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一夜が明けて


(ここは……)

 

 目を覚ましたレティシアは、自分が寝台に一人で寝ていることに安堵した。


 身体がひどくだるくて、頭が重い。 

 それは拐かされかけたときに使われた薬のためなのだろう。記憶は切れ切れではあるが、おおよそ何があったかは思い出せる。だからこそ、寝起きですぐにアルベールと顔を合わせなくて済んだことにホッとしたのだ。

 ドレスはアルベールの手で脱がされた。確認したが、今のレティシアは新しい下着を履いて、肌ざわりの良い薄いネグリジェを着せて貰っている。

 身体も拭われているようだが、これは一体誰がしてくれたのだろうかと考えると、いたたまれない気持ちは相当に強かった。

 出来れば女性であって欲しいが、それよりも更に気に掛かることがある。


(もしかして、私、死にかけた……?)


 アルベールに何度も口移しで薬と水を与えられた。


 それを思い出すとあまりに恥ずかしすぎて、頭を抱えてしまう。

 確かに、身体全体がしびれているし、頭を上げるのさえ苦しみを伴った。意識が切れ切れに戻ってからもそれだったので相当だったのだろう。

 うつつに見る夢の中には、両親の姿が出てきた。

 全員が揃っていて、幸せだった頃の家族の姿。それは死にかけた故の、記憶の呼び戻しだったのかも知れない。

 父、母、兄、弟…そして、アルベールの姿が順に出てきた。


(あの方の姿を……)


 何度も口づけられた。あれは確かに治療であったし、それ以外ではないのだが、それでも彼の唇に自分は生命を吹き込まれたのだ。



(あのときのアルベール様、苦しげだった……)

 

 自分の身体に触れるアルベールの声が掠れていたことを思い出す。全てを覚えてはいないが、所々で鮮明に記憶のに残る箇所があった。

 レティシア。

 苦しげに、息づかいも荒く、己の名を呼ぶ声。

 思い出すと、途端に顔にカッと熱が上ってしまう。


(どんな顔で会えばいいの……!)


 すでに陽は高く昇っているのだから、いつまでも寝台でうだうだと悩んでいるわけにはいかない。

 どうしたものかと頭を抱えていると、部屋の扉がノックする音がした。


「レティシア様、ご気分はいかがでしょうか。起床なさいますか」

「は、はい」

 

 扉の向こうからの呼びかけに答えると、アルベールの乳母やであるという女性と、二人の侍女が部屋の中に入ってくる。


「おはようございます、レティシア様。昨夜のお支度は私が片付けさせていただきました。ドレスと靴は後日にレティシア様のお屋敷に我が家の者が運ばせていただきます。お寝間着は私が選んだのですが、寝苦しくはありませんでしたか?」


 アルベールの乳母やが暗に「着せ替えさせたのは自分だ」というのに、レティシアはホッと胸を撫で下ろした。


「ええ。とても着心地がよくて」

「それは何よりでございました。お召し替えをさせていただいてよろしいでしょうか」

「お願いします」



 レティシアの意向を確認すると、乳母やの指示を仰ぎつつ、侍女たちはレティシアの朝の支度を手伝ってくれた。顔を洗い、髪をとかし、着替えの手伝いもテキパキと行われる。届けられたドレスは首元の詰まったデザインで、できるだけ肌を出さないようにされている。その気遣いが今はありがたい。

 乳母やから聞かされたところによると、レティシアは昨夜の夜会で疲れ切って、少し具合を悪くして戻ってきたので、ゆっくり休ませるようにと言いつかっているそうだ。今日は改めて医師が診察に来る予定もあるという。


「お食事はいかがなさいましょう。出来れば、先生に診て貰った後のほうがよろしいようだと聞いておりますが」

「先にお医者様に診ていただきたいわ。まだ、あまり食べたくないの」

「かしこまりました。それでは、先生をお招きするお部屋にご案内いたします」

 


 一人の侍女が先導して、身支度を終えたレティシアを表向きの一室に案内してくれる。

 

