安げに揺れていた。
『クリムは、どう思う? わたくし、うまくやれるかしら』
『――大丈夫だよ』
クリムは、静かに、けれど、はっきりと、そう答えた。
『ニアの気持ちは、きっと、届く』
その、優しい笑顔の裏に気付かずに。
『ありがとう、クリム。あなたが、いつも、背中を押してくれるから』
無邪気に微笑むティターニアを、クリムは眩しそうに見つめていた。
◇
それから、しばらくして。
『オベロンと、番うことになったの』
弾むような声で、ティターニアが、そう報告した日。
『そうか。……何となくわかってたけど。夜の庭に来なくなったし?オベロンと会ってるんだろ?』
『ま、毎日ではないわよ?!近頃は女神様にも褒められるんだから~!』
『はいはい。……よかったな、ニア』
優しい微笑みに隠された、彼の崩れていく気持ちに気付かずに--
そんな平穏な幸せの時間もありながらも、魔との戦いは激しさを増す。
闇に強いオベロンもまた、少しずつ、余裕を失っていったのだ。
ある日、些細なことから二人は口論になった。
『ティティ、お前は少し、クリムのことを気にかけすぎじゃないか?』
『え……?だって、大切な仲間で、だんだんと闇に呑み込まれそうで……』
『奴はお前のことを、まるで、一番自分が知っているみたいに――』
その言葉には、明確な悪意はなかった。ただ、不安と、未熟な独占欲が、うっかり言葉になって、こぼれ落ちてしまっただけだった。
『オベロン、それは……』
『悪い。今のは、忘れてくれ』
すぐにオベロンは、自分の失言に気づいて謝った。けれどその言葉は、ティターニアの心に小さな傷を残してしまっていた。
『……わたくし、クリムに、迷惑をかけていたのかしら』
その夜、沈んだ顔で、ティターニアが夜の庭に姿を見せた。
---つい。落ち込むと、足がここへ来てしまう。
『ニア? 何かあったのか』
『オベロンが……ううん、何でもないの。ただ、少し、考えごとを』
その、無理に取り繕った笑顔を見た瞬間、クリムの中で、何かが音を立てて切り替わった。
『――誰に、何を言われた』
『クリム?』
『言え』
その声の冷たさに、ティターニアは、思わず、たじろいだ。
『オベロン』
その夜のうちに、クリムは、オベロンの元へ乗り込んでいった。
『クリム、何を……』
『お前が、ニアを、傷つけたと聞いた』
『それは、誤解を招いただけで、既に、謝罪も――』
『謝って、済むと思っているのか』
その瞳には、既に、以前のクリムにはなかった昏い光が宿っていた。
『お前は、彼女を傷つけた。なら、僕は――』
『クリム、待て――』
止める間もなく、その場は激しい魔力のぶつかり合いへと発展していった。
夜空を、闇の魔力が、ぎらぎらと切り裂いていく。
『――やめて、クリム!』
ティターニアの、悲鳴のような声が、その場に響いた。
その一声で、クリムの動きが、止まる。
『ニア……』
『そうじゃない……そうじゃないの、クリム。オベロンを、傷つけることはわたくしが望んだことじゃない』
震える声で、ティターニアがそう訴えた。
その言葉に、クリムの表情が、大きく揺れた。
『――何が、違う』
『暴力で、返すことは、わたくしを守ることには、ならないわ』
『なら、どうすればいい!』
叫ぶような声だった。
『傷つけられて、黙って耐えろと言うのか! それじゃあ、また、いつか、お前が――』
『クリム』
『守りたいだけなんだ! 僕は、ただ、ニアを――』
そこまで言って、クリムは、はっと、口をつぐんだ。
自分が、今、何を口走ったのか。ようやく、自覚したように。
『……そうか』
その呟きは、あまりにも、静かだった。
『だから、もう、僕とは一緒にいられないって言うんだよね』
『クリム、それは、違う――』
『もう、僕は、要らないってことか』
その目から、すっと、光が消えていくのを、ティターニアははっきりと見た。
『待って、クリム、そうじゃなくて――』
けれど、届かなかった。
クリムは何も言わずに踵を返し、夜の闇の中へと姿を消していった。
後には、立ち尽くす、ティターニアとオベロンだけが、残された。
様々な、想いを絡ませながら。
◇
景色が、そこでまた、途切れた。
『――あの日から、クリムは、少しずつ、わたくしたちの前から、姿を消すようになっていったの』
ティターニアの声が、深い後悔と共に、そう続けた。
『彼が、本当は、何を、想っていたのか。あの時のわたくしは、気づいていながら、見て見ぬふりを、していたのかもしれない』
「ティターニア様……」
『だから、彼を、引き戻したくて。当時の勇者と聖女に、力を借りることにしたの』
その言葉に、マリー姉さまが、静かに、息を呑んだ。
「その先が――わたしの見た夢に、続くのね」
『ええ』
ティターニア様は、静かに、頷いた。




