腹の底を蠢くもの
それはきっと復讐なのだろうとアルベールは言った。
緊急時のためにレティシアを伴うならば、口外を禁じた上で、事情の説明を行ってよいとスルト侯爵が許可を出したそうだ。レティシアがアルベールと共に生きていくならば、背負う秘密を分け合うことを許すと。
手短ではあるが、急ぎの馬車の中で、アルベールは向かう場所の主や起きている事柄についてをレティシアに教えてくれた。
その上で、復讐だろうと彼は口にした。
その人を直接に虐げた人がこの世にいない今、一体何に復讐するのだろうかと問うと、彼女を守り助けなかったこの世界の全てに対してかも知れないと、アルベールはぽつりと呟いた。
マグダレーナ王姉の住まう館の前には、王太子の愛馬が乗り捨てられていた。王族専用の逃走路である隠し通路を使って城を抜け出し、鞍を付けただけの馬に直接乗ってまだ薄暗い朝焼けの中を駆けるなど、緊急時でもなければあり得ないことだ。
彼は既に、正気を逸した錯乱状態にあるのだろうとアルベールは顔を曇らせた。
館の周りを一個隊で囲む指示を出してから、信頼を置く精鋭の兵士達に周囲を固めさせ、館の中へと踏み込む。
門前にいた警護の兵は既に捉えている。門から館までの間、控えていた騎士達が襲いかかってきたが、これは全てアルベールたちが切り伏せた。
彼らに守られるようにして、レティシアは文官に当たるマルタンと共に兵士達の中央に身を置いて、館の奥へと進んでいった。
正面の扉に鍵はかかっていなかった。館の中は無人というわけではなく、むしろ複数の人間の気配があり、こんな明け方だというのに館のどこかから幾人かの女の嬌声が聞こえてくる。
だが、中に入ってみると、アルベールたちが館の主の元へ向かうのを止める者は誰もいない。
館の構造は綿密に調べ上げられていた。
女主人が客への応接室に使っているはずだという部屋には、確かに彼女の姿があった。
「あら。先触れもしないなんて、随分と不躾だこと。ヴィルジールの息子とは思えないわ。一体なんの用かしら」
こんな明け方だというのに、黒衣を身につけて美しく装ったその女性は、アルベールと兵士達が部屋に踏み込んできたというのに、悠然とした態度でそれを出迎える。
部屋の中も警備は手薄で、彼女の傍らに執事らしき出で立ちの男が一人と、下男のような成りのひどく痩せた小男が控えているのみだ。
「レオナール殿下の迎えに参りました。殿下はどちらにおわしますか」
「先ほどいらしたばかりよ。お気持ちが落ち着かないようだから、お慰めしている最中よ。下がりなさい。待つことも出来ぬなど、無礼です」
【魅了】の力を持つ娘たちは、ここでマグダレーナの選んだ男たちの相手を毎日毎夜行っている。ここが実質娼館だということは調べ上げ済みだ。
館の中に響く声からも、行われている事は明白であるのに、彼女は悪びれる様子もない。
「伯母上に当たる貴女様をレオナール殿下も頼りにされたのだとは、我々も承知しております。ですが、事は急ぎ。即刻引き渡していただけないならば、私どもで殿下をお探しし、連れ帰らせていただきます」
その宣言を合図に、玄関ホールに待機していた者たちへの捜索の指示が出される。
「随分と勝手なこと……あら、その娘も連れてきたの」
マグダレーナは、アルベールたちに囲まれて、守られるようにして立つレティシアに不意に目を留めた。
「残念ね。あなたには是非、レオナール殿下に仕えて貰いたいと思っていたのよ。だから、何度も私の元に来るようにと使いを出していたでしょう? レオナールもあなたをとても気に入っていたみたいだもの。あんなに美しい婚約者でうらやましいと繰り返し言っていたわ」
「……そんな」
その言葉で、自分を拐かそうとしたのはやはりマグダレーナであったのだとはっきりとわかった。
使いとはきっと叔父の事だ。彼女の指示で手引きされたならば、叔父が王宮の奥向きに入り込めた理由もわかる。
叔父の断末魔の叫びは、今でも耳にこびり付いている。
(使い捨てられたんだわ……)
主犯は彼女であることは馬車の中で教えられていたが、これまでは疑う気持ちがどうしても消せなかった。同じ【魅了】の力を持つ女性なのだから、どうか間違いであって欲しいと願っていた。
それがあまりにも甘い考えだったのだと、思い知らされる。
「本当はあの夜に、あなたを王太子にお渡しして、喜ばせて差し上げるつもりだったのよ」
微笑む彼女が口にしたことにゾッとして、レティシアは自分の身をかき抱いた。
自分がなにをされそうになっていたのかを考えると、怖気が全身に駆け巡る。
彼女が欲していたのは、生け贄だ。レティシアの純潔を王太子への供物とするためにあの夜に拐かそうとした。
「それで国を乱そうとお考えでしたか? 貴女が嫁がれたあの国のように」
アルベールはひどく固い声で、マグダレーナに問いかけた。
声色に怒りの一片も覗かせぬように、心を押さえ込んでいるのだろう。
代々、宰相の役目に任じられている家系。王家の縁戚にして、筆頭侯爵家嫡男の婚約者を王太子が奪い取る。
そんな醜聞を作り上げれば、十分に争いの種とすることは可能だ。
「そうなれば面白かったでしょうに」
返った答えに眼差しを鋭くさせて、アルベールは目の前の女を見遣った。
「殿下、お知らせしなくてはならないことがございます。ナターリア様のお父君と兄君の軍が落ちたとの知らせが入っております。この後は王弟クインザ様のご嫡男が王位に就かれるとのこと。兄君の元婚約者であったご令嬢が次の王妃となられます」
「まあ。そうなの」
マグダレーナは驚く様子もなく、アルベールの報告を受けた。
彼女は勿論、誰よりも先にその報を掴んでいたのだろう。だから、小さいけれど毒のある棘を突き刺すように、ナターリア王女にその事実を告げたのだ。
「そのことを王姉殿下は深く嘆かれて、戦乱に荒れた国の癒しと平和を祈るために、修道院に入られると王から伺いました。その支度が調いましたことをお伝えするよう、私が命を受けております」
「あら」
アルベールが口にした場所は、国の北、郊外にある女子修道院だ。院の中には高い塔があり、そこは昔から貴き者の入る場所とされている。
事実上の幽閉の宣告に、さすがに王姉も唇を歪ませる。
「王から伝言を預かってきています。……お守りできなかったことをどうかお許しください、と仰せです」
「今更、なにを」
渡された言葉に、マグダレーナは皮肉な笑いを唇に浮かべた。
「随分と虫のいいことを言うものね。平和のためになどと馬鹿げた理由で嫁がされた私が、あちらでもどんな目にあったか何も知らないくせに」
お読みいただきありがとうございます。
面白かったよ、続きが気になると思ってくださった方、是非ブクマや評価(★★★★★)をしていただけると、作者の励みになります。