 客間の一つであるらしいそこにはアルベールが待っていて、これからマルタンの父がやってくると教えてくれた。

 伯爵であるマルタンの父親は王の脈取りもする医師で、夕べの事情は全て分かった上で内密の診察を行ってくれるそうだ。



「夕べの君の着替えは、私の乳母がやってくれている。心配しなくていい」


 説明の最後に改めて、アルベールがそっと囁いてくれた。

 その言葉に昨夜のことを思い出して、レティシアの顔にポッと熱が灯る。

 着替えは乳母やであっても、ずっと介抱してくれていたのはアルベールだ。

 記憶はまばらではあるが、彼に助けて貰ったのは間違いない。


(どうしよう……なんていえばいいの)


 彼との会話に迷う間もなく、殆ど間を置かずに、眼鏡をかけた壮年の男性が部屋を訪れた。彼はトラバース伯爵と名乗り、すぐに診察に取りかかることをレティシアに告げる。


「では、まずは脈を測りましょう」

「はい」


 言われるままに手首で脈を取られ、その後は長椅子に横たわり、了承を取られた上で全身を光魔法で確認される。

 これは大がかりな外科手術が必要なときなどに、体内の状態を探るために行われる鑑定という魔法だそうだ。

 鑑定で、病気や怪我の状態や原因を確認が出来る者がこの国では医師となる。治癒や回復支援を行う療法士とはまた別の職業だ。

 全身鑑定を行った上で、薬も抜けているようだし、儀式の乙女の資格も大丈夫だと言ってくれた。

 トラバース伯爵は国内では一番の医師で、乙女の選定時にも確認の役目を負っているという。その人に太鼓判を押してもらえたなら、問題はないだろう。

 今日は念のためにもう一晩この館に滞在することと、解毒の後に体調を整えるための薬を数日間飲むように指示を受ける。

 レティシアに細々な説明や注意を行ってから、今日は自分は侯爵に会いに来ただけだから帰ると言って、その人は去って行った。

 侯爵を尋ねるという口実で訪れたので、この診察は対外的に知られることはないということだ。

 

(よかった……)


 ホッとして、思わずじわっと涙が浮かび上がった。

 

 薬を使われたのをアルベールに助けて貰ったことは分かっている、自分が連れ去られずに済んだのも理解している。けれど、記憶の一部が抜け落ちているので、その空白の間に何があったのかが不安だった。

 万が一、アルベールが来る前に何かをされていたらと恐ろしくて仕方がなかった。


「レティシア……。昨夜はすまなかった」


 涙ぐむレティシアの顔を、アルベールが心配そうに覗き込む。


「治療とはいえ、淑女に行うべきでないことをした。謝って許されることではないことは分かっているが、謝罪するよ。だが、トラバース伯に診て貰ったのだから心配しなくていい。君の資格は失われていないのだから」

「ごめんなさい。そうじゃなくて……安心して。だって私……」



 頭を下げて詫びるアルベールに、レティシアはそうではないと首を振った。

その後に続く言葉が、心の中に浮かび上がる。


(だって私……あなたのお嫁さんになりたいんだもの)


 それが今の、素直な気持ちだった。


 いつの間にか、好きになってしまった。

 聖女になりたいと目標を掲げていたのに、自分の中のアルベールの存在があまりにも大きくなって、どこかで変わってしまった。

 

 もしも他の男に自分の知らないところでこの身体が汚されていたならば、アルベールの妻になることは出来ない。

 なによりもまず、自分の心がそれを許せない。

 だから、まだ誰にも汚されていないならば、アルベールと結ばれることが出来る。その資格を自分がまだ持っていることに安堵して、希望が潰えないことに喜んで、自然と涙がにじみ出たのだ。

 少し前ならば、儀式の乙女に、聖女になるためには男性と性交渉を行ってはいけないからと思っていただろう。

 なのに自分は変わってしまった。

 この人に変えられてしまった。


「ありがとう。助けてくれてありがとう。私が離れてしまってごめんなさい。あんなことになるなんて、思わなくて。あなたと、他の人たちも私を探してくれたんでしょう? ありがとうございます」

