解毒
馬車を館の入り口前に横付けさせて、アルベールが険しい顔で婚約者を抱きかかえて降りてきたのに、先行していたマルタンは何事かと顔を曇らせた。
「アルベール!」
アルベールは自分の部屋に向かうと言って、足早に進んでいく。
元々はレティシアは客間に休ませると打ち合わせてあったので、マルタンは突然の変更に慌てて、水や身の回りの品の支度を運ぶ先を変更する指示を出した。
「どうした」
駆け寄って尋ねると、アルベールはちっと舌打ちした。
使用人達の耳をはばかっているのだろう。
このスルト侯爵邸の中で、使用人にも聞かせたくない話とは相当だ。
(なにか、問題が出たのか……?)
マルタンは黙って、アルベールの先に立ち、彼が通るルートを先導した。
今はできるだけスムーズに彼女を運ばせなくてはならない。
アルベールの部屋の扉を開け、更に勝手知ったると続きの寝室の扉も開け放つ。自室に入ってきたアルベールは、そのまま中に進んで、毛布にくるまれたままのレティシアの身体を自分のベッドの上に横たえた。
(これは……毒を盛られたか)
毛布の合間から少しだけ見える顔はやけに赤く、汗も随分とかいているようだ。レティシアの様子は、あからさまにおかしいと見て取れた。
アルベールに続いて、屋敷の使用人達が真剣な顔で後を追って、水や洗面器、清潔な布といった看病に使う品を運んできた。彼らは屋敷内は走らずのしきたりに従っているが、ほぼ駆け足に近い早足である。事の緊急性を、マルタンがよく言い聞かせたためだろう。
彼らには他に必要な物が出たらマルタンから指示すると伝え、すぐさま部屋を下がらせた。
「彼女に何があった」
「経皮薬だ。ヴェルニスを使われていた。馬車の中で洗浄はしたが、気付くのが遅れたので、少し身体に廻っている」
「それか……」
アルベールの口からでた薬の銘柄に、マルタンは顔を曇らせた。
ヴェルニスの鈴蘭。
ヴェルニスという薬師が作り出したと伝わるそれは、鈴蘭の花の形に似た器に入っていたのでいつしかそう呼ばれるようになったという。
それはいわゆる「奴隷を作るための薬」だ。
はじめは発熱して意識を失うが、その間に脳にも異常を来して、正邪の判断がつきにくくなり、人からの命令を無条件で聞きいれてしまう状態にさせられる。特にこの薬に闇魔法をあわせると、患者は完全に精神を支配されてしまう。
そんな精神薬で、ヴェルニス自身は闇魔法の使い手だと言い伝えられていた。
光魔法は身体に効くが闇魔法は精神に影響を及ぼす。
闇の暗さは深い眠りと静けさに通じ、本来ならば精神を病んだ者に対する治癒の力を持つのだが、ヴェルニスの悪用ばかりが語られて、今では闇魔法自体が誤解され、敬遠される状態となっている。
闇の精霊と通ずることは、己の欲望を覗き込むことだと言われ、闇魔法の使用は大変難しいとされるのもその理由の一端だろう。資質を持っていても精通する師を探すこと自体も難しい上に、堕落しやすいと偏見を持たれれば、表だって闇魔法を使うと言うこともはばかられる。
事実、闇の精霊に取り込まれて堕落した者やはじめから金のために闇魔法を使う者はそれなりの数がいて、悪評の否定は難しい。
ヴェルニスの鈴蘭も裏で密かに流通する薬だけに、現物の入手自体がそもそも難しく、成分の分析も明確にはなされていない。ゆえに厄介な薬だ。
「気付いた時点ですぐに拭き取って処置をした。解毒剤はぎりぎりまで使っているし、つききりで彼女を治療すればなんとかなると思う」
この薬は投与されてからまだ早い段階で、解毒を行い、腕の良い療法士が処置をすれば助かる場合もある。
アルベールこそが、この国きっての療法士だ。
その名にかけても、レティシアを堕とすわけにはいかない。
「アルベール、解毒薬の予備をこちらに置いておく」
「ありがとう……」
馬車の中でもう一度解毒剤を飲ませ、光魔法でレティシアの身体に解毒の効果が強く廻るように作用させた。
この後は彼女の身体の中で、それを打ち消す解毒の力のせめぎあいとなる。
「何かあったら呼べ。私は……続き部屋で控えている」
マルタンは迷った末に、アルベールにそう告げた。全ての取次はマルタンにということだ。
アルベールが自室に運んだのは、奥ならば限られた者しか立ち入ることがないので、レティシアの状態も知られにくい。何があるか分からないのだから、たとえ家の中でも、彼女の状態は知られない方がいい。
「わかった。すまないが、頼む」
「ああ」
何度もうなされる彼女に、繰り返し水と薬を与えて、治癒を行う。
声をかけると、マルタンが薬と水の追加を行ってくれた。ついでのように、彼は魔力の回復を補助する薬も持ってきてくれる。
「飲め」
「……そうだな」
最上級の魔力回復薬はとにかく味がまずいことで知られているが、背に腹は代えられない。一息に飲んで息を吐くと、あからさまに力が戻ったので、アルベールは再び治癒を続けた。
レティシアの身体から熱が引き、ようやく落ち着いてきたのは、既に夜が明け始めた頃だった。




