泥と蜜
ルーセル子爵は貴婦人の前で片膝をつき、深く頭を垂れた。
「申し訳ありません」
下された命は「儀式の乙女となる娘を連れてくるように」というものだ。
血縁上、ルーセルの姪に当たる娘であることから、特別に取り立てられて、その命を下された。
この国でもっとも高貴なる女性に仕える絶好の機会なのだ。一度や二度しくじったからとて、手を引くわけには行かない。
「随分と聞き分けの悪いお嬢さんなのね」
黒い羽根飾りが揺れる扇で口元を隠して、貴婦人はふぅとため息をつく。
「あなたは叔父なのだから、きちんと言い聞かせてくれるでしょう? 次には必ず、連れてきてもらえるわね」
高貴なる御方の声にはまだ、自分の働きへの期待がこめられている。
そうだ。まだ間に合う。この方に認めていただくために挽回しなくては。
(生意気な娘め。あれをどう、ひれ伏せさせようか……)
この方に、あの娘をなんとしても捧げなくてはならない。
「必ず、必ず連れて参ります」
甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。
高貴なる方が身にまとったこの香を嗅ぐと、その甘やかさにうっとりとして、この方のためなら何でも出来るという気持ちになった。
(ああ……)
この高貴なる女性の尊顔に拝せるのは、限られた者だけだ。自分が他の者を介さずに命を受けられるのは、この方に特別な機会を与えていただいたからである。
「どうか、私にお任せください」
「わかりました。でも、一人で全てを行うのは大変でしょうから、おまえを手助けする者を用意しましょう。支度が出来たら連絡をさせます。次の指示を待っていなさい」
「かしこまりました」
甘く、心まで染みこむ香りに酔いしれながら、ルーセル子爵はふらりと部屋から出ていった。
上手く壊れたようだ。
ルーセル子爵がおぼつかない足取りで部屋を出て行く姿を見遣って、女は唇に笑いを浮かべた。
上昇欲の強い、卑屈な男は操りやすい。自分が無能であることを、すべて周囲の責任だと思いこむ。
曲がりなりにも【魅了】の娘の血縁であるならば、なにか使い道があるかもしれない。なので仕官をちらつかせて召し出したのだが、所詮無能は無能。無駄であったようだ
仕方ないので、せめて最後に手駒として使えるようにしておいた。
「まったく……役に立たないわ。あきれてしまうこと」
わざと声に出して言うと、周囲に控えていた娘たちがさざ波のように笑う。
くすくす、くすくす、くすくす。
「それに比べて、おまえたちは本当に優秀ね。どんな方にも喜んでいただけているもの」
娘たちには閨房術を完璧に仕込んである。客は美しい彼女たちの姿と性技に骨抜きになっている。
【魅了】の力だけではなく、すでにその味が忘れられなくなって、客たちは足繁くこの館に通っていた。
「あの子も、ここに来たらきっと役に立ってくれると思うのよ」
サフィール子爵令嬢レティシアに仕込んだ薬は、どうやら解毒されてしまったようだ。
ヴェルニスの鈴蘭が上手く効けば、儀式の乙女を務めることは難しくなる。醜聞であるし、ヴェルニスが頭に廻った【魅了】が儀式を行うのは、力を制御できるかの保証がなく、危険があるからだ。そうなれば、たやすく手に入れられる可能性もあったが、そう上手くはいかなかったようだ。
教会からも王宮からも何も聞こえては来ないし、そもそも拐かしが失敗した時点で、こういう結果になるだろうという予測はついていた。
(やっぱり妖精姫の息子だわ。治癒の力がかなり強いのね)
うまくかわされてしまったが、それはそれだ。
聖女候補の堕落劇よりも、あの娘を傷のない状態で手に入れるチャンスがある方がおもしろい。
「この後は誰にお客様の相手を頼もうかしら。次の方は一刻後にいらっしゃるお約束よ」
昼日中も、夜闇の中でも、この館の客人は絶えることがない。
久方の母国への帰還で心細いと夜会で一言漏らせば、男たちはいくらでも食いついてきた。
見舞いという名目で館にやってきた彼らに、礼として特別な歓待を行うと囁けば、誰もが有頂天となって、花に手を付けた。
【魅了】の力を持つ乙女が、閨で加護を分け与える。特に破瓜の相手ともなれば、特別の効果が得られる。
そのことを信じて目の色を変える男はいくらでもいる。
「……まだ間に合うかしら」
あの若者も、【魅了】の破瓜による特別な加護に強い関心を持っていた。自分こそがその力を得るべきである、と口走ってもいた。
どうやら彼は、有能と褒めそやされる年上の従兄弟に、随分と屈折した思いを抱いているようだ。
「この国の者たちは、どうして貴方のことをないがしろにするのでしょう。なんと不敬な……なにもわかっていないのですよ」
いつもの甘い香りのする酒と共に、言葉の蜜をたっぷりと彼に注いでやると、彼はそれが毒とも気づかずに全てを飲み干して、己の不満を吠え立てた。まるで、泥と吐瀉に塗れた子犬のようだ。
一度は失敗してしまったが、あの青年にレティシアの純潔を与えてやりたい。
そうなればあの男達は、この国は、どう動くだろうか。
考えるだけで胸が躍る。
「楽しみね」
女主人が呟くと、仕える娘たちはさざ波のように笑う。
くすくす、くすくす、くすくす。
「マグダレーナ様。次のお役目は、どうぞ私にお命じくださいませ」
「あら、私が参りますわ」
「じゃあ、その次は私」
「いい子たちね。では、次は二人でおもてなしをなさい」
「はい」
二人の娘は、主人に向けて一礼して、部屋を立ち去る。
その姿を眺めながら、マグダレーナは唇に優美な笑みを浮かべた。
「では、おまえたちはあちらでお客様を出迎える者の支度を調えてきなさい」
「はい。すぐに参ります」
残った中の、侍女のお仕着せをまとった娘達には、また別の仕事を言いつける。市井から買い取ったばかりの娘達は、まずは見習いとして館で働かせている。
娘達には種類がある。【花】として客をもてなす娘達と、この国の貴族に嫁がせるために仕立てあげた【蝶】だ。
【花】はあの国から連れてきた下級貴族の娘と、下町で見つけて買い取った平民の娘たちが殆どだ。
【蝶】は伯爵家以上の家柄の出の娘で、彼女たちは自分のために働くようにと丁寧に教育を施してある。
いざ戦乱が起これば、【魅了】もちの娘は特にどんな扱いを受けるかがわからない。自分が保護をして亡命をさせてやると申し出ると、目を輝かせて、娘を差し出してくる親が多くいた。そのおかげで、簡単に手駒を増やすことが出来た。
昼間は【蝶】やこの国の貴族の令嬢を集めたサロンを開き、その場で【蝶】の娘達を貴族の男たちに売り込んでいく。その裏で【花】たちが特別なもてなしを行う。
おかげで、館には日夜、訪れる者が絶えない。
【花】にも、【蝶】にも、これからまだまだ役立って貰う。
そのためにも、あの娘もやはり手に入れておきたい。そうすれば一層、楽しみが増えることだろう。
「マグダレーナ様、良いことがございましたか」
「ええ、そうね」
主人の笑みを見上げて、娘たちは嬉しそうに笑う。
「これから、いいことがあるわ」
まだ、大丈夫。
これから、その機会は残っている。
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