「レティシア……」


 アルベールはハンカチーフを出して、レティシアの目元に当てて、落ち着くまでずっと傍で待っていた。

 そんな彼の優しさが、レティシアにより深い喜びを与える。


「……なんだか、お腹が空きました」


 ひとしきり泣いて、気持ちが落ち着くと、今度は不意に身体が空腹であることを訴えてきた。


「そうか。じゃあ、何か食べたいものはあるかな?」

「甘いもの……いつもいただくお菓子を」


 アルベールが指示を出すと、メイド達がすぐさま茶の支度と共に焼き菓子やケーキ、他にも軽く軽食やフルーツなどを運んでくる。

 はじめは甘いものが少し欲しいと思っていたが、食べ出すと止まらなくなって、レティシアは出されたサンドイッチの殆どを一人で平らげた。向かいで茶を飲みながら、アルベールはその健啖ぶりを嬉しそうに見守っている。

 ひとしきり空腹が落ち着いたところで、レティシアは改めて、昨夜の話をするためにアルベールと向き合った。


「昨日は、離れてしまってごめんなさい。昨日、私はどうやって助かったのか教えていただけますか」

「聞くのが、嫌ではないかな」

「何も知らない方が怖いです。自分に何が起こったか分からないままなんて……」

「わかった。一部は推測になる。だけど、わかる限りを話そう。話を聞いていて、不安になったり、嫌だと思ったらすぐに言ってくれ」


 レティシアの申し出に、アルベールは真摯に頷き、今分かっている事柄を話してくれた。


 会場には影ながらレティシアの警護を行っていた者がいたのに、なにかの手段で目くらましをかけられて見失ったこと。

 そもそも王宮で許可を得ない魔法を使うこと自体が難しいので、かなり用意周到とみられること。

 レティシアの失踪から発見までの時間は短かったこと。首飾りの防御魔法についてと、使われたとおぼしき薬物の種類と説明。

 会場で口にした飲み物で意識が怪しくなり、女性二人に運ばれたというレティシアの証言も挟み、発見場所との距離を考える限りでは、その場ではレティシアの身柄に乱暴はされていないだろうという言葉も添えられる。



「あの首飾りを君に付けて貰って、本当に良かった。父に心から感謝しているよ。……二度と油断しない。許してくれ」

「侯爵閣下に御礼を申し上げないとですね」

「後で見舞いに顔を出すと言っていたよ。さっき、トラバース伯爵も言っていたが、今夜はこの部屋に泊まっていってくれ。君の家にはこれから連絡を入れることにするよ」


 アルベールはサフィール家の警備も更に強化すると言った。

 元々、【魅了】の力を持つ者は狙われやすい。拐かせば高値で売れるからで、だからこそ【魅了】の力を持つこと自体が隠されるのだ。

 しかし、レティシアはアルベールと婚約をしたことを公表したのだから、本来はそのこと自体が抑止になるはずである。

 筆頭侯爵家を敵に回すなど、普通に考えれば誰とて避けることだろう。

 なのに、手の込んだやり口で拐かそうとしてくるあたりが、どうにもきな臭い。


「それに、動きが速すぎる」


 当日までレティシアが夜会に赴くことを知っていた者は少ない。

 外部の者では仕立て師がいるが、ドレスを仕立てたことは口外無用で、どの夜会に行くかは全く教えていないそうだ。そもそも信用商売なので、そこから漏れるのは考えにくいという。


「婚約を知っているのは陛下と殿下、あとは教会だけだ。私たちが会場に入る直前に、殿下の学友にだけ会話の手伝いをするように頼んでいただいたはずだが、それしか心当たりがない」


 本来ならば、秘密が漏れるはずもない面々である。

 しかし、賊の足取りが掴めずにいるのは、特殊な経路を使ったと思われるためで、数人の男を手引きするのは流石にあらかじめの準備がいるはずだ。


 どこから漏れたかを調査するとアルベールは言い、レティシアの護衛の人員も増やすと告げられた。



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