ただ祈るだけ
女の眼差しにはすでに憎しみの色が焼き付いている。その色が生涯薄らぐことはない。
それは、炎だ。
その憎しみが、炎が、傍らに控えさせた男の力を呼び覚ます。
「う…うう…う……」
マグダレーナが抱く炎に応えるように、小男は唸り声を零す。
まるで獣のような声色は、平民でありつつも闇の精霊と繋がる力を持った男の生命を削りはじめる合図だった。
下町に落ちていた小男を見出したのは、マグダレーナに長く仕える男である。この館では執事の役目を担っているが、貴族の出で魔力を持ち、武術の心得もある。身一つで嫁いだ先の国で、忠心を持って己に仕えるこの男を得られたのはマグダレーナにとっては幸運だった。
この男が持つ鑑定の力で、これまで何人も、闇魔法を使う素養のある者を市井から見つけ出してきていた。
微かな素養であっても、その者を通してマグダレーナが願えば、十分に使える駒となる。
特に小さな精霊たちは概ね、新しい遊びに餓えた子どものようなものであるので、彼らはこぞってマグダレーナの願いに応えた。
(闇に身を隠し小さな者たちよ、集え、集え。私の願いに応えよ)
大きな魔力を持たぬ術士が魔法を使うには、その者の命を削るしかない。この小男もそれなりに長く使ってきたが、きっとここで使い捨てになるだろう。そう考えながら、マグダレーナは精霊に呼びかけた。
大きな力を使うためには、できるだけ多くの精霊を集めなくてはならない。その数を揃えるために、わざと益体もないことを話して時間を作っているのだ。
しかし、理想や口ばかりの若造や、己の力の使い方も分かっていない娘と言葉を交わすはなんとも業腹だ。
(おまえたちは、何も知らぬくせに……)
目の前に立つ青年の言葉で、記憶の奥底に横たわる恨みが呼び起こされる。
熱く、汚く、激しい焔。
この火は決して消えまい。
これは自分の身を焼き続けるものだ。
(何もしようとしなかったくせに……)
身体が純潔でないと知られると、冷遇されて、第一子は堕胎させられた。
汚らわしいふしだらな女だと夫となった男に罵られて、夜には殴られ、むち打たれた。痛みを与えられた後は引き裂くように犯された。
離縁されて、国に戻された方がまだマシだったろう。
夫の戯れに下賜されたことまである。苦しみながらそれを受け入れて、自分を抱いた武官を手懐けて、夫を弑させることでようやく自由を得られた。
だが、その頃には既に、自分の中に大事なものなど何も残ってはいなかった。
(何を許せというのだ……!)
目の前に立つ侯爵家の男。周囲を固める数人の兵士。腹心の部下であろう。
彼らを睨み付け、女は願った。
どうか自分に加護があるようにと。
(さあ、集まれ)
己の心を嘗めるように焼き尽くした闇色の炎を好む精霊は、いつでももっと新しい餌を欲しがった。
どうしてやろうか。中央に立つあの男の精神を乗っ取らせて、狂わせてやるか。それとも男を守護する兵士の一人に、その首をかっ切らせてやろうか。
女は、胸の内で闇色の精霊に呼びかけた。
(命令だ。さあ、爆ぜろ。あの男どもの首をちぎり取れ……!)
「私は冷遇されて、出来た子は薬で堕胎させられた。女だからといって、どうしてそんな目に遭わなくてはならないの」
自分の世界が元には戻らないならば、幸せだった頃を思い出さなくなるように、なにもかもを壊してしまおう。
ほんの少し囁くだけで、指を一つ動かすだけで。何もかもが意のままに、破滅に向けて動いていくのは爽快だった。
だからずっと、壊し続けていくつもりだったのだ。
「そんなことが二度と起きないように、私たちは国を変えるつもりです」
マグダレーナが苦しげに吐き出す言葉は呪いだ。それを聞き取って、アルベールはわずかに目を伏せる。彼女に起きたことを直視しながら、希望に胸を張れるほど、厚顔ではない。
「今更? 今更変えると?」
「これまでは間に合いませんでした。けれど、どこかで変えなければ、いつまでも変わらない。だから、やっていくんです」
「………」
ふと、マグダレーナは虚を突かれたような表情で、アルベールの姿を見つめてくる
(なんだ……この表情は)
先ほどまでのマグダレーナの余裕ぶりを振り返ると、おかしい、と言いたげなそれはどこか不自然だった。
「どうかされましたか?」
思わず尋ねると、悔しげに、自嘲するように彼女はくっと笑う。
「……その娘、先に殺しておくべきだった」
なんとも忌々しげに、マグダレーナはレティシアを睨み付ける。
「なんだとっ!」
「おまえか。おまえがいるから、精霊たちが私に応えぬのか」
マグダレーナのすぐ傍に控えていた小男が、急に身を反り返らせて、口から泡を吹いて倒れていた。先ほどまで怪しげに呻いていたので警戒していたが、あの様子では殆ど絶命しかけている。
「……闇魔法の術士だ。魔法を失敗したようだ」
鑑定で小男の状態を読み取ったマルタンが、アルベールにそっと耳打ちする。
「レティシア嬢がこちらにいるから、精霊がどちらに従えばいいかわからなくなって、殆どが混乱して逃げていったらしい。あの男はもう魔法は使えない。もう一人は風と光が使えるようだが、魔力はさほどではないな。力で制圧できる」
「そうか」
強い【魅了】の力は、悪意があれば悪い精霊を魅了し、人の命をも奪うことが出来るという。
マグダレーナが長く語っていたのは、時間をかけてそれを試していたのだろう。
だが、もう一人の【魅了】の乙女であるレティシアが、アルベールたちの護符となった。
「娘! 何をした! おまえは、どうやって私の精霊たちを奪った! 」
貴婦人然としていた女が、激昂してレティシアを怒鳴りつける。
「……何もしていません。ただ、ルディルシア様に私たちをお守りくださいと、この場で血が流れぬようにとお祈りしていただけです」
「それだけだと?」
「はい」
レティシアの答えに、マグダレーナは顔を歪める。
潜在する力の量が、圧倒的に違うことを彼女も気付いたのだろう。
(勝負はついたな。……まさか、レティが鍵になるとは)
「彼女の祈りに応えて、この場で血を流す気はありません。どうかおとなしく我々とおいでください」
「とんだ才能だこと。上手くやったわね、スルトの家も。けれどお聞き。強い【魅了】の力など持っていても不幸になる。おまえも、おまえの男もいつか必ず、その身を焼かれるようになる」
「捕らえろ! 話はもう終わった!」
マグダレーナが吐き出す呪詛を打ち切って、アルベールは部下たちに捕縛をするように指示を出す。
執事姿の男は主を守ろうと幾分か抵抗はしたが、多勢に無勢だ。抗う男を取り押さえ、マグダレーナには【魅了】の力を無効にさせる拘禁具を手に嵌めさせると、彼女は黙って項垂れた。
「この国をどうされるおつもりだったのですか」
「……私は壊したかっただけ。嫌なことを忘れるには、それを壊してしまうしかないでしょう?」
この後は専用の馬車に乗せ、すぐにも修道院への護送を行うことになる。
捜査を行うにも、まずはマグダレーナを切り離し、他の者たちから余計な抵抗をする意志を削ぐ必要があるのだ。王族としての体裁を保つためもあるが、力を使わせぬ、自害をさせぬためには幽閉は確かに適した処置だった。
「ナターリア王女はこちらで治療します」
「かわいそうに。私とは違う地獄を見るのね」
館を出る前にアルベールが告げた言葉に、彼女はくっと笑う。
「どうぞ、よい旅立ちを」
皮肉なその言葉に、アルベールもただ一言を返した。
